1415 / 1739
白薔薇の祝福 20
「芽生、支度は出来たか」
「うん!」
「どうかな?」
「ほぅ、かっこいいぞ!」
「えへへ」
芽生がニコニコ弾ける笑顔で、玄関に走ってきた。
今日は青いジーンズにオレンジ色のTシャツか。
実に子供らしく明るいスタイルで、よく似合っている。
そういえば宗吾が瑞樹と暮らすようになってから、芽生の服装の雰囲気がガラリと変わった。前妻と暮らしていた頃は、モノトーンの服ばかり着せられていたのを思い出した。あの頃の宗吾は滅多に実家に近寄らなかったし、私も全国を転々としていたので滅多に会うことはなかった。
生まれた時は流石に形式的に会いに行ったが、次に会ったのは父さんの葬儀だった。その後も法事などでたまに会う機会はあったが、私が無愛想な顔でじろっと見ると、おどおどした様子で母親の影に隠れてしまった。
あの頃の私は甥っ子に興味を持つことも親近感を抱くことも全くなかった。
だから幼い芽生を、まるで仕事中のように冷めたい目で見てしまった。
本当に反省している。
母さんが倒れた時、無理矢理連れて帰ろうとして泣かれたのは、当たり前だ。それまで突き放していた伯父がいきなり来いだなんて、驚かせてしまったな。
あれから改心したよ。
芽生が慕ってくれるから、私はどんどん変われる。
今日は思いっきり楽しい1日にしよう!
「憲吾、芽生、楽しんでいらっしゃい」
「母さん、美智と彩芽を宜しくお願いします」
「大丈夫よ、彩芽ちゃんはいい子だし美智さんも今日は落ち着いているみたい」
母さんの言葉に安堵した。
「行ってきます」
「いってきまーす」
「まぁ、あら? 憲吾ってば満面の笑みね。ふふ、いってらっしゃい」
出掛ける時は笑顔で。それは美智が彩芽を妊娠してから毎日心がけていることだ。
それまで、いつも仏頂面で出掛けていた。面白くもないシーンで笑うなんて無駄な動作だと切を排除していた。
私は自分勝手な人間だったな。
朝、世界はこんなにも希望で満ち溢れているのに。
なんでもない日常にこそ、とっておきの幸せが転がっているのに気付けなかった。
「ちょっと待って!」
美智と彩芽が玄関にやってきたので、私は二人にも笑顔を向ける。
すると笑顔はちゃんと返って来る。
笑顔のキャッチボールをしているようで、心が弾む。
「どうした?」
「憲吾さん、これ持っていって」
「ん?」
渡されたのはスポーツ観戦用のクッションだった。
「こんなの持っていたか」
「あら、覚えていないの?」
「さぁ?」
「そのうち思い出してね」
「なんだろう?」
美智が芽生の肩に手を置く。
「芽生くん、憲吾さんのことよろしくね」
「うん!」
「おいおい、逆だろう」
「ふふ、そうだった」
宗吾と瑞樹がいない状況の芽生の不安を汲み取り、場を和ませてくれる美智の気遣いが好きだ。そうだ、彼女のそういう所が好きで結婚したのだ。
「あ、あの時か」
「思い出してくれたのね。そうよ、あの時、買ってくれたものよ」
「随分前だ」
「ふふっ、劣化してなかったから大丈夫」
美智との初めてのデートは、柄にもなく野球観戦を選んだ。
話題を探さなくても共通の話題が出来るから都合がいいと計算していた。
ところが……大学野球の球場の座席は硬く途中で尻が痛くなってしまった。
そんな時に限って両チームとも毎回塁に出る長丁場となり、私は慣れない野球観戦にヘトヘトだった。
だが初めてのデートで尻が痛いなんて話題に出すのはありえない。
結果、ムスッとし、どんどん無言になってしまった。
そんな状況でトイレから戻ってきた美智が、そっと私に差し出したのは、これだった。
『ええっと、憲吾さん、こういうの敷いてみない?』
『え?』
『ペアだからつい買っちゃった! チケット代のお礼よ』
さり気ない心遣い、相手が負担にならない心遣いが出来る人だと惚れ増した。
美智とはこう見えても恋愛結婚だったんだぞ!
