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その後の三人『春の芽生え』1
お母さんにお弁当を作ってもらってから、更に1週間が過ぎていた。
明日は4月1日。
社会人にとって入社式が一斉に執り行われるので、僕の仕事はいよいよ多忙を極めていた。今日も泊まりで生け込み作業の掛け持ちだ。昨日から準備に追われている。
特に大変なのが入社式のあとの歓迎パーティー会場の装飾で、人事部の採用担当のイメージがあるので、何度も打ち合わせを重ねていた。
都内の有名企業から入社式の装飾や盛花の依頼が重なって、僕だけでも今日は3軒の会場を梯子することになっている。
仮眠を取ったあと、ロッカーで身支度を調えていると、菅野がやってきた。まだボサボサ髪だ。
「葉山~ふぁぁ~眠いな」
「菅野、おはよう! 今日も頑張ろう」
「流石に葉山もやつれたな」
「ふふっ、菅野もな」
お互いの顔は、確かに少し元気がなかった。
「ほら栄養ドリンクを飲もうぜ。葉山の分も買ってきてやったぞ」
「ありがとう」
そこに金森哲平がやってくる。こういうときだけ妙に目敏い男だ。
思わず手渡されたばかりの栄養ドリンクを隠してしまった。まだ卵焼きを取られた恨みがあるのか、僕は案外しつこい男かも?
「あーいいないいな! 先輩、俺にはないんすか」
「あるわけねーだろ!」
「うー、葉山先輩の美味しそうですね」
菅野が無下に扱っても金森は食い下がらない。相変わらず学ばないな。
「金森はこれに頼らなくても、まだまだ若いだろう? (無駄に)体力があって羨ましいよ」
僕が開き直って、にこっと微笑み告げると、金森はパァァと嬉しそうな顔をした。
くすっ、単純だな。
「で、ですよね! 今日は力仕事は全部俺に任せて下さい!」
「期待しているよ」
ガッツポーズを作ってご機嫌な様子に、菅野と顔を見合わせて苦笑してしまった。
(みずきちゃんは結構な『人たらし』だよなぁ。でもその調子だ! それでいいんだ)
(そ、そうかな?)
僕は少し真面目に対応しすぎるから、ドツボにハマってしまうので、最近はこんな感じで、少し肩の力を抜いてラフに話すのを心がけている。
これって宗吾さんのゆるっとした性格の影響が大きいのかも。
「さてと、今のうちに飲もうぜ。今日は長丁場だ」
「うん!」
菅野と僕は同期で親友、彼がいるお陰で仕事がやりやすい。
****
「パパ、見て!」
「ん?」
「もう桜があんなに咲いてるよ」
「おー、今年も早いな。これじゃ6日の入学式には散ってしまいそうだな」
「そっか~さくらさん、まっていてほしいなぁ」
最近、瑞樹の仕事が多忙で、朝は俺が芽生を母の家に届けてから出社している。
そもそも昨日から瑞樹は職場に泊まりこみだ。俺が出張で1週間いないことは何度かあったのに、瑞樹が帰って来ないことはなかったので、実はたった1日で寂しさが募っている。
「パパ? パパってばぁ、元気だして」
「あ、あぁ」
「お兄ちゃんもがんばっているんだから、シャキンとだよ」
ははは、母に言われているみたいだな。
「おし! これでいいか」
「おっけーだよ~」
シャキンと背筋を伸ばしてネクタイをクッと締め上げると、芽生が頭の上で丸を作って笑ってくれた。
息子の笑顔は元気の素だよ。
それに今日はとても楽しみなことがある。
我が社の入社式の装飾を瑞樹たちがするというのだ。俺もちょうど入社式の助っ人で、会場設営を任されているので、ニアミスで会える可能性が大だ。
お互いの仕事中に会うというのは、過去にあったな。指輪の広告の仕事で、ホテルの結婚式の打ち合わせ会場に行ったら、瑞樹が女性の隣り座っていて焦ったな。結局誤解だったが、ひどく狼狽してしまった。
そうなのだ……。
瑞樹は普通に女性にモテる!
