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ひと月、離れて(with ポケットこもりん)26
「長い間を迷惑をかけた。さぁ開園時間が迫っている、各自持ち場に就いてくれ。最終日だ! 頑張ろう!」
「はい!」
息吹さんの声を合図に皆がキビキビと動き出したので、僕も花のコンディションを確認するためにくるりと背を向けると、背後に強い視線を感じた。
「あの……僕に何か」
「ふぅん、葉山くんはあまり驚かないんだな。病室でも全く気付いてなかったし」
「……すみません。僕はそういうのに疎くて。ただ花のことで頭が一杯でした」
『加々美』という苗字は滅多にいない。それに加々美花壇が会長を筆頭とする一族の同族会社なのは知ってはいる。だからこの『加々美 息吹』という男性も、間違いなく一族の人間なのだろう。
「俺は会長の孫だよ」
「……そうなんですね」
「あれ? やっぱり驚かないんだな。妙な媚びを売らないし、気に入った。だが……どうしてそこまで無関心でいられる? 理由は? 今回の手柄を売り込めば、出世の近道になるかもしれないのに」
挑むように問いかけられても、僕は怯まない。
「僕は花に触れる手が必要なことしか求めていません。息吹さんも、そんなに自分を偽らなくても大丈夫ですよ。あなたが純粋に花を愛する人なのを知っていますから」
「なっ……」
息吹さんが顔を赤くする。
「ははは、息吹、これは一本取られたな」
「お祖父様!」
「あ……会長……」
そこに現れたのは、初日にここで会ったきりだった会長だった。
「息吹、本当に無事で良かった。心配したぞ……今日から復帰か」
「はい、会長! また現場で頑張らせて下さい」
「あぁ、花を扱う会社のトップにいずれ立つには、経営者自ら率先して土に触れ、花に触れないと駄目だ」
「はい!」
高齢の会長自ら、作業服姿で大きなじょうろを持っていた。
『花は人々の感動を伝え、心と心を結ぶ力を持っています。だからこそ、加々美花壇の社員は、土に触れ、花に触れ、花の咲く世界の優しい住人でありたいのです』
あぁそうだ……この企業理念が好きで、選んだ会社だったな。
「君は……確か葉山くんだったね」
「はい」
「葉山瑞樹くん……」
「あ、はい」
流石に気が引き締まる。
「なるほど、確かに……可愛いラナンキュラスの妖精だね」
いきなり妖精と言われても……返答に困る。
「え? えっと……」
「はははっ、君の大沼での活躍は聞いているよ」
「え?」
「北海道の兄が絶賛していたよ」
それは……大沼のラナンキュラスの生産者のことで、社長の兄だと仰っていた。あ、そうだ。夏前に社長を息子さんに譲り、会長になられたのだった。
「君を花農家に引き抜きたいと言っていたよ」
「ええっ」
「それより、会長、葉山くんを俺の下に配属させてくれませんか。彼の心意気が気に入りました。大阪へ人事異動をお願いしたいです」
「ええっ」
僕の知らない所で話が進みそうで、顔が引き攣った。
そんなことになったら宗吾さんと芽生くんと一生離れ離れだ。
この1ヶ月だけでもかなり辛かったのに……そんなことは今の僕には堪えられそうもない。
昨日フラッシュバックを起こしたばかりの身体が、拒否反応を示す。
そんなの……いやだ。
「会長、今回のパビリオンの花を見て下さい。どの花も俺の想像以上に生き生きとしている。彼は『グリーンハンド』の持ち主ですよ。こんな逸材放っておくわけには……俺が目を掛けて育ててやりたいです」
緑の手を持つ人と言われるグリーンハンドは、植物と対話するかのように接し、植物を枯らさず上手に育てられる人のことで、枯れかけた植物を元気にするだけに留まらず、株分けまでも上手で、どんどん増殖させていく。
そんな風に言ってもらえるのは光栄だが……
「あの……せっかくの申し出ですが、僕には……無理です」
「どうして?」
そこに会長の声が届く。
「息吹、お前はまだまだだな」
「どうしてですか」
「花には、その花にあった土壌が必要なのを知っているだろう? 植物だからといって全て日当たりの良い場所を好むわけではない。静かな日陰が好きな植物もいるのを忘れたのか」
「あっ……」
話は僕に振られる。
「葉山くんは好む環境やそれぞれの植物に必要な環境を作ってあげることが得意のようだが、自分のこともよく分かっていそうだね」
会長の目は穏やかだった。ここは……正直に答えても良さそうだ。
「はい……僕がもしも植物なら、現状維持の状態を望んでいます」
「どういう意味だ?」
「今……何も刺激を与えないことが一番必要という状態です。ですから……どうか、このままそっとしておいて欲しいのです」
「ほう、そういうわけなのか。余程いい土壌と環境の元にいるようだ。息吹は諦めなさい。その代わり……お前は意識を取り戻した片割れと……次も同じ仕事をしなさい。この先もずっとお前たちのバディは解消しなくていい」
「お……お祖父様……違った……会長、ありがとうございます。アイツと組んでいんですか。この先もずっとずっと……」
「あぁ、息吹の生涯のペアなんだろう?」
「はい!」
息吹さんの声が潤む、
意識を取り戻したばかりの彼との関係は、どうやら……とても深いようだ。
****
「パパ、お兄ちゃん、どこかな?」
「おかしいな? ここが加々美花壇のブースなんだが、見当たらないな」
パビリオン開園と共に芽生と喜び勇んで入場したが、瑞樹の姿が見つからない。
「あ、かんのくんだ」
「お! 丁度良かった」
「おーい!」
菅野くんに教えてもらった場所に行くと、瑞樹が二人の男性に囲まれて、困った顔をしていた。
な、ななな、なんだ‼
一人は30代の精悍な男で、もう一人は白髪の紳士だ。
「あっ新手のナンパか」
動揺して口走ると、菅野くんに笑われた。
「んなはず、ないっすね。あれは……我が社の会長と孫ですよ」
「どうして、そんな人に瑞樹が囲まれてんだー!」
「ええっと、それは瑞樹ちゃんが可愛いから?」
「お、おい、真面目に教えてくれ」
「……きっとスカウトされているんですよ。大阪に来いと」
「え!」
それはないぜ!
俺たちやっと1ヶ月ぶりに元に戻れるのに。
サラリーマンに転勤はつきものといっても、それは駄目だ。
地団駄を踏んでいると、瑞樹がぺこりと頭を下げてこちらに向かって、タタッと走ってきた。
「あ、お兄ちゃん!」
「芽生くん! 宗吾さん! 来てくれたのですね」
「瑞樹……今、何を話していた?」
「あ……大阪に来ないかって誘われて……」
菅野くんが言ったことは、図星か。
「そ、それで……何と?」
「くすっ、丁重にお断りしました。僕は宗吾さんと芽生くんの元じゃないと……すぐに枯れてしまいますからね」
ニコッと可憐に微笑む瑞樹は、天使のようだった。
今すぐ連れて帰りたいほど可愛い、俺の男だ!
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