717 / 1737

その後の三人『春の芽生え』1

お母さんにお弁当を作ってもらってから、更に1週間が過ぎていた。  明日は4月1日。  社会人にとって入社式が一斉に執り行われるので、僕の仕事はいよいよ多忙を極めていた。今日も泊まりで生け込み作業の掛け持ちだ。昨日から準備に追われている。  特に大変なのが入社式のあとの歓迎パーティー会場の装飾で、人事部の採用担当のイメージがあるので、何度も打ち合わせを重ねていた。  都内の有名企業から入社式の装飾や盛花の依頼が重なって、僕だけでも今日は3軒の会場を梯子することになっている。  仮眠を取ったあと、ロッカーで身支度を調えていると、菅野がやってきた。まだボサボサ髪だ。 「葉山~ふぁぁ~眠いな」 「菅野、おはよう! 今日も頑張ろう」 「流石に葉山もやつれたな」 「ふふっ、菅野もな」  お互いの顔は、確かに少し元気がなかった。 「ほら栄養ドリンクを飲もうぜ。葉山の分も買ってきてやったぞ」 「ありがとう」  そこに金森哲平がやってくる。こういうときだけ妙に目敏い男だ。  思わず手渡されたばかりの栄養ドリンクを隠してしまった。まだ卵焼きを取られた恨みがあるのか、僕は案外しつこい男かも? 「あーいいないいな! 先輩、俺にはないんすか」 「あるわけねーだろ!」 「うー、葉山先輩の美味しそうですね」    菅野が無下に扱っても金森は食い下がらない。相変わらず学ばないな。 「金森はこれに頼らなくても、まだまだ若いだろう? (無駄に)体力があって羨ましいよ」  僕が開き直って、にこっと微笑み告げると、金森はパァァと嬉しそうな顔をした。  くすっ、単純だな。 「で、ですよね! 今日は力仕事は全部俺に任せて下さい!」 「期待しているよ」    ガッツポーズを作ってご機嫌な様子に、菅野と顔を見合わせて苦笑してしまった。 (みずきちゃんは結構な『人たらし』だよなぁ。でもその調子だ! それでいいんだ) (そ、そうかな?)  僕は少し真面目に対応しすぎるから、ドツボにハマってしまうので、最近はこんな感じで、少し肩の力を抜いてラフに話すのを心がけている。  これって宗吾さんのゆるっとした性格の影響が大きいのかも。 「さてと、今のうちに飲もうぜ。今日は長丁場だ」 「うん!」  菅野と僕は同期で親友、彼がいるお陰で仕事がやりやすい。  **** 「パパ、見て!」 「ん?」 「もう桜があんなに咲いてるよ」 「おー、今年も早いな。これじゃ6日の入学式には散ってしまいそうだな」 「そっか~さくらさん、まっていてほしいなぁ」  最近、瑞樹の仕事が多忙で、朝は俺が芽生を母の家に届けてから出社している。  そもそも昨日から瑞樹は職場に泊まりこみだ。俺が出張で1週間いないことは何度かあったのに、瑞樹が帰って来ないことはなかったので、実はたった1日で寂しさが募っている。 「パパ? パパってばぁ、元気だして」 「あ、あぁ」 「お兄ちゃんもがんばっているんだから、シャキンとだよ」  ははは、母に言われているみたいだな。 「おし! これでいいか」 「おっけーだよ~」    シャキンと背筋を伸ばしてネクタイをクッと締め上げると、芽生が頭の上で丸を作って笑ってくれた。  息子の笑顔は元気の素だよ。  それに今日はとても楽しみなことがある。  我が社の入社式の装飾を瑞樹たちがするというのだ。俺もちょうど入社式の助っ人で、会場設営を任されているので、ニアミスで会える可能性が大だ。  お互いの仕事中に会うというのは、過去にあったな。指輪の広告の仕事で、ホテルの結婚式の打ち合わせ会場に行ったら、瑞樹が女性の隣り座っていて焦ったな。結局誤解だったが、ひどく狼狽してしまった。  そうなのだ……。  瑞樹は普通に女性にモテる!  王子様ルックスの甘い笑みは、今も健在だ。  カッコ可愛い彼を持つと大変だな。  **** 「葉山。次、行くぞ、次は広告代理店か」 「あ、うん」  来た! 次は宗吾さんの会社だ。  そう思うだけで、密かにドキドキしてきた。 