王子様ルックスの甘い笑みは、今も健在だ。
カッコ可愛い彼を持つと大変だな。
****
「葉山。次、行くぞ、次は広告代理店か」
「あ、うん」
来た! 次は宗吾さんの会社だ。
そう思うだけで、密かにドキドキしてきた。
「おい、これって宗吾さんの会社だな」
「う……うん」
「会えるといいな」
「うん」
初めて宗吾さんの職場の中に入る。もう、それだけでもドキドキだ。
入社式会場は30階にある大会議室で、とても立派な作りだった。流石大手だなと感心をしてしまう。
会場内を覗くと、社員さんが何人か設営していた。ざっと見渡すが、まだ宗吾さんは来ていないようだった。
「葉山、先に生け込みしちゃおうぜ」
「うん、じゃあ人事の人に声を掛けてくるよ」
「頼む! 俺たちは花材を広げておくわ」
「了解!」
金森と菅野が準備している間に、近くにいた男性職員に声をかけた。
「加々美花壇のものですが、入社式の装飾に参りました」
「あ、すみません。俺はこの会社の社員ではないです。ちょっと用事があって立ち寄って」
「そうだったのですか、すみません。えっと社員の方は」
「えっ!」
ん……? 何だろう?
相手は僕の顔を凝視しているが、僕は思い当たらなくて決まりが悪い。
「あの?」
「あ……の、もしかして葉山……瑞樹じゃ」
「え? 何故、僕の名を?」
慎重に応対した。何者だ?
「驚いた! 俺、俺だよ、水野だよ」
「水野?」
「高校の時、3年C組だったろう」
「そうですけど……」
そこまで言われても全然思い出せなくて、冷や汗をかいてしまった。
「ふーん。やっぱり覚えていないんだな」
「すみません」
卒業アルバムもろくに見返していないから、申し訳ない。
「いきなり東京に行ったから驚いたよ。進路について何も話してなかったのに、やっぱり花の仕事をしていたんだな」
「あ、はい」
「やれやれその様子じゃ、眼中になしか」
「は?」
「いや……こっちのこと。葉山はますます綺麗になったな」
綺麗? 同級生と言っても記憶にない初対面の人に、いきなり男の僕が言われるには、戸惑う感想だった。
「あ、あの……?」
「あ、いやこっちの話、そういえば高校の時、お前、男なのにストーカーにあって大変だったんだってな。もう大丈夫なのか」
今度はひやりと、背筋がゾクッとした。
何で、その話を……知って?
兄さんはひた隠しにしてくれたのに、やはり噂で広まっていたのか。
相手にじっと覗き込まれて、どう答えていいのか困惑した。
あれはもう終わったことだ……いや、高校時代では終わらなかったことだ。
疲れも溜まっているところに、ダメージの深い話で、くらりと貧血を起こしそうになった。
「なぁ、今だから真相を教えてくれよ」
「え……」
「今更隠すなよ。ストーカの相手って女? それとも男だった?」
急に相手の顔がぐにゃりと歪んだような気がした。
怖い……!
すると背後から急に力強い声がして、腕を掴まれた。
「すみません、社内の人事の者です。あなたが加々美花壇の方ですか、ちょっと急ぎでいいですか」
「あ、はい。あ……じゃあ僕はこれで」
腕を掴んでくれたのは、顔を見なくたって……分かる!
宗吾さんだ!
高校の同級生だと名乗る男から引き離してくれ、会議室から一旦連れ出してくれた。
(瑞樹、しらんぷりしろよ)
(は、はい)
スーツ姿の宗吾さんの一言一言が心地良くて、一瞬真っ青になったが、血の気が戻ってきた。
「そうでしたか。花材を忘れて、大変ですね」
「え?」
宗吾さんがウィンクする。合わせろと……言ってくれているのだ。
「今から車に取りに行ってきます」
「じゃあ手伝いますよ」
「あ……申し訳ありません」
そのまま違和感なく業務用エレベーターに乗った。
二人きりになれて、僕は本当に本当にホッとした。
「瑞樹、驚いたな」
「はい……焦りました」
「あぁいう興味本位で近づくヤツは相手すんな」
「はい……」
さり気なく、横に立ってくれる宗吾さん。
そっと手を手繰り寄せて、ギュッと握りしめてくれた。
「もう大丈夫か」
「はい……」
「偉かったな」
「はい……」
エレベーターが、30階から一気に下降する。
僕の動揺した心は凪ぎ、宗吾さんに導かれていく――
宗吾さんの優しさと逞しさに包まれていく。
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