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第1話 ラノベ作家の先輩の部屋はいつも散らかっている

【至急! いつもの助っ人求む!】  夏休みが近づく、午後のゼミが終わった夕方。  学生たちが行き交うキャンパスで、一人の大学院生が足を止めた。  彼、坂田祥悟(さかたしょうご)は、スマホの画面に表示された助けを求めるメッセージをしばし見つめ、考える。  メッセージは、彼の先輩である水科康行(みずしなやすゆき)からのものだ。  大学の文芸部の先輩で、今は卒業して社会人となっている水科にはもう一つ別の顔がある。  彼は、ライトノベル作家なのだ。  とある有名出版社のライトノベルレーベルで、水科が特別賞を受賞して兼業作家デビューを果たしたのは一昨年の春。  以来坂田は、水科が小説のネタに詰まったり原稿の校正を行ったりするたびにこうして彼に呼ばれ、手を貸している。  というのも、水科が少ない原稿料から助っ人代を払ってくれ、それが貧しい大学院生の懐にはありがたいからなのだ。 (原稿書いてるなんて聞いてないから、多分プロットで詰まってるんだな……)  助っ人内容を予想しつつ、坂田は考える。  このまま真っ直ぐ帰宅しようとしていた彼がとる行動はふたつ。  無視して帰宅するか、水科の元へ向かうか。  丁度バイトもなく、この後の予定はない。水科のもとへ行けば金になるだろうから、損にはならないはずだ。  というわけで、坂田は水科のもとへ向かうことにした。  助っ人に向かうと返事をした坂田に水科から送られてきた指示はこうだった。 【午後七時に俺の家に来るように】  坂田は大学図書館で研究資料を読んで過ごし、七時に着くようにキャンパスを出た。  大学から地下鉄で数駅のところにある水科のアパートは、安月給の会社員にふさわしい鉄筋コンクリートで、築年数の多さを思わせるほど古ぼけている。  売れない兼業作家の住んでいる場所など、こんなものだ。  小さなボタンを押すだけの簡素な呼び鈴を押すと、部屋の中から物音が聞こえ、重い鉄製のドアが開く。 「よっ! 坂田!」  しばらく床屋へ行っていないボサボサの髪に、顎には無精髭をちらつかせた男がネクタイを緩めながら坂田を迎えた。  坂田は水科の背後に見える部屋の中の惨状に顔をしかめる。 「水科先輩、俺のこと呼ぶのはいいんですけど、部屋ぐらい片付けてくださいよ」  坂田の鼻の頭によった皺を見て、水科は決まりが悪そうに顔をくしゃくしゃにして笑う。 「ああ〜。ごめん。ここ数日残業が多くて、帰ってもプロット練りながらそのまま寝たりして たんだよ。足の踏み場も座る場所もあるから、まあ入れ」  坂田は言われるまま、「散らかっている程度」の部屋に入っていった。  途中見えた台所のシンクには、洗われていない食器や弁当ガラが突っ込まれ、廊下のところどころに空き缶が落ちていた。 (残業関係なく、部屋が散らかってんのはいつものことじゃん……)  坂田は床に落ちている空き缶や目についたゴミを拾っては適当に拾ったコンビニのレジ袋に入れて、掃除をしつつ居間兼寝室へ入る。  水科に家へ呼ばれた時は、いつもこうして坂田が部屋の掃除をするのであった。 「坂田、何やってんだよ?」 「ゴミが落ちてるんで拾ってるんですよ」  水科は、さも当然のことのように言った坂田を迷惑そうに睨み、手招きする。 「んなことしなくていいんだよ。はよ、こっちきて座れ」 「はあ? あんたよくこんな状態で生きてられますね」  坂田は悪態をつきながら、水科の隣に腰を下ろす。  確かに座る場所は用意されていた。しかし、普段と違う様子に坂田は首をかしげる。  いつもならこういう時、目の前にあるテーブルの上に作業中のパソコンや原稿をプリントアウトしたコピー用紙などがあるのだが、そういう類のものがまったくないのだ。  テーブルの上にはまだ封の開いていないスナック菓子や酒類の入ったレジ袋が無造作に置かれ、丸めたティッシュやポストに入っていたどこかの広告なども散乱している。 「水科先輩、何のために俺を呼んだんですか?」 そうたずねると、水科は坂田の肩に手を伸ばし、強く掴んでこう言った。 「坂田、俺とBLになってくれ」 「は?」  突然の水科からの申し出に、坂田の頭は真っ白になる。    BLになるとは一体どういう意味なのだろうか。 「先輩、さすがにちょっと意味が……」  坂田が言葉を言い終える前に水科が動き、坂田の声は途切れた。水科の手が坂田の肩を押し、床の上に崩れるように倒れる。  坂田がふと隣に目をやると、すぐそばの床に落ちている丸められたティッシュペーパーが目に入った。  片付けたい。  掃除したい。  