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秋色日和 26
カメラを構えると、宗吾さんが僕の肩をポンと叩いた。
「瑞樹、頼んだぞ」
「はい!」
すぐに3年生の徒競走がスタートした。
「次のグループで芽生がくるぞ」
「はい!」
一旦、肉眼で確認した。
すると芽生くんが先頭で走ってくるのが見えた。
いい走りだ!
よし、今だ!
カシャ、カシャッ――
小気味良い音を立てて、連続でシャッターを切った。
綺麗なフォームでカーブを曲がっていくのがスローモーションのように見えた。
「おぉぉーーーーーーーー芽生ー がんばれ」
すごい気合いの入った声は憲吾さん?
わぁ、芽生くんこのままなら一位だね。
「芽生ー がんばれ」
「芽生、行けー!」
「芽生くん、頑張って」
僕たち3人のエールが届いたのか、芽生くんは無事に1位でゴールした。
「やった!」
「やったな」
「頑張りましたね」
僕たちは3人でハイタッチ。
勝っても負けてもベストを尽くすのが一番だ。
芽生くんは力を出し切ったらしく、いい顔をしていた。
もう、そのことで胸が一杯だ。
転んで悔しかったこともあったが、今日は全力で最後まで走ることが出来たね。本当に頑張った!
「芽生くんの成長を感じますね」
「そうだな。今日は転ばなかったな」
「はい、とてものびのびと走っていました。全力を尽くせたようですね」
「俺たちが見ているのが分かっていたから、励みになったんだろうな」
「あっ、確かに……そうかもしれません」
例え転んでも心配してくれる人がいる。抱きしめてくれる人がいる。
だから安心してリラックスして、自分のベストを尽くそうと集中できたのかもしれない。
僕はどうだったろう?
過去を探してみたくなった。
僕は足が速い方で、よくリレーの選手に選ばれた。
あれは小学校の運動会のことだった。
……
「あっ!」
リレーの最中に僕を追い抜かそうとしたクラスメイトが接触し、弾みで僕だけ派手に転倒してしまった。
一瞬何が起きたのか分からなかった。
ただすぐに起き上がり、歯を食いしばり走り続けた。
僕のせいで何かあるのだけは避けたい。
身体の痛みなんて関係ない。
とにかく遅れを取り戻そうと走り抜けた。
幸いなことに、大差なくバトンを繋ぐことが出来てほっとした。
終わってから、僕にぶつかったクラスメイトが謝りに来てくれた。
「わりぃ、さっきの大丈夫だったか」
「……う、うん。たいしたことないよ」
「あのさ、保健室に行くか」
「いや、大丈夫だよ。ちょっと足を洗ってくる」
本当は泣きそうな程痛かったけれども、涙はぐっと堪えた。
先生にもクラスメイトにも、余計な心配かけてしまうから。
足を水道で洗いながら、涙を零さないように気を引き締めた。
泣くな、瑞樹。
泣いても誰もいない。
だから……誰も抱きしめてくれない。
その時、急に恋しくなった。
お母さんのことが。
幼稚園の時、同じようなことがあった。
弟が出来て初めての運動会の徒競走で、転んで膝を擦りむいてしまった。
競技が終わるとすぐに先生に保健室に連れていかれ、そこにお母さんがすっ飛んできてくれた。
いつも夏樹を抱っこしているのにお父さんに預けたらしく、お母さんの手は両方空いていた。
「みーくん、痛かったでしょう。がんばったのね」
「ママぁ……だっこぉ」
弟が生まれてから初めてお母さんに甘えた。
自分から抱っこをせがんでしまった。
両手を広げると、お母さんがギュッと抱きしめて、「よしよし、いいこ、いいこ」って赤ちゃんみたいに可愛がってくれて嬉しかった。
水道で足を洗いながら、気づいたら泣いていた。
今は競技中で誰もここにはいない。
そして運動会には、僕の家族は誰も来ない。
だってもうこの世にいないから。
函館のお家の人も……みんな忙しそうだ。
僕はこれから先、いつもこんな風に一人なんだ。
そう思うとゾクッとした。
まだ小学生の僕にとって、それは暗黒の世界だった。
そこに大きな影が黒い影が現れた。
学ラン姿の広樹兄さんだった。
「瑞樹、さっきの痛かっただろう。よしよし、がんばったな」
「え……」
「ごめんな、遅れちまった」
「兄さんっ、広樹兄さん」
「そうだ。お前の兄ちゃんが来たぞ」
「ううっ……」
僕は広樹兄さんの前だと、何故か最初から泣けた。
だから兄さんの胸に縋るように大泣きしてしまった。
……
「瑞樹、どうした? ぼんやりして」
「昔を思い出していました」
「懐かしかったか」
「広樹兄さんが、転んだ僕を抱きしめてくれたんです」
宗吾さんは少し羨ましそうな顔をした。
「……瑞樹が今転んだら、俺が『いいこいいこ、よしよし』ってしてやるよ」
「え? どうしてその台詞を知っているのですか」
「んー あぁこれは世の中の共通言葉だぞ。きっと軽井沢の運動会でも飛び交っている」
「いっくん、今日はのびのび活躍しているでしょうね。パパとママもいるから」
「おじいちゃんも、おばあちゃんもいるしな」
いっくん――
君は僕と似ているから、もしかしたら君も同じような思いをしていたのかもしれないね。
僕よりもっと小さな時に――
いっくんにも芽生くんにも、寂しい思いはもうして欲しくない。
僕は、小さな子供の笑顔を守りたい。
僕が守れなかった家族の命の分も、今の僕が守れる小さな子供の心を大切にしたい。
****
「いっくんの次の種目はなんだ?」
「お父さんが伝授したあれですよ」
「おぉ、動物まねっこ競争か」
「走ってカードを引いて、そこに書いてある動物の真似をしながら戻ってくるんですよ」
「くまが出るといいな」
「確率は1/8ですが」
「そうかそうか、どんな動物でもいっくんがすれば可愛いさ」
お父さんもいっくんの可愛らしさがツボらしく、目尻に笑いじわを作りながら、ニコニコしていた。
「パパぁ、みててね!」
「おぅ、がんばれ!」
いっくんがバイバイしてくれるので、俺もブンブン手を振った。
よーいドン!
いっくんが走り出す。
カードは……おっし! 熊が出たぞ。
ところがいっくんは頭が真っ白になってしまったようだ。
本番に弱いタイプなのか。
「パパ、どうちよ? いっくん、わすれちゃった」
「ええ? あんなに練習したのに?」
そこにタイミングよくアナウンスが入る。
「上手にできない子はお友達や大人に教えてもらっていいですよ」
すると、くまさんがカメラを俺に託して飛び込んだ。
「おじーちゃん!」
「いっくん、こうだ」
「あ、しょうだった」
のっしのっし、のっしのっし。
くまさんが本気モードで四つん這いになって歩けば、いっくんは小熊モードで可愛くくっついていく。
流石、本場北海道仕込み、リアリティあるな。
「わぁ、上手ですね。熊の親子さん」
するといっくんが先生に声をかける。
「せんせ、あのね、くましゃんはね、いっくんのおじーちゃんなの。いっくん、おじーちゃんもできたの、かっこいいんだよぅ」
これは泣けるな。
くまさんも目頭を押さえている。
いっくんの幸せは、俺たちの幸せだ。
俺たちは、いっくんに幸せにしてもらってる。
いっくん、ありがとう。
何度でも言うよ。
いっくんと出逢えてパパたちはみんな幸せだ!
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