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白薔薇の祝福 38
「さっちゃん、ここを持っていてくれるか」
「ここ?」
「あぁ、助かるよ」
「大工の知識はないけど、私でも役に立つのね」
「もちろんだ。俺はもうひとりじゃないと実感できる」
「私も同じよ」
くまさんの家具作りの手伝いをしていたら、緑のポロシャツに銀色のエプロンをした瑞樹がやってきた。
ふふ、相変わらず可愛らしい顔ね。
そして、いつものはにかむような笑顔を浮かべているわ。
いくつになっても変わらない可憐な瑞樹。
この笑顔を初めて見た時は、胸がキュンとしたわ。
この子をもっともっと笑わせてあげたい。
そう思ったのに、現実は厳しかった。
女手一つで育ち盛りの男の子を三人にも育てるのは想像よりもずっと大変で、息子たち一人ひとりの心のケアまでは行き届かなかった。
絵に描いたような……その日暮らしのあくせくとした日々だった。
「お母さん、今、いいですか」
「どうしたの?」
「あの……僕……お母さんに次のワークショップに参加して欲しくて」
「え? 私はいいわよね。次の回には芽生くんと宗吾さんのお母さんが参加するのでしょう」
「……これチケット。もう手配したんだ」
「瑞樹……」
あら? 珍しい。
いつになく堅い意志なのね。
「じゃあ遠慮なく参加させてもらうわね」
「よかった! お母さんに見て欲しくて……僕の今の姿を」
「分かったわ」
「お母さん……ありがとう」
瑞樹が私の手をキュッと握る。
静かな口調で、確かな言葉を伝えてくれる。
「お母さん、僕が今、こうやって花の仕事に携われているのは、お母さんのおかげだよ。お母さんがこの世界に足を踏み入れるきっかけを作ってくれたんだ。僕を導いてくれてありがとう」
「そんな……大袈裟よ」
「僕に花の名前を教えてくれたのも、花に触れさせてくれたのも、全部お母さんです。その気持ちを込めてワークショップの講師をするので見て欲しくて」
授業参観や運動会も行けなかった私に、見せてくれるのね。
あなたの成長を――
「さっちゃん、行っておいで。君が育ててくれたお陰で、みーくんは優しい天使のままだ」
「勇大さん、ありがとう」
「楽しんでおいで」
「えぇ」
勇大さんと一緒になってから、私は私を許せるようになった。
過去の後悔に押し潰されそうな日々だったのに、勇大さんと一緒に出来なかった事をしてみたくなった。
フットワークが軽くなった。
だって、私には、まだまだやれることが一杯あるのですもの。
残りの人生は勇大さんと共に悔いなく過ごすために、毎日を丁寧に過ごし、小さな幸せに感謝して、小さなことに目を向ける日々を心がけたいわ。
ワークショップが始まると、瑞樹がすぐに登場した。
「お花にも、それぞれ個性があります。この薔薇は縁あってあなたと巡り会えた花です。その花の気持ちになって、一番気持ち良い、落ち着く感じにまとめてあげてください」
顔をあげて明るい表情で、花へ対する情熱を熱心に語る姿に感動したわ。
いつも俯いて恥ずかしそうで、小さな声しか出せなかった幼いあなたは、葉の下に隠れてひっそりと花を咲かせる『君影草』のようだったわ。
君影草はスズランの別名で、花言葉は「純潔」や「癒やし」「謙遜した美しさ」「謙虚」と、見た目の可憐な美しさにピッタリの花言葉を持っている。花言葉にはもう一つ……「再び幸せが訪れる」という意味もあることを、あの日のあなたに伝えてあげたかったわ。
やっぱり私はまだまだやることがあるわ。
私は成長した瑞樹から目が離せない。
瑞樹は私に敬意を持って、丁寧にお辞儀をしてくれた。
感無量で呆然としていると、勇大さんがやってきた。
「さっちゃん、どうした? 手が止っているぞ」
「あ、瑞樹があまりに立派になっていて感激しちゃって」
「あぁ、俺も後ろで聞いていたが驚いたよ。人前で堂々と話すみーくんは、人を惹き付ける魅力溢れる青年だ。まるで若かりし頃の大樹さんのようだよ」
「あの子随分しっかりしてきたわ」
「みーくんは今、大家族の中で、愛し愛され、のびのびと生きているからな」
「そうね」
「よし、俺は家具作りの続きをしてくるから、頑張ってくれ」
手元の白い薔薇を見つめると、自然と笑みが零れた。
白は何色にも染まることができる基礎の色。
瑞樹のように、私も過去の後悔を潜り抜け、心を洗濯して真っ白にしたいわ。
「出来たわ! 瑞樹、どうかしら?」
「お母さんの花束には慈愛で満ちています」
瑞樹の言葉は凪……
心が凪いでいく、優しくなれる。
「まぁ、そんな風に言ってくれるのね。あなたはいつだって優しい子」
私は出来上がったブーケを、勇大さんにプレゼントした。
勇大さんは盛大に照れていたけど、白薔薇のブーケを持つ姿は素敵だった。
素朴な心の持ち主だから、白がよく似合うのね。
そして瑞樹の終わりの挨拶に、また私は感無量になった。
「さぁ、これでワークショップは終了です。今日作られたブーケは、あなたの大切な人に届けてもいいし、自分の宝物にしても良いと思います。花は人を癒やし、人を和ませる存在です。人は花と共に生きてきました。これからもこの先も――」
これからも、この先も――
瑞樹が未来へ向かって胸を張っている姿に、もう我慢できなくなり結局泣いてしまった。
あなたの成長を見せてくれてありがとう。
瑞樹は私の自慢の息子よ――
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「お兄ちゃん、そろそろ帰るね。今日はおばあちゃんとデパートに寄って、おもちゃを買ってもらうの」
午後のワークショップの準備をしていると芽生くんがニコニコ笑顔で教えてくれた。
「それは良かったね。気をつけていくんだよ」
「瑞樹、ワークショップもあと1回、イベントも今日までね。ベストを尽くしてね」
「はい! 最後まで心を込めます」
「じゃあ芽生とお買い物をしてくるわね」
雪也さんの計らいで、車で銀座まで送ってもらえるそうだ。炎天下、心臓が少し悪いお母さんには無理をさせたくなかったので、本当に嬉しい心遣いだ。
「お兄ちゃん、ボクもおとぎの国の馬車に乗れるんだよ」
芽生くんとお母さんを見送り、一度控え室に戻りポロシャツを着替えた。だいぶ汗をかいてしまった。
ポケットからスマホを取り出すと、メールが届いているのが分かった。
差出人は……
花のコンテストの応募結果がついに届いたようだ。
だが僕は、すぐに結果は見なかった。
もし選ばれていたら有頂天になってしまうし、駄目だったら落ち込んでしまうだろう。
今はまだ仕事中だ。
結果によって感情を乱したくない。
フラットな気持ちで、最後のワークショップに向き合いたい。
深呼吸して、スマホの画面を閉じた。
さぁ、行こう!
いよいよ最後だ。
この数日間ひたむきに頑張ってきた集大成だ。
今、この瞬間を大切にベストを尽くそう!
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