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幸せが集う場所 1
「美智、ここは私が計量しておくから」
「じゃあ彩芽を寝かしつけてきても大丈夫?」
「あぁ、計量は得意だ。1gたりとも間違わずにやるよ」
「そうね、憲吾さんは細かい仕事が得意だものね。じゃあ任せたわ」
ホームベーカリーを買ったのは私だ。後日芽生と話すためにも、私が作ってみたかった。
「憲吾、大丈夫? 何か手伝う?」
「母さんまで……なぁに大丈夫ですよ。この通り量って入れるだけでしょう」
「まぁそうだけど。そうね、憲吾は緻密な作業が得意だったわね」
「えぇ、だから任せて下さい」
強力粉に塩、砂糖、それから水にバターにスキムミルク。
よし! これで完璧だ。
「おっと危ない。ドライイーストを忘れるところだった。これで蓋をしてタイマーを入れてと……なんだ、案外簡単だな」
無事に動き出すのを確認してから、寝室に向かうと、彩芽がベビーベッドですやすやと眠っていた。そろそろベビーベッドも卒業だな。
「憲吾さん、ちょうど彩芽が眠ったので、手伝いに行こうと思っていたのよ」
「いや、もうセットしたから大丈夫だ。明日は焼き立てパンを食べられるぞ」
「素敵ね! 憲吾さん、ありがとう……大好きよ」
お? 美智が甘えてくれた。
「どういたしまして」
「嬉しかったわ。今までなら頭ごなしに駄目だったのに……本当に憲吾さんってば、変わったのね」
「……それは諸々悪かったな」
「いいの、私も冷たかったし……憲吾さん……」
「美智……」
芽生の退院を聞いて、美智も私もほっと一息つけた。だから久しぶりに夫婦の時間を過ごせそうだ。
「いいのか」
「えぇ……あのね……ちょうど妊娠しやすい時期みたい」
「そうか。そろそろ彩芽にも弟か妹が出来たらいいと思うんだが」
「私も賛成よ」
「……授かるといいな」
「えぇ」
大人の夜を過ごした翌朝。
私はワクワクと少年のように心を膨らませて目覚め、美智の布団をかけなおし、ぐっすり眠る彩芽の布団の整え、こっそりと台所に向かった。
タイマーが鳴るまで後15分か。きっと台所には焼き立てのパンの香りが充満しているだろう。
ところが……どうも様子が変だ。
おかしいな。焼き立て時間になっても香りがしない。
恐る恐る蓋を開けると、そこには……惨状が‼
「なっ、なんだこれは……っ」
粉のままの物体がパンケースの中にあった。
「何故だ? きちんと計量したのに……まさかこの私が失敗をするとは」
ガクッと膝をついて項垂れてしまった。
美智や彩芽を喜ばせようと思ったのに、一体何をどう間違えたら、こんなことになるのだ! 取り返しが付かないことをしてしまった。
「あらやだ。憲吾ってば真っ青。一体どうしたの?」
「か、母さん……無念です……大失敗です」
「はぁ? 大袈裟ね。まぁ、粉のままね。もしかしてドライイーストを入れ忘れたの?」
「入れました! 分量通り全て!」
母さんはパンケースを覗き混んで、「あら?」と不思議そうな声を出した。
「これ、どうやって掻き混ぜたの?」
「それは底に根がついていて回転するようです」
説明書はしっかり読んだ。一度読んだら全て頭の中だ。
頭の中だが……羽根をセットした記憶が……ないぞ!
