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冬から春へ 43
蓮くんに日比谷駅まで送ってもらえることになった。
「よし、こっちだ」
「あい!」
「ゆっくりゆっくり行くぞ」
「あい!」
蓮くんはいっくんの歩調に合わせて、ゆっくり歩いてくれた。
なるほど確かに子供に慣れているようね。
子持ちには見えないけれどもなぁ。
四丁目の交差点で信号待ちをしていると、いっくんがライオンの像を見つけて、後ずさりした。
「わぁ……たいへんでしゅよ」
「いっくん、どうしたの?」
「ママ、あぶないよぅ、あそこにライオンさんがいるよぅ」
「まぁ、あれは動かないわ」
「ほんと? ……ママ、おけがしない?」
いっくんは首を傾げながら不安そうに震えていた。
いっくんの背丈だと下から見上げることになるので、怖いのかもしれないわね。
すると蓮くんが背後からさっと近づいて、軽々といっくんを抱っこしてくれた。
「ほら、触れてみろ」
「あれれ? そっか、ライオンしゃん、いしでできているんだね」
「な、大丈夫だろ?」
「うん!」
そこでふと既視感を覚えた。
こんな光景いつか見たような。
「あっ、蓮くんのお嬢さんって、もしかして蓮くんにそっくりなの?」
「……娘だと話したか」
「あ、ううん、そんな気がしただけ」
なんとなく当時のことは黙っておこうと思った。
昔、一瞬すれ違っていたのね、私たち。
「ん? 菫、鞄の中で電話が鳴っていないか」
「え? あ、本当だ。潤くんからだわ」
「いっくんを見てるから、出てみろよ」
「うん」
電話に出ると、潤くんの弾んだ声がした。
毎日一緒に暮らしていたのに、離れ離れって寂しい。だから声を聞けるだけでも嬉しかった。
「菫! 朗報だ!」
「どうしたの?」
「菫が気に入りそうな家が見つかったんだ」
「えっ、どうやって見つけたの?」
「実は、アパートの焼け跡でばあちゃんに会って」
「ばあちゃんって?」
「ほら203号室のばあちゃんだよ。それで……俺が住む家が見つからないことを話したら、亡くなったダンナさんと暮らしていた家を譲ってくれるって……」
「え! 本当なの?」
「軽井沢の駅前の商店街から1本裏道で、1階で洋裁店をやっていたので、足踏みミシンもあって……全部使っていいそうなんだ」
洋裁店?
それは私がいつか見た夢よ。
美樹くんといつも話していた夢だった。
「菫はさ、いつか洋裁店を開きたいと思っていたんじゃないか」
「え? どうして潤くんがそれを知って……」
「やっぱりそうだったのか。自然と伝わってきたんだ。菫のこと理解したくて、大切に見つめていたら見えてきた」
「潤くん……気付いてくれてありがとう。小さい頃からの夢だったの……いつか叶えたいって思っていたのよ」
「やっぱりそうか。美樹さんと一緒に見た夢を、オレが引き継いでもいいか」
「潤くん……ぐすっ」
美樹くんとの過去も含めて愛してくれる潤くんの心の広さが好き。
大好き!
「潤くん、ありがとう」
「それで、少し老朽化しているから、2週間の休みの間に父さんと母さんに手伝ってもらって住めるようにするから、もう少し待っていてくれるか」
「もちろんよ。お父さんとお母さんにもありがとうって伝えてね」
「ごめんな。勝手に決めて」
「大賛成よ、宜しくお願いします」
「お、おう! 完成したら迎えに行くよ」
「うん! 待ってるわ」
電話を切ると、暖かい涙が、いつの間か頬を伝っていた。
「ほら、樹、早速出番だぞ」
「うん!」
蓮くんに抱っこされたいっくんが手を伸ばして、涙をそっとハンカチで拭ってくれた。
「ママ、うれちなみだって、きれえだね。ママとってもきれえだよ」
「いっくんってば」
「菫、良かったな」
「うん!」
「はは、お前って本当に俺の妹みたいだな。これからもよろしくな」
蓮くんの男らしい甘い笑みに、周囲の人が頬を染めていた。
うわっ、瑞樹くんが白馬に跨がる王子様なら、蓮くんは黒い精悍な馬に跨がる王子様みたいよ。いや、獅子を操る勇敢な騎士もいいかも。
私ってば役得過ぎるかしら?
「ママ、そのおかお……ちょっと、そーくんみたいだね」
「え! やだ!」
自分の頬をパンパン叩いて、笑ってしまった。
もうくよくよしないわ。
美樹くんとの思い出が詰まった家は消滅してしまったけれども、美樹くんと抱いた夢は生きていた。そして潤くんが引き続いてくれたのよ。
「菫、頑張れ!」
「ありがとう、蓮くん!」
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