「おじさん、今、何か言った?」
「いや、なんでもない」
****
『さぁ、いよいよ白金薔薇フェスタの開幕です! 皆さんようこそ!」
開場を告げるアナウンスの声が聞こえてきた。
いよいよ始まる。
「葉山さん、宜しくお願いします」
「斉藤くん、頼りにしているよ。こちらこそよろしくね」
いつも社内でしているように挨拶すると、斉藤くんは真っ赤になって照れていた。ん? 僕、また何か変なこと言ったかな?
「葉山さんって、なんていうか……社内でファンクラブ出来てそうですね」
「え? なんで知って?」(あ、しまった)
「うわっ、やっぱりそうなんですね。ここにもファンの方が押しかけて来そうです。私はこのまま抹殺されそうだな」
「ははは……まさか」
早速お客様がいらした。
暫くすると薔薇のワンコインブーケの前には、長蛇の列が出来ていた。
「ここのレストランの白薔薇いつも綺麗で憧れていたんです」
「ワンコインなんてラッキー」
「安いー! ついてるな」
僕が用意した『柊雪』のブーケは飛ぶように売れ、コストパフォーマンスの良さも手伝ってか瞬く間に完売してしまった。
その後も作ってもすぐに売れてしまうので、ストック出来ない。
まずい……手が痺れてきた。
それに……なんだろう? 何かが……しっくり来ない。
「……困ったな。斉藤くん、この勢いだと作っても作っても足りないね」
「嬉しい悲鳴ですね」
「……うん、でも……これでいいのかな?」
「どういう意味ですか」
さっき……お客様が購入されたブーケを紙袋に逆さに突っ込み乱暴に扱っているのを見て、心が痛んだ。
「花束を作った状態で販売するのは簡単だけど……簡単に手に入り過ぎて『柊雪』の良さを伝えるのに、もう一歩ひねりがないような気がするんだ」
「うーん、私は花の知識がないのでよく分かりませんが、そういうもんなんですか」
「実際にお客様をお迎えして、お客様の反応で気付いたよ」
「なるほど、葉山さんは常に目の前で起きていることから、学んでいるのですね。勉強になります」
そんな話をしていると、約束通りくまさんとお母さんが来てくれた。
「お父さん、お母さん!」
「みーくん、ちょっといいか。さっきから見ていたが、その勢いで一人でブーケを延々と作り続けると、また手を痛めるぞ。だから下処理だけして、来た人に作ってもらうのはどうだ? せっかくフェスタだ。来た人も楽しめる参加型、体験型にあえてするんだよ」
「あっ、そうか! 白薔薇のブーケ作り体験ですか」
「そうそう、って、俺……余計な口出しをしたか」
「いえ! ありがとうございます。相談してきます」
お父さんのアドバイス、僕には思いつかなかった。
今回のイベントで、ブーケを作れる人は僕ひとり。
斉藤くんという助手はいるが、彼に花の知識はない。
このペースで連休中働いたら、僕のこの手は、もたないかもしれない。途中で故障して、仕事を投げ出すわけにはいかない。
いつの間にか雪也さんも来てくれた。
「瑞樹くん、そうするといい。僕ももっと早く思いつけばよかったよ」
「雪也さん、よろしいのですか」
「もちろんだよ。さっきから見ていたが、その方がよさそうだ。宗吾さんにすぐに連絡を取って許可してもらおう」
「ありがとうございます」
『柊雪』は海里先生と柊一さんが生涯愛した尊い薔薇だ。
だから、もっともっと花びら1枚1枚まで大切に扱って欲しい。
心をこめて束ねて欲しい。
同じ花はない。
大切にして欲しい。
優しく接して欲しい。
人も薔薇も同じだ。
ともだちにシェアしよう!