こんな汚い床になぜ押さえつけられているのだろうかと不満が募る。 「水科先輩、何遊んでるんですか? 俺帰りますよ」  起き上がろうとする坂田の腕を、水科がより力を込めて押さえつけた。 「っは?」  坂田が批難の視線を向けるが、水科は思いつめたような顔で彼を見ている。その表情にただならぬ何かを感じた坂田は、怒りも戸惑いもなくし、責めてはいけないような気分になった。 「あ……あの、先輩。ガチで意味がわかんないんで怖いです」 「え?」  水科は腕を掴む力を弱め、困ったように眉根を寄せる。 「えっと……その、俺たちはこれからBLになります」 「だから、そのBLになるってなんだよ。具体的に何をすればいいんですか?」 「具体的には……目を瞑って」 「……目?」  坂田は半信半疑ながらもおそるおそる目を閉じる。そのまま数秒待っていると、唇に柔らかな感触が押し付けられた。 「ふぁっ!?」  目を開けると至近距離に水科の目が見え、坂田は彼を突き放す。 「い、今何した?!」 「き……キス」  動揺した坂田に、水科は顔を真っ赤に染めて答える。 「ふぁあああ?! 先輩、俺のこと好きなん??」  水科の突然の行動に戸惑い、坂田の声が裏返る。  やはり、水科は坂田に恋愛感情を抱いているのだろうか。だとすると先ほどの思いつめたような表情もわからなくはない。  後輩として、水科の気持ちをどう受け止め、どう返答すべきかと坂田は焦り始める。  しかし水科は、やや俯いて首を横に振った。 「いや……好きだけど、後輩として好きだよ」 その言葉に坂田の平手が飛び、水科の額を打った。 「じゃあなんでキスしてんねん! ていうか人に断りなく勝手に唇奪んな!」 「……すみません」  水科は肩を落として謝る。  坂田は彼から身体を離して起き上がり、居住まいを正した。複雑な心境で手の甲を使って唇を拭う。  一瞬目があった水科が、傷ついたような視線を向けた気がするが、気にせずにゴシゴシと擦った。 「俺、ラノベの手伝いだと思ってきたんですけど……」 「そうだよ。今のがそうなんだって」 「はあ? なんで好きでもない奴押し倒してキスすんのが手伝いになるんだ? 小説書けや、小説!」 「違うんだって! BLを書こうと思って……でも、俺、男とそういうふうになったことないからさ……」 「俺だってねえですよ! どんな状況だろうが説明もなく押し倒してキスはやめろ!」  よくよく話を聞くと、水科ことラノベ作家香月輝夜(こうづきかぐや)は、プロットを量産するも次回作が書けないことに限界を覚え、別ジャンルへの鞍替えを検討したらしい。  一昨年の春、審査員特別賞を受賞し、その作品でデビューしたのはいいものの、彼は売れっ子作家にはならなかった。なんとか二作目は出せたものの、以降は仕事の合間に小説ではなくプロットばかりを量産する日々である。  一般文芸や純文学となるとまた話は変わってくるが、水科がデビューしたライトノベルレーベルでは、プロットを編集部に提出し、編集会議で承認されなければ作品化することができない。プロットが通らなければ、小説は一文字も書けないのだ。また、仮に通ったとしても小説を書いている段階でダメだと判断されれば、予定されていた小説の刊行自体がなくなることもある。  よっぽどの売れっ子作家先生であれば、プロットも通りやすいだろうし、刊行予定が白紙になるなんてことも滅多にないのであるが、香月輝夜は売れない作家なのである。  その上、香月輝夜のデビューは少し特殊であった。  彼は所属レーベルの小説大賞に応募したが、受賞したのは審査員特別賞である。彼に賞を与えた審査員というのは、レーベルの編集部や出版社に外部から呼ばれていたゲスト審査員で、それが編集部内での香月輝夜の存在を脅かすネックとなっているのだ。  なぜなら、ゲスト審査員の香月輝夜に対する評価点と、所属レーベルの作品傾向にズレがあるからである。  そのレーベルの作品傾向は、魅力的な女性たちに囲まれてちょっぴりエッチな青春を送る男の子の日常だったり非日常だったりを面白おかしく描いた(さわやかな)もの。  ところが、香月輝夜の作風はサイコパスもののミステリーだ。編集部、特に編集長は、香月輝夜を煙たがっており、水科は肩身の狭い思いをしている。  同時に彼のファンは、デビュー作中に出てくるモチーフやらレトリック、登場人物の名前等から、香月輝夜はかなりの読書家で、怪奇ミステリー界の超大御所作家のファンではないかとネット上で根も葉も無い噂と憶測をたて、デビュー作と同系統の新作を望んでいた。  編集部が求めるものを作ろうとすれば、得意分野ではないためにプロットは通らず、一方、得意分野で書こうとすれば、編集にいい顔をされない上に当然プロットも通らない。  