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実りの秋 15
「母さん、そろそろ行きませんか、せっかくなら最初から見たいし」
「ちょっと待って。持って行きたいものがあるのよ」
台所に向かうと、憲吾が暖簾からヒョイとを出して、興味深そうにあたりを見渡していた。
「もしかして、何か作ったんですか」
「そうよ。箸休めに蕪の浅漬けをね。お弁当はあの二人が頑張るというので、私からのささやかな差し入れよ」
「いいですね。それ、お母さんの十八番だ。私も好きですよ」
「そうだったわよね。あ! あとお父さんにも報告しないと」
今日は可愛い孫の運動会。
私は仏壇の前で、主人の写真を見つめたわ。
お父さん、行ってきますね。
あなたが亡くなった時、まだ小さかった芽生がもう小学2年生なんですよ。とても利発で優しい子に成長しています。
宗吾はあれから随分変わりましたよ。本当にいいお父さんになりました。それはね、あの子のパートナー瑞樹くんのお陰です。だからもしも天国で瑞樹くんのご両親に会ったらくれぐれもお礼を言って下さいな。
それにしても……
逝ってしまうの、少し早かったわね。
もう少し、もっと一緒にいられたら、見える景色も随分違ったでしょうね。
さてと、あなたの分も私が見ていきますよ。
仏壇でしっかり手を合わせて、家を出た。
「ところで憲吾? どうしてそんなに大荷物なの?」
「あぁ、これは大半が芽生の運動会のご褒美ですよ」
「まぁあなたが用意したの?」
「可愛い甥っ子ですからね。母さん、私は……私の祖父からしてもらったことをしているだけですよ。つまり父さんの代わりです」
「まぁ、あなた……小さい頃のこと覚えているのね」
「えぇ、祖父は父にも増して厳しい人でしたが、ここぞというところで甘やかしてくれましたよね」
「お義父さんはそういう人だったのよ」
「懐かしいです、運動会の後にもらった大きなお菓子袋が」
「まぁ……憲吾は当時、顔色一つ変えなかったのに?」
「……心の中では、私だってジャンプしていました」
「そうだったのね、目に見えるものが全てじゃないのに……子育て中って駄目ね」
「大丈夫ですよ。それも今の私には理解できます。父となりいろんなものがあらゆる方向から見えるようになりました」
美智さんと彩芽は後から来ることになっていたので、憲吾と久しぶりに二人で歩いたわ。
二人だけの懐かしい思い出を語りながら。
こういう時間も大切よね。
大切な息子ひとりひとりに、丁寧に向き合うことの大切さ。
瑞樹くんがそうしているように、してみたの。
私も瑞樹くんから、多くのことを学んでいるのね。
****
「瑞樹! こっちこっち!」
運動会の受付を済ましてキョロキョロしていると、大きな声で呼ばれた。
ジーンズに緑色のパーカー姿を腕まくりした宗吾さんが、明るく手を振っていた。
「宗吾さん!」
「いい場所が取れたぞ」
ちょうどコーナーを曲がりきった直線部分の最前列に宗吾さんは立っていた。
「わぁ、すごいですね! ここならリレーがよく見えますね。日当たりもいいし」
「うんうん、君に褒めてもらえると頑張った甲斐があったよ。荷物重たかっただろう。持つよ」
「大丈夫ですよ」
「いいからいいから。ん? 瑞樹、ペットボトルの保冷バックは?」
「あっ!」
しまった、お弁当に気を取られて玄関に忘れてしまった。
「俺、ひとっ走りして取ってくるよ」
「忘れたのは僕です。僕が行きます」
「気にするなって、俺が持って行くべきだった」
「宗吾さんは机や椅子やシートで大荷物でしたから……」
しゅんと項垂れていると、トントンと肩を叩かれた。
「瑞樹くん、あー コホン」
「憲吾さんとお母さん! こんなに早くからいらして下さったのですか」
「あぁ、芽生の入場から見たくてな」
「嬉しいです!」
憲吾さんが僕をじっと覗き込む。
「瑞樹くん、今の話、聞いてしまったんだが、これ……役立つか」
「え?」
憲吾さんが差し出してくれたのは、よく冷えたペットボトルのお茶だった。
「こんなに沢山!」
「これで足りそうか」
「充分です。でもどうして?」
「私はあらゆるパターンを想定するのが趣味でな。お弁当を沢山作ってくれてありがとう。お弁当に気を取られて忘れるものといえば、飲み物じゃないかと……」
「わ……恥ずかしながらその通りで……だから助かります」
宗吾さんがポカンと僕たちを見つめている。
「本当に俺の兄貴?」
「なんだ? 宗吾は失礼だな」
「いやいや……その柔軟な物腰。一体どうしたんだよ?」
「なぬっ? 人聞きの悪い」
「あなたたちは、もうっ」
お母さんが真ん中に入って、一件落着だ。
「あ、そろそろ入場です!」
「よしっ、席に着こう」
「お母さんは敬老席に行くか」
「私も……今年はあなたたちと一緒に観たいわ」
「そう言うと思って簡易椅子を用意したから、端で使ってくれ」
「まぁ宗吾ってば、優しいのね。運動会日和だし、観る方も楽しみましょうね。あら、みんな、上を見て」
お母さんの声につられて空を見上げれば、子供たちが描いた国旗がはためいていた。 青い空に、カラフルな国旗が綺麗だ。
「宗吾さん、でもあれって……見たこともない国旗ですね」
「あぁ子供達の理想の国を描いたって、パンフレットに説明があったぞ」
「理想の国って夢の国ですね」
「芽生のはさっき見つけたよ」
「どれです?」
宗吾さんが指差す方向に、四つ葉のクローバーが沢山描かれた国旗を見つけた。
『ぼくたちのしあわせな国』
芽生くんの笑顔が重なって見える。
「まぁ綺麗な色遣いね。芽生の絵がこんなに明るくなったのは、瑞樹くんと出会ってからよ。あの頃は……涙の色や灰色の雲とかばかりだったのに、綺麗で幸せそうな色ばかり使うようになったのね」
「そうなんですか」
「やっぱり芽生には瑞樹くんが必要ね」
お母さんがそう教えてくれると、嬉しさが空に駆け上るようだった。
いよいよ子供たちの入場行進が始まる。
「そろそろ2年生ですよ」
「芽生はどこかしら?」
「紅組です! 赤い帽子を被っています」
1年生より少し背丈が伸びた、2年生の入場が始まる。
一際赤い帽子が似合っているのが芽生くんだ!
「瑞樹、ビデオ、ビデオ」
「あ、はい! 僕は写真を撮りますね」
そこで二つ目の忘れ物に気付いた。
「あ……どうしよう……」
真っ青になっていると、頭上でカシャカシャと小気味よいシャッター音が鳴り響いた。
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