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秋陽の中 9
「流さん、ここはどこですか」
「あぁ、もう銀座だぞ」
「あっ、あそこに『花村屋』の看板が! あのビルの中であんぱんを作っているそうですよー 美味しそうですね」
「おい、シートに涎を垂らすなよ」
「はぁい」
僕は流さんと銀座という場所にやってきました。
すごい人混みです。
交差点には人が溢れていますよ。
スーツを着た人も沢山いますね。
グレー、黒、紺……同じようなスーツばかりです。
大きな交差点は、どうやって渡ればいいのか分からないので苦手です。
進む道があり過ぎて、迷ってしまうのです。
僕の道はいつも1本だけです。
仏さまの道。
あんこの道。
進む時は真っ直ぐ潔く。
管野くんに向かっても真っ直ぐに。
あぁ、管野くんの優しい笑顔を思うかべると、また胸がドキンと跳ねましたよ。
変です、やっぱり。
「小森、駐車場に着いたから降りるぞ。どうした? ぼーっとして」
「流さん、僕……もしかしたら悪い病気かもしれません」
「どうした? あんこの食い過ぎで気持ち悪いのか。それとも食べ過ぎで腹が痛いのか」
「違いますよぅ」
首を振ると、流さんは急に真顔になって僕の額に手をあてました。
「熱はないようだが心配だな。銀座はやめて丈の病院に行こう!」
真顔で心配して下さるのですね。
ありがとうございます。
「ええっと、そうじゃなくて、なんでしょう? ここがそわそわするんです」
心臓の上に手を置いて訴えると、流さんが手をポンっと打った。
「小森、他にそわそわする箇所はないか」
「え?」
「よーく自分の身体を観察してみろ」
「あ……あれ? 僕……」
言われてみると、そわそわは胸だけでなく……
「流さん、僕、なんだか、おしっこにいきたいみたいです」
「お、おい、お前は子供か!」
流さんががっかりしていた。
「だってぇ、なんだか、そわそわもぞもぞするんですよぅ」
「はぁ、分かったよ。トイレに寄るぞ」
「はぁい」
トイレから戻ると、流さんが仁王立ちしていました。
ひょえ? どうして怒っているのでしょうか。
「あのぅ、どうしました?」
「お前に足りないのは色気だ! だから小森にはメチャクチャ色っぽいスーツをオーダーしてやる」
「色! 色が選べるのですね。じゃあ、あ……」
あんこ色はありますか!
と叫びそうになって、慌てて口を噤みました。
駄目、駄目ですよ。
今日はスーツを作るんです。
みんなが着ているような普通のスーツを。
「さぁ、ここだ。俺の先輩がやっているテーラーだ。ぴったりのサイズを作ってもらうぞ」
「わぁ、でも……高そうなお店ですよ。お金足りますか」
「心配するな。足りない分は、俺と翠からのプレゼントだ」
「わぁ、よろしいんですか」
「……小森は憎めない奴だな」
「えへへ、流さん、大好きですよ」
「やっぱり憎めない。帰りはあんこ尽くしだ」
「わぁい!」
石造りの重厚なビルの1階に通されました。
『テーラー桐生』
はぁ、これまた随分と大人なお店ですね。
「おぅ、流じゃないか。翠さんのスーツを取りにきたのか」
「それもあるが、今日は超特急便のオーダーをしても?」
「お前の頼みなら全力で引き受けるよ。何しろ俺たちは同志だからな。幸せそうだな、流」
「大河さんも上手くいっているようですね」
「まぁな」
なんだか大人な会話ですよ。
お寺の小坊主の僕がお邪魔してもいいのでしょうか。
「ん? ずいぶん天真爛漫の坊やを連れてきたな。寺の小坊主さんは、流の弟子か」
「翠の愛弟子だ」
「ええっと、僕は小森風太ですよ。僕はご住職さまと流さんの弟子です」
ぺこんと挨拶をすると、頭を撫でられた。
「可愛い子だな」
「実は彼は月末に旅行に行く予定で……その時に着ていくスーツをオーダーしたいんだ」
「へぇ、さぞかし大切な旅行なんだな」
「はい! 管野くんと愛を深める初旅行です」
「……なるほど、相手は管野くんか、よし、腕によりをかけるよ! で、どんなスーツにしようか。色の希望はあるかな?」
わぁ、オーダーってすごいです!