香月輝夜は売れない上に扱いにくい作家であった。  さらに、ファンの期待を裏切って、彼は小説を読まない作家である。怪奇ミステリー界の超大御所作家の本も、一冊も読んだことがない。  当初坂田は、「小説を読まないやつが小説家になれるなんてありえない」と思っていたのだが、現に目の前にいる水科がそれを覆してしまった。  世の中はなんと不公平で理不尽なのだろうか。 「それで、なんでまたBLなんて言い出したんですか? あんたが書いてるとこ、どちらかといえば少年向けのラノベじゃないですか」  まさか、萌えハーレム系作品の中で、男子校ハーレム作品でも書いて打って出ようというのだろうか。いや、女子校に女装男子が入っていって……なら受け入れられそうだ。  ただし、すでに先人が同じような筋書きで何作も作っているが。  丸いリビングテーブルに肘をついた水科は、頬杖をついてため息を一つ吐く。 「いや、そうなんだけどさ……。どこか別のところで再デビューしようかなって……」 「香月輝夜名義で?」 「違うよ。その名前で別レーベルになんていってみろ、編集部に殺される。この間小説投稿サイトに個人的に新作あげただけですぐにアカウントごと削除させられたの覚えてるだろ?」 「そういえばそうでしたね……」  先日、水科は香月輝夜名義で投稿サイトに新作小説を公開していたのだが、公開してすぐに編集部に見つかり、厳重注意の上投稿サイトのアカウントごと削除するように指示されたのだった。この調子では、同人誌も出せるか怪しい。 「だからさ、同ジャンルだと名前を変えても見つかった時に怖いなって思ってさ、一般文芸への投稿も考えたんだけど……俺じゃ無理かなって」 「それでBL?」 「うん。なんか最近BLのドラマが流行ってるらしくて、職場でもみんな騒いでるし……。BL小説ってラノベだよね?」 と水科が言った途端、坂田はテーブルを勢いよく拳で叩いた。 ---ダン! と大きな音がし、テーブルにのせていた水科の肘がビリビリと痺れ頬杖をついていた腕が揺れる。 「なんだよ……」  目を丸くする水科に、鬼の形相の坂田が吠える。 「てめえ! BLなめてんじゃねえ!!」  坂田の剣幕に水科は信じられないものでも見るように目を見張った。 「おまえ、BL詳しいの?」 「いや、全然」 「は? じゃあなんでそんな怒るわけ?」 「怒るわ。あんた、BL小説ならすぐにデビューできるとでも思ってるんだろう? だからそんな舐めた口聞いてんだろ? これまでに一冊でも読んだことあんのか?!」 「舐めてないけど……ないです……」  坂田はフンと鼻息を荒くして、愛用しているリュックを手に取る。中をしばらく探り、一冊の文庫本を水科に差し出した。  二人の美形男性が艶めかしく絡まり合っている表紙を見て、水科は坂田をゆっくりと仰ぐ。 「なにこれ?」 「あんたがこれから書こうとしてるものですよ」 「BL小説!? なんで持ってんの??」 「ちょうど来週のゼミの発表者がBLの研究者なんです。これは発表資料の文献の一つなんで、読むために買ったんですよ」 「資料……。わざわざ買ったの?」 「読まないと発表聞いても議論できませんからね。それにちゃんと購入すれば作家さんにも少しは貢献できるでしょう。俺はもう読み終えたので、貸すから絶対に読め!」  ほお……と感心しつつ水科はBL小説を手に取り、パラパラと中を流し見る。 「はわっ! 坂田くんこれやばいよ! ラノベよりえっちだよ!」  ウブな乙女のような声を出して喚く水科。  坂田は彼を横目で睨みつけ、立ち上がった。 「それ読んでしっかり勉強してください。 BLの攻め様はそんなヨレヨレのワイシャツなんて着てないし、ヒゲも剃って髪も整えてます!  あと部屋!  こんな部屋で口説かれようが押し倒されてキスされようが、俺はなびかねえ!」  と怒鳴りつけ、坂田は玄関の方へ足を向ける。 「なんだよ……。もう帰るのか?」  坂田は冷えた目で水科をギロリと見下ろす。 「いいえ、掃除してから帰ります」 「掃除?! 俺の部屋が汚いのなんて見慣れてるだろ?」 「見慣れてようが関係ないです! よくもまあ毎回こんなに汚せますよね」 「……俺、坂田のそういうとこ好きだよ」 「俺はあんたのそういうとこが嫌いです」  坂田は床のゴミをスイスイと避けて歩き、キッチンへと向かった。  それから、キャーやらウフフやらと甲高い声を漏らしながらBL小説をゆっくり読み進める水科を尻目に、隅々まで掃除をする。  洗濯と炊事までを終えて家路に就くと、日が変わっていたのだった。 〈第二話へつづく〉

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