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ひどく懐かしい夢を見た。思い出さないようにと心の奥深くに押し込めていた記憶だ。
夢の中で、浅原は大学生だった。これが夢だと気付かずに、学校に行き、バイトに行き、当たり前の日常を過ごす。
どこに行っても禅宮時のことを考えていた。友人と話す時も、禅宮時の話題ばかり出して呆れられていた。
バイト中に禅宮時と目が合うと嬉しくて、話ができた日は一日中にやけていた。
そんな、楽しかった頃の記憶を再生する夢だ。不思議と嫌なことは夢に出てこない。そのせいか、目が覚めてもしばらくは禅宮時が好きだ、会いたいという気持ちに支配された。
今さらそんな想いを抱いたところで仕方がないというのに。
そうと分かっていながら、どうにも振り切れないものがまとわりつく。その原因として、一つはこの間の禅宮時の顔つきのせいもあるが、隣の部屋から行為の物音がしなくなったせいでもある。てっきり舘宮と禅宮時は一緒に住んでいるものだと思っていたが、思い出してみれば日中に会話が聞こえてくることはなかったので、もしかしたら別々に住んでいるのかもしれない。
そして、禅宮時はこのところ舘宮の元へ来ていない。それは何故なのか。気にしても仕方がないのだが、気が付けば考えてしまっていた。しかし、昔のことを忘れたのかと囁く浅原自身の声で我に返ると、がむしゃらに仕事に没頭して考えまいとした。
そのおかげか、いつも以上に仕事が捗り、上司に褒められ、周りからも感心する声が上がった。それはそれでいいことなのだが、注目されることで嫌な記憶を呼び起こされるので、周りの自分への評価が良かろうと悪かろうと変わらないのだということに気が付き、少し複雑だった。
「浅原さん、一緒にご飯どうです?」
同僚の丸山という少し太り気味の男が、男女混合のグループを引き連れて誘いをかけてきた。こんなことは入社して今までなかったので、戸惑い、どう対応すべきか迷った。断れば心証を悪くするが、彼等と昼食を取るのはあまり気が