色も選べるなんて自由なんですね。
「あの、あの、あ……」
「あ?」
「あ、いえ、その、普通の皆が着ているスーツを作って下さい」
「小森?」
流さんが訝しんでいます。
でもこのお金はお母さんがくれたので、お母さんが喜んでくれそうな物がいいと思うのです。僕……間違っていますか。
「ふぅん、普通ね」
「はい」
「まぁ、お客様の希望は尊重しないとな。普通といえばグレーか濃紺になるが、とにかくサンプルを持ってくるよ」
鏡に映る僕は、鼠色のスーツ姿を試着しています。
「顔色が冴えないな。気に入らない?」
「ええっと、たぶん……これでいいのかと」
「紺色もあるよ。もっと濃いグレーもあるしブラックスーツも」
「うーん」
選択肢が多いのも苦手です。
僕の好きは揺らがないのです。
好きな物に向かってまっしぐらですよ。
「悪いが、どうもピンとこない。この子の淡い髪色やクリクリな好奇心旺盛な瞳を、グレーや黒で抑えこむのは勿体ない」
「さすが、大河さん、見破ってくれましたね」
流さんが嬉しそうに目を細めました。
「俺の直感で生地を選んでいいか」
「待ってました!」
「よし、待ってろ」
流さんの知り合いのお店で良かったです。
阿吽の呼吸ですね。
あれれ? 急に道が開けてきましたよ。
進むべき道が見えてきたようです。
大河さんが奥から布を抱えて出てきました。
その色は……!
なんと、なんとですよ。
「小豆色ですよ!」
「おぉ、君、若いのに見る目があるな。小豆色は小豆の実の色、つまり紫味を帯びた赤褐色のことさ。英名はアンティック・ローズと綺麗だが、和名は美味しそうだよな」
「ひょ~ ドンピシャですよ。大河さん、どうしてこの色の生地を?」
「それはだな、コホン……俺があんこ好きだからさ!」
「そうでしたっけ?」
「銀座には上手い和菓子屋が多くてはまったのさ」
「おおおおぉぉ」
地響きのような声を出してしまいました。
「では『花村屋』のあんまんも、『空八』の最中もご存じですか」
「当たり前だ。蓮のお気に入りの店だ」
蓮とは誰でしょう?
大河さんの大事な人のようです。
それにしても、なんと素敵なご縁なんでしょう。
あんこ好きの方に作っていただく、小豆色のスーツ。
「僕もあんこ大好きです。あんこちゃんは正義です!」
「ははっ、やっぱり面白い子だな」
「こいつは、大のあんこ党だ」
「よし、任せろ、とびっきり美味しそうなスーツを作るよ」
「やったー! やったー!」
万歳三唱ですよ!
「小森、涎を拭け!」
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「瑞樹、今日は一日中ご機嫌だったな」
「宗吾さん、旅行パンフを渡した時の管野の顔が本当に嬉しそうで……僕も幸せな気持ちになりました」
「そうか、良かったな」
布団の中で宗吾さんに抱き寄せられたので、そっと広い胸に頬を寄せた。
心臓の鼓動がトクトクと聞こえてくる。
子守歌のように……
「全部、宗吾さんのおかげです」
「そんなに喜んでもらえるなんて嬉しいよ。きっと二人にとって、いい旅になるよ」
大切な人の幸せを心から願える人になりたい。
大切な人の幸せを自分のことのように喜べる人になりたい。
それは僕に、幼い頃から根付いていた素直な気持ちだ。
「幸せは巡り巡るのさ」
「はい、そうですね」
「俺たちも役に立てそうで、幸せな気持ちだ」
いい旅になりますように――
月が満ちていくように、二人の想いも最高潮となりますように。
管野の想いが、どうか……どうか、今度こそ成就しますように!
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