「おい、これって宗吾さんの会社だな」 「う……うん」 「会えるといいな」 「うん」  初めて宗吾さんの職場の中に入る。もう、それだけでもドキドキだ。  入社式会場は30階にある大会議室で、とても立派な作りだった。流石大手だなと感心をしてしまう。  会場内を覗くと、社員さんが何人か設営していた。ざっと見渡すが、まだ宗吾さんは来ていないようだった。 「葉山、先に生け込みしちゃおうぜ」 「うん、じゃあ人事の人に声を掛けてくるよ」 「頼む! 俺たちは花材を広げておくわ」 「了解!」  金森と菅野が準備している間に、近くにいた男性職員に声をかけた。 「加々美花壇のものですが、入社式の装飾に参りました」 「あ、すみません。俺はこの会社の社員ではないです。ちょっと用事があって立ち寄って」 「そうだったのですか、すみません。えっと社員の方は」 「えっ!」    ん……? 何だろう?  相手は僕の顔を凝視しているが、僕は思い当たらなくて決まりが悪い。 「あの?」 「あ……の、もしかして葉山……瑞樹じゃ」 「え? 何故、僕の名を?」  慎重に応対した。何者だ?   「驚いた! 俺、俺だよ、水野だよ」 「水野?」 「高校の時、3年C組だったろう」 「そうですけど……」  そこまで言われても全然思い出せなくて、冷や汗をかいてしまった。 「ふーん。やっぱり覚えていないんだな」 「すみません」  卒業アルバムもろくに見返していないから、申し訳ない。 「いきなり東京に行ったから驚いたよ。進路について何も話してなかったのに、やっぱり花の仕事をしていたんだな」 「あ、はい」 「やれやれその様子じゃ、眼中になしか」 「は?」 「いや……こっちのこと。葉山はますます綺麗になったな」  綺麗? 同級生と言っても記憶にない初対面の人に、いきなり男の僕が言われるには、戸惑う感想だった。 「あ、あの……?」 「あ、いやこっちの話、そういえば高校の時、お前、男なのにストーカーにあって大変だったんだってな。もう大丈夫なのか」  今度はひやりと、背筋がゾクッとした。  何で、その話を……知って? 兄さんはひた隠しにしてくれたのに、やはり噂で広まっていたのか。  相手にじっと覗き込まれて、どう答えていいのか困惑した。  あれはもう終わったことだ……いや、高校時代では終わらなかったことだ。  疲れも溜まっているところに、ダメージの深い話で、くらりと貧血を起こしそうになった。 「なぁ、今だから真相を教えてくれよ」 「え……」 「今更隠すなよ。ストーカの相手って女? それとも男だった?」  急に相手の顔がぐにゃりと歪んだような気がした。  怖い……!  すると背後から急に力強い声がして、腕を掴まれた。 「すみません、社内の人事の者です。あなたが加々美花壇の方ですか、ちょっと急ぎでいいですか」 「あ、はい。あ……じゃあ僕はこれで」  腕を掴んでくれたのは、顔を見なくたって……分かる!  宗吾さんだ!  高校の同級生だと名乗る男から引き離してくれ、会議室から一旦連れ出してくれた。    (瑞樹、しらんぷりしろよ) (は、はい)  スーツ姿の宗吾さんの一言一言が心地良くて、一瞬真っ青になったが、血の気が戻ってきた。 「そうでしたか。花材を忘れて、大変ですね」 「え?」    宗吾さんがウィンクする。合わせろと……言ってくれているのだ。 「今から車に取りに行ってきます」 「じゃあ手伝いますよ」 「あ……申し訳ありません」  そのまま違和感なく業務用エレベーターに乗った。  二人きりになれて、僕は本当に本当にホッとした。 「瑞樹、驚いたな」 「はい……焦りました」 「あぁいう興味本位で近づくヤツは相手すんな」 「はい……」  さり気なく、横に立ってくれる宗吾さん。  そっと手を手繰り寄せて、ギュッと握りしめてくれた。 「もう大丈夫か」 「はい……」 「偉かったな」 「はい……」  エレベーターが、30階から一気に下降する。  僕の動揺した心は凪ぎ、宗吾さんに導かれていく――  宗吾さんの優しさと逞しさに包まれていく。

ともだちにシェアしよう!