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冬から春へ 54

「めーくん、ようちえんって、どんなとこでしゅか」 「えっと、そうだなぁ……お友だちが沢山いて、みんなでお弁当を食べて、楽しい所だよ」 「えっとぉ、おべんとう?」 「そうだよ。あれ? いっくんは持って行ってなかった?」 「えっとぉ、いっくんはね、いつも、きゅうしょくをたべていたよ」 「そっか、保育園って、給食だけなの? ボクの幼稚園は火曜日と金曜日が給食だったよ」 「うーん、よくわかんないけど、いっくんのほいくえんはしょうだったよ。おべんと……ママ、だいじょうぶかな。ちょっとちんぱい……」 「大丈夫だよ」  槙を寝付かせるために子供部屋の椅子に座って授乳をしていると、芽生くんのベッドから可愛いおしゃべりが聞こえてきたわ。  いっくんが芽生くんと寝たいというので、今日は子供部屋のベッドに二人で潜り込んだのよね。  ふふ、甘い砂糖菓子みたいな会話。    それにしても、そっか、芽生くんの幼稚園ってお弁当持参なのね。  いっくんの保育園は完全給食だったので、新鮮だわ。  なるほど、火曜日と金曜日が給食なら、明日は月曜日だから、お弁当の日なのね。  さぁ、いっくん……ちゃんと私におねだりできるかしら?  ドキドキ待っていると、可愛い声で囁いてくれた。 「ママぁー あのね、あのね、いっくんね、あちた、おべんとうがいるみたいなの。ママぁー つくってくれましゅか」    愛くるしい顔で両手をそっと胸の前で合わせ、小首を傾げている。  絵に描いたようなおねだりポーズに、私の頬は緩みっぱなし。  子供の可愛さって、無限ね。  最近、今まで余裕がなくて気がつかなかった子供の表情に気付けて、嬉しいわ。  あぁ、いっくんはなんて可愛いのかしら。  あなたのためになら、私は何でもしてあげたくなるわ。 「ちゃんと作るから、安心してね」 「わぁ、ママぁ、ママぁ、ありがとう」  いっくんがベッドからぴょんと飛び降りて、私に抱きついてくれた。 「ママ、だいしゅき」 「ふふ、ありがとう。さぁ、早く寝ないと、明日は幼稚園でしょう? 寝坊しちゃうわよ」 「わかったぁ! ねんねしゅるね」 「いっくん、こっちにおいでよ。いっしょに寝よう」 「あい!」  ベッドで芽生くんと向き合ってにっこり微笑む二人は、まるで天使のよう。  手と手をつないで、仲良く夢の世界に旅立つのね。  いっくんと私しかいない世界は消えて、今はどこまでも優しい世界にいるのね。  私たちの周りには、優しい人が沢山いてくれる。  だから甘えてみよう。  だから頼ってみよう。  私は美樹くんが天国に逝ってしまってから、必死に生きてきた。  なんとしてでも、いっくんを守って生かさないと!  その重い重責に押し潰されそうな日々だった。  美樹くんの分も私がと……  自分を追い込んでいたわ。  今、この状況になって、しみじみと感じていることがあるの。  人は生かしあっているのよ。  心を寄せ合って生きているの。  あの頃の私に教えてあげたい。    誰も私たちを助けてくれないと、ひがんだり恨んだりするのではなく、自分から歩み寄ればよかった。  自分を大切に、相手も大切に……  して欲しいことをしてあげられる人でいれば、凝り固まった世界も変わっていくのかもしれない。  そう考えたら、人付き合いが急に怖くなくなったわ。    潤くんを愛し、潤くんに愛されていく。  これって成長していくってことよね。  だからなのかしら?  最近、私から見える景色はめまぐるしく変わったわ。  私から出来ることは無限よ。  その事に気付けたわ。  今出来ることに心を使おう。 ****  芽生くんはいっくんと子供部屋のベッドで一緒に眠るというので、宗吾さんはソファで仕事の続きをし、僕はガーデン雑誌をパラパラと眺めていた。  そこに子供部屋から菫さんが戻ってきた。 「菫さん、もう皆、寝ましたか」 「えぇ、今日はあっという間だったわ。いっくんと芽生くんは手を繋いで、可愛かったわ」 「そうですか」    二人の天使がまどろむ姿を想像すると、自然と笑みがこぼれた。  いっくんも芽生くんも、本当に御機嫌だった。  憲吾さんが新品の幼稚園のバッグを持ってきてくれて、そこから一気に場が和み、勢いが出た。  いっくんと芽生くんも花のように明るく笑ってくれた。 「菫さんもお疲れ様です」 「あ、そうだわ。あの……芽生くんの幼稚園のお弁当箱って、まだ取ってありますか」  すると、宗吾さんが顔をあげて、にやりと笑った。 「もちろんあるさ! もう出してある。明日はお弁当の日だからな」 「わぁ! 流石ですね。ではお借りしてもいいですか」 「もちろんさ! 俺も最初は苦労したんだ。幼稚園児の普段の弁当って何を入れたらいいのかさっぱりで、ネットで調べまくったな」 「ふふっ、お疲れ様です」  お弁当か、懐かしいな。  小学校は給食なので、運動会や遠足でしか作らなくなったけれども、芽生くんが幼稚園の頃は僕も手伝った。 「そうだ! 明日は私が皆さんのお弁当も作っていいですか」 「おぉ? それは嬉しいな」 「明日は忙しくて外に食べに行く暇がないので、助かります」 「ふふ、お姉ちゃんがいる間は甘えるのよ」 「あ、はい」  菫さん、本当にお姉さんっぽいな。  潤には菫さんの方から甘えているようだけれども、僕にはお姉さんポジションのようだ。 「やっぱり瑞樹は弟っぽいよなぁ。今の受け答えなんかもツボる!」 「やっぱり? 宗吾さんもそう思います?」 「あぁ、瑞樹は永遠の少年だー!」 「そ、宗吾さん~ やめて下さいよ。僕……もう三十……」 「ふふ、瑞樹ちゃんってば照れないで」 「すっ、菫さんまで」 「ふふっ」 「ははっ」 「もうっ」  頬が火照っている。  恥ずかしいのと、嬉しいのと、ごちゃ混ぜな気持ちで。  なんだか、いいな。    こんな砕けた会話。  こんな明るい雰囲気。  逆境の中でも可憐に咲く菫という花と、菫さんの人柄はどこまでも同じだ。  形式的なことに囚われなくていい。  心で触れあっていけば、自然と物事はよい方向へまわってくれそうだ。  孤独な世界の隅々に光を届けるのは、僕の心次第なんだ。    心を開いた分、光が奥まで届く。   「菫さん、今から下ごしらえをするのですか。手伝います!」 「えっと明日の朝で大丈夫かな。冷蔵庫の中見は把握しているし。瑞樹ちゃん、ありがとうね。ここはお姉ちゃんに任せて」 「うん」  思い切って親しみを込めて返事をしたら、また一歩菫さんの心に近づけた気がした。 「可愛い!」 「え、いや……そんな」 「ふふ、潤くんのお兄ちゃんなのに、私の弟みたいで可愛い」  潤の奥さんは素敵な人だね。  こんなに素敵な女性に好きになってもらえて良かったね。  潤も素敵な人だから、繋がった縁なんだよ。  軽井沢で奮闘している潤に伝えたい言葉が、また一つ増えた。  優しい言葉を集めよう。  それは人を生かす力となるだろう。

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