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白薔薇の祝福 22
芽生としっかり手を繋いで人混みをかき分け、なんとか東京ドリーム内に入場出来た。
「おじさん、すごい人でドキドキしたね」
「大丈夫だったか。おじさんの足早くなかったか」
「うん! ちょうどよかったよ。おじさんがいてくれたから安心だったよ。ボク、今すごくワクワクしているんだ!」
「そうか、よかった」
私を100%信頼してくれる芽生の瞳。
溌剌とした眼差しに、小さな感動を覚えた。
「芽生はやっぱり宗吾の小さい頃に似ているな」
「そうかなぁ? よく言われるよ」
「あぁ、大事にしてほしい。何事にもワクワクする気持ちを持つのは大事だ」
私はずっと年の離れた好奇心旺盛な弟の扱いに困惑していた。
緻密に調べるのが好きな私にとって、いつも大きな夢を抱えた弟は扱いにくかった。
それでも幼い宗吾は無邪気に慕ってくれた。
……
「にいちゃん、にいちゃん、あそぼうよ! こうえんいって、たんけんしようよ」
「……兄さんは忙しいんだ。宿題があるから行けない」
「……そっか」
……
いつも勉強を理由に誘いを断り、宗吾をどんどん遠ざけてしまった。
思えばあの頃から上手くいかなくなってしまったのだな。だが今なら……宗吾の気持ちがだいぶ分かるようになった。
宗吾家族を通じて、興味を持って世の中を見渡すと、新しい発見や出会いと出会うチャンスが増え、毎日が充実していくことを知った。
私は勉強しテストで評価されるのが好きだったが、次第に毎日が単調でつまらなくなってしまった。
仕事に追われ、仕事にのまれ、妻とも上手くいかなくなってイライラしていた。
そんな時に瑞樹と出会い、離婚して大変だったはずの宗吾と芽生が幸せそうに暮らしていることを目の当たりにした。
最初は眩しかった。少し妬ましいとも……
だが瑞樹の清純さとひたむきさに心を打たれた。
なるほど、人に興味を持つと必然的に好奇心が芽生えるのだな。
私も心から笑ってみたい。
妻を以前のように笑わせてみたい。
嬉しいこと、楽しいこと、美味しいこと、可愛いこと。
世の中に溢れる心がワクワクすることに、自分から歩み寄って触れてみたくなったのだ。
芽生の存在も、その一つだ。
「おじさん、上を見て! あれってどうなってるの? 気球みたいにふくらんでるよ? フシギだねぇ」
よし! ピンポイントで来た!
実は聞かれると思って下調べしておいた。
「コホン、ここは空気の圧力差で屋根を支えているんだ。つまり加圧送風ファンでずっとドリーム内に空気を送り込んで、中の気圧を外よりも少し高くして支えているんだ。ちなみに屋根膜にはフッ素樹脂コーティングしたガラス繊維膜材を使用している。それを28本のケーブルによって支えている。総重量は400トンにも達し……」
延々と説明して、しまったと思った。
小学3年生には理解出来ない内容だ。こんな難しいことを延々と説明したって面白くないだろう。つい夢中になってまた失敗してしまった。
「芽生、悪かった」
「え? おじさん、どうしてあやまるの? 」
「つまらないだろう。私の話はいつも……」
「ううん、すごいなぁっておもったよ! おじさん、いっぱいお勉強しているんだね。ちょっとむずかしい言葉もあったけど、すごくワクワクしたよ。大人の人ってすごいね。ふうせんみたいに屋根をふくらませることをおもいつくなんて」
芽生の瞳は輝きを失ってなかった。
「そ、そうか。よかったよ」
「ワクワクすると、いろんな発見があるんだね」
「そうだな。それはおじさんも同感だ」
芽生からも学ぶことだらけだ。
物事を素直に捉えて、感動することの大切さ。
芽生の心は柔軟に優しく育っている。
宗吾と瑞樹の愛情の賜なのだろう。
「さぁ、座席に行こう。おじさんは月ハムのファンだから3塁側にしたよ」
「わぁ、ワクワクするよ」
「おじさんもワクワクするよ」
ワクワクと声に出して見るのもいい。
大人になって使わなくなった言葉も、また使ってみよう。
****
俺とさっちゃんは『白金薔薇フェスティバル』に意気揚々とやってきた。
「なんだかワクワクするわ」
「俺もだ」
「私ね、子供達が小さい頃、合唱コンクールや文化祭などの行事案内を眺めては溜め息をついていたの……どうせ行けないんだって。でも今はこうやって息子の活躍を見ることが出来るのが嬉しいわ」
「そうか、じゃあ今日はガン見しよう」
「やだ、怪しい人になっちゃう!」
そんな軽口を叩いて、やってきた。
「あ、あそこよ。白薔薇のブーケを瑞樹が売っているわ」
「あぁ、みーくんと白薔薇って、よく似合うな。しかし大行列だな。俺たちも並ぶか」
「うーん、まだいいかな。少しここから見守りたいわ」
「そうだな」
俺たちは優しい眼差しで、一生懸命に働くみーくんの姿を見つめた。
あの小さかったみーくんが働いている。
俺がおむつを替えて離乳食をあげた赤ちゃんだったみーくんが……
それだけで、もう涙腺が緩むよ。
涙が零れないように空を見上げると、青い空には真っ白な雲がぷかぷか浮かんでいた。
大樹さん、見えますか。
幼かったみーくんも、もう立派な社会人ですよ。
いい眼差しをしています。
お客様一人ひとりに微笑みを向けています。
みーくんの……あの、はにかむような笑顔を、大樹さんも澄子さんも心から愛していましたね。
分かります。
みーくんの微笑みは愛らしくて、見る人の心を癒やすものです。
見ていると、日常を平穏に送れることに感謝したくなります。
「すごい行列ね」
「あぁ、生産が追いつかないようだな」
「……」
白薔薇のミニブーケはワンコインという破格の値段設定も相まって、大人気で列はどんどん伸びていった。なかなか話しかけるタイミングがないので、俺たちは1時間はゆうに同じ場所に立っていた。
お互い、そうしたかった。
いつまでも眺めていたい可愛い息子なんだよ、みーくんは。
「あら?」
「ん?」
「瑞樹、疲れてない?」
「さっちゃんもそう思ったか」
「あれだけの花束を作り続けたら、誰でも手が疲れるわ。瑞樹の場合、人より疲れやすいのよ……あぁ、見てられないわ。あの子の手……動きが鈍いわ」
「行こう!」
無理に無理を重ねてしまう性格なのは知っている。
辛くても我慢してしまう性格なのも知っている。
だからこそ、こんな時こそ、俺たちの出番なんじゃないか。
「みーくん」
「瑞樹」
俺たちは声を揃えて歩み寄った。
そして閃いたことを提案し、手を差し伸べた。
俺たちも、まだ出来ることがある。
それが嬉しかった。
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