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ムーンライト・セレナーデ 26(月影寺の夏休み編)
「流、着替えさせておくれ」
「あぁ、さてと何を着せよう?」
「流の見立てたものは着心地がいいから、何でもいいよ」
「そうだ、翠も今日は作務衣にするか。実は俺と色違いを誂えたばかりなんだ」
「うん、いいね。それにしよう」
流によって袈裟を勢いよく脱がされた。
あまりに潔いので、羞恥心も吹き飛ぶよ。
「流、何も、そんなに慌てなくても」
「悪い、ゆっくり脱がすのは興奮するから、さっさとしないと」
「馬鹿」
「あぁ、やはり暑かったようだな」
「ん……」
「背中を……拭いてやる」
じっとりと汗ばんだ背に、硬く絞ったおしぼりをあてられた。
「今日はスースーして心地良いね」
「これは薄目の薄荷水で絞ったおしぼりだ。瑞樹くんから北海道のハッカスプレーをもらったので使ってみたのさ」
「なるほど、爽快だ」
「翠……今年のお盆は特にハードだったな。身体は疲れていないか」
「大丈夫だよ。流がいつも傍にいてくれるから元気をもらっているよ」
「そうか」
流の手が、そのまま下半身の際どい部分に降りてくる。
「この部分はデリケートだから、薄荷水はダメだ」
「ふふ、流に任せるよ……あっ、そんな所まで」
茂みを掻き分けてくる手……
僕は感じないように精神統一した。
「それにしても、まさか『おもてなし』をするつもりが、される方になるとは驚いたな」
「そうだね。だが……それもまた『おもてなし』の心では?」
「確かに、そうかもしれないな」
「そうだよ。お互いをお互いを思っているのだから」
『おもてなし』とは相手へ敬意を持ち、心を働かして、精一杯手を尽くすこと。つまり『サービス』をして対価を得る行為ではなく、相手への優しさや慈しみの心を込めたもの。
僕の視力が回復した後、流と目指したのは、まさに「おもてなし」の寺だ。
月影寺の中にお互いがお互いを大切に想い合う場所を作りたい。
もう誰も傷つかず、誰も泣かない、誰も我慢しない。
ここだけは男同士が愛し合うことを理解してくれる、しあえる寺でありたい。
人は『理想郷』だと笑うかもしれない。
万人に理解してもらうつもりは、最初からなかった。
僕が張り巡らせた結界の中で自由でいられるのならば……それでいい。
無理はしない。出来る範囲のことに手を伸ばそう。
「翠、行こう」
「うん」
手を繋いで玄関で下駄を履いていると、薙が部活から帰って来た。
「ただいま!」
「あっ、薙!」
慌てて手を離そうとしたが、流は離さなかった。
薙も僕達が手を繋いでいるのを見つけたようだが、別段驚きもしない。
「二人で仲良くどこ行くの?」
「ナイトピクニックだよ。薙も行こう」
「なにそれ? 楽しそう!」
「おいで」
「うん!」
手招きすると、薙も僕の腕にくっついてきた。
最近の薙はスキンシップが好きらしい。
僕の心に日が差す。
「父さん、夜のピクニックってお酒が出てきそうだね」
「薙はまだダメだよ」
「分かってるよ~ 二十歳になったら一緒に飲もう、もう数年だよ」
「そうか、もうあと数年か」
軽口を叩きながら指示された会場に辿り着くと、そこに広がる光景に驚いた。
ここは本当に月影寺なのか。
竹林にはクリスマスのような照明が灯り、赤いレジャーシートの上にはキャンドルのような灯りが点々と灯っている。
大きな籐のバスケットがいくつも置かれ、BARまで。
一体いつの間に、こんな準備を調えたのか。
ここまで素晴らしいおもてなしを受けたことはない。
「流、すごいね」
「あぁ、流石だな。きっと宗吾が企画して、皆が知恵を持ち寄り、作り上げてくれたんだな」
僕達に気付くと、皆、優しい笑顔を浮かべてくれた。
夕暮れに照らされた笑顔は穏やかで、「うっ……」と込み上げてくるものがある。
「翠さん、流さん、お帰りなさい」
「お帰りなさい」
「おかえりなちゃい」
「おかえりなさいませ」
様々な声が入り混ざって、優しいさざ波のように広がっていく。
僕たちもそれに応じるように返事をした。
「あ……ただいま」
「ただいま!」
「ただいまー!」
自然とほろりと涙が流れ落ちていた。
「翠……泣いているのか」
「嬉しくて」
「父さん、おれ……ここが好きだ。この寺の子で良かった」
「薙……流……僕は……幸せだ」
崩れ落ちそうになる僕の身体を、流と薙が支えてくれた。
****
「瑞樹、翠さんが泣いてしまったが……大丈夫だろうか」
「えぇ、いつも凜としている翠さんが、あんなに素直な感情を見せてくれるなんて驚きましたが、良かったなって思います」
僕もそうだったから分かる。
いい子でいないと……周囲に迷惑はかけたくない。
僕が我慢すれば済むことだ。
そんな偏った考えでは、人と人の間に歪みが生じてしまうことに気づけたのは、ここにいる宗吾さんと芽生くんのおかげだ。
心を開いて――
心を見せてもいいんだ。信頼できる愛する人の前では。
そう思えるようになったら、素直に泣けるようになった。
翠さんも今そのような境地なのだろう。
誰も急かすことなく、翠さんの気持ちが落ち着くのを待った。
今宵はナイトピクニック。
自然に更けていく時間に身を委ねよう。
静かに音楽が流れ出す。
桂人さんが静かに流してくれたBGMはジャズだった。
どこかで聞いたことがある楽曲だ。
「瑞樹、これは『ムーンライト・セレナーデ』だな」
「どういう意味でしたっけ?」
「『セレナーデ』は男性が恋する人の家の前で、求愛の歌を捧げる情景のことさ」
「そうでしたね。素敵な選曲ですね。この場にぴったりです」
流石、英国仕込みの執事さんだ。
音楽に耳を傾けていると、洋くんがそれに会わせて英語で歌い出した。
洋くんの歌声は、その美貌と相まって最高に美しい。
まるで天使の声だ。
I stand at your gate and the song that I sing is of moonlight.
Just you and I a summer sky A heavenly breeze kissing the trees.
……
天使の声は、優しい風を呼んでくる。
この風はきっと天国からのそよ風だ。
そよ風は木々に優しいキスをする。
そよ風は、僕達を優しく包み込む。
ここでは自由、ここでは自然で……
そう囁いてくれる。
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