「あぁ……なんてことだ。箱、箱は?」
「これ?」
「貸して下さい」
箱を振ると、ポロッと羽根が出て来た。
「憲吾ってば、入れ忘れちゃったのね」
「私としたことが……大失敗です」
大人になって、こんな失敗は初めてだ
恥ずかしくて死にそうだ。
どうしたらいいのか途方に暮れていると、母さんが動き出した。
「憲吾、母さんに任せなさい。捨てるのはもったいないわ。なんとか朝食にしてみるわね」
「私も手伝います!」
母さんと一緒にパンケースから木べらで生地を取りだして必死に混ぜて、牛乳と砂糖と卵黄を入れて更に混ぜ込んだ。
「うーん、このままだとまだ固いわね。卵白のメレンゲも入れてみましょう」
「メレンゲ? なんだか分かりませんが任せます」
「たぶんパンケーキみたいになるはずよ」
「流石です」
白いふわふわの泡は、メレンゲというらしい。それをさっくり混ぜてフライパンで焼くと、ようやくこんがりいい匂いがしてきた。
「ふふ、芽生の好きなパンケーキだわ。これ」
「彩芽が好きな絵本にも出て来ます」
「じゃあ、あーちゃんも喜ぶわね」
起きてきた美智と彩芽は、朝から私と母さんがパンケーキを焼いている姿に驚いていた。
「憲吾さん、パンじゃなくてパンケーキを作ってくれたのね。感動したわ!」
「パン、パン、ケーキ!」
彩芽も美智も笑顔だ。
だが、私は嘘がつけない。
「美智、すまない。本当は羽根を入れ忘れて失敗したんだ。それを母さんがパンケーキにしてくれて」
美智はそれでも微笑んでくれた。
「憲吾さん、謝らないで。あのね……結果じゃなくて気持ちが嬉しいのよ。あなたが率先してホームベーカリーを買ってきて、ドライイーストを買いに走ってくれて、計量もしてくれて……いいじゃない、パンケーキになっても……家族が美味しく笑顔で食べられるのだから」
「美智……ありがとう」
「私は……すまないより、ありがとうが好きよ」
「私もそう思う! 本当にありがとう。よし、皆で焼き立てパンケーキを食べよう!」
****
「瑞樹っ」
「あっ……そ、宗吾さん」
止まらない、止まらない。
瑞樹が愛おしくて――
唇を重ねれば重ねる程、心を持って行かれる。
薄く開いたキュッとしまった唇を割って口腔内に侵入し、舌を絡めて吸った。
甘い……
これは花の蜜を味わうようなキスだ。
「あ……っ」
瑞樹が鼻にかかるような可愛い声を出してくれる。
高揚する気持ちが抑えられなくなる。
「宗吾さん……も、もう出社しないと……駄目です」
「はぁ、だよな。この続きはいつだ?」
瑞樹が頬を染めて、俺を見上げてくる。
「僕も同じです。同じ気持ちです……ホッとした途端、宗吾さんが欲しくなっています」
「嬉しいよ。気持ちを揃えてくれてありがとうな。夜になったら抱いていいか
「は、はい……夜になったら……僕を抱いて……下さい」
「もちろんだ」
最後に約束のキスを一つ。
****
お友達に引っぱられるように教室に入ったよ。
「芽生の席、きれいにしておいたよ」
「ありがとう!」
ボクの机がある!
ボクのイスもある!
ボクのロッカーもあるよ!
ちゃんと全部あったよ!
それだけのことが、うれしいよ。
思わず机にスリスリしちゃった。
「ただいま、机さん」
そうしたら、朝の会で、先生がこう言ってくれたよ。
「今日から滝沢芽生くんが戻ってきてくれたので、クラス全員揃ったよ。本当に良かったね。さぁ、みんなで声を揃えて……せーの!」
「メイくん、たいいん、おめでとう! 今日からまたいっしょだよ」
クラスのみんなが声をそろえて、パチパチと手をたたいてくれたよ。
「わ! あ、ありがとう! もう元気だよ。またいっしょにおべんきょうしたり、あそんでね」
「もちろんだよ! さぁこれで元通りだよ」
先生、ありがとう。
ボク、本当は……ちゃんと元にもどれるかしんぱいだったんだ!
でもだいじょぶだったよ!
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