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秋陽の中 7
「お兄ちゃん、このお花どうしたの?」
「昨日、お仕事で余ったのをいただいたんだよ」
「そうなんだ! お兄ちゃんが可愛いからサービスしてもらったんだね」
「えっ? えっと……」
ずばり、その通りだが、認めるのは恥ずかしい。
頬を染めていると、宗吾さんがやってきた。
「芽生、朝からいい調子だな。流石俺の子だ」
「えへへ、パパににて「さっし」がいいって、おばあちゃんが言ってたよ。そうだ、お兄ちゃん、このお花の名前はなあに?」
「せっかくだから一緒に調べてみる?」
「うん! じゃあお花の図鑑を持ってくるね」
芽生くんがパタパタと子供部屋に駆けていく。
その後ろ姿を、を細めて見守った。
輝く未来を背負う背中には、大きな白い羽が生えているようだよ。
窓辺に飾った秋桜は、秋風に揺られる可憐な花。
見ているだけで、心が和むよ。
淡いピンクや濃いピンクに紛れて、チョコレートコスモスも入っていた。
チョコレートコスモスは8月から10月にかけて咲く黒紫色の一重咲きの花で、チョコレートに似た香りがするのが特徴だ。
「クンクン、瑞樹から今日も甘い香りがするぞ。ん? 今日はチョコレートみたいだな」
「宗吾さん、それは僕ではなく、この花からですよ」
「なんだ? あんこみたいな色だな」
「くすっ、また、あんこに引き寄せられていますよ」
「うぉ! やっぱり洗脳されてしまったのか。俺まで、あんこが好きになりそうだ」
「くすっ、宗吾さんが好きなのは練乳ですよ」
はっ! 僕、また何を口走って!
「瑞樹ぃ~ ありがとうな」
「忘れて下さい!」
宗吾さん譲りのヘンタイ脳は、どうやら今日も元気らしい。
「くくっ、最近の君って最高だ」
「も、もう――」
「で、今晩は練乳をご所望かな?」
「してません!」
そこに芽生くんが図鑑を大事そうに抱えて戻ってきた。
僕がプレゼントした物を、ずっと大事にしてくれてありがとう。
僕自身が大事にされているような嬉しい気持ちになるよ。
「お兄ちゃん、いっしょに見よう」
「じゃあこのお花と似ているものを探してみようか」
「うん、ええっとね」
ページを捲る芽生くんの手。
まだまだ小さく可愛い手だ。
「もう3年生なのに」「もう9歳になったから」と芽生くんは言うけれども、せめて小学校の間は、まだまだ、もっともっと、甘えて欲しいな。
そうしていいんだよ。
君はとてもいい子だから、だんだん甘えるのを躊躇するようになってしまうかも。
そんな時は僕から手を差し出して、ギュッと抱きしめてあげよう。
遠い昔……弟が生まれてから甘え難くなってしまった僕を、母がいつも抱き寄せてくれたように。
ピクニック前夜の母の温もりを、ふと思い出した。
母はもう傍にはいないけれども、僕の心の中で注いでもらった愛情は育っている。
その愛を今度は僕が伝える番だ。
「あ、これかな~ さくら?」
「んー 惜しい! 芽生くん、桜が咲く季節はいつかな?」
「春!」
「じゃあ今の季節は?」
「もう秋! あ、秋のお花のページを見てみようっと」
「うんうん」
「あ、これかな? ええっと、コ……スモス?」
「そうだよ! 正解」
「わぁ~ あれ? 秋の桜って書くんだね」
コスモスの名前はギリシャ語の『Kosmos』が由来で、秩序や調和などの意味があり、花弁が規則正しく並ぶ様子からこの名前が付けられたとのこと。
日本名では『秋桜』と書き、『コスモス』と読むことが多い。
僕は『コスモス』という呼び方が好きだ。
手のひらの宇宙、コスモス。
広がりがある、ロマンがある。
「おーい、二人とも遅刻するぞ。今日はホットサンドを作ったぞ。おいで!」
「あ、はい! 芽生くん行こう!」
「うん。パパぁ~ 中身は何?」
「ウインナーとチーズとケチャップだ」
「やったー! 大好物!」
芽生くんがもぐもぐと美味しそうに頬張る様子を、宗吾さんと二人で見守った。
芽生くん、君が健康で元気でいてくれる。
それだけで僕たちは幸せな気持ちになるよ。
川崎病で苦しんだ日々を思い出すと、この何でもない日常、いつもの朝が愛おしい。
過ぎ去ったことだが、そのことは忘れないでいたい。
いつも通りでいられることに感謝を――
芽生くんをいつも通り送り出してから、僕たちも出発した。
今日の宗吾さんは大きなダンボール箱を抱えている。
「宗吾さん、重くないですか」
「あぁ、こんなのへっちゃらさ!」
駅前のコンビニに寄って、宅配便を出した。
軽井沢のいっくんの元へ。
「喜んでくれるでしょうか」
「きっとな! しかし子供の成長は早いから、服があっという間に小さくなるよな。前に送ったのは、もう着られないだろう」
「今日送ったのは芽生くんが4歳の頃に着ていたものでしたね」
「君と出会った頃に着ていた服が多かったな。整理していて懐かしい気持ちになったよ。あの頃の俺はシングルファザーで四苦八苦していた。新しい服を買いに行く暇もなく、随分長いこと窮屈なもの着せてしまって悪いことをしたな」
宗吾さんが自嘲気味に笑ったので、僕は首を横に振った。
「いいえ、宗吾さんは悪くありません。仕事と不慣れな家事の両立はさぞかし大変だったと思います。どんなに疲れて帰ってきても夕食の準備や入浴、寝かしつけが待っていたでしょうし、休日も掃除や洗濯であっという間だったのでは?」
「あぁその通りだ。流石の俺も体力と気力を使い果たして、あの公園でもうっかり転た寝をしてしまって……やっぱり悪いことをしたな」
「でも……そのおかげで芽生くんが僕を見つけてくれ、宗吾さんを呼んで来てくれました」
目を閉じれば思い出す。
爽やかな風が吹き抜ける海の近くの公園。
僕が膝を突いて慟哭した芝生の周りには、沢山のクローバーが群生していた。
「僕……宗吾さんのお役に立てていますか」
「瑞樹に役に立つとか立たないという言葉はしっくりこないよ。君は必要不可欠な人だ。もう離さないよ。ずっと傍にいてくれ」
駅へ行く道すがら、嬉しくて涙が零れそうになった。
まだほんの少し幸せに不安で臆病な僕に、宗吾さんはいつも根気よく教えてくれる。
俺がいるから大丈夫だ。
君はひとりじゃない。
君がいない日常は日常じゃない。
ずっと傍にいてくれと――
自信をもらっている。
宗吾さんから毎日注がれる愛情を、今度は僕も返していこう。
宗吾さんと芽生くん
大沼のお父さんとお母さん
広樹兄さん家族
潤家族
月影寺のみんな、洋くん、そして……
「管野! おはよう。ちょっといいか」
「おぅ、どうした? 今朝もご機嫌だな」
「これ、受け取って欲しい」
「え? なんだろう?」
「実は、姫路の『あんこ博物館』の後、翌日は神戸観光はどうかなと……気に入ってもらえるか分からないが、宗吾さんと神戸のパンフレットを作ってみたんだ」
パンフレットを差し出すと、管野は目を見開いた。
そしてとびっきりの笑顔を届けてくれた。
「瑞樹ちゃん、俺……こんなにしてもらっていいのか?」
「当たり前だよ。管野にはもっともっと幸せになって欲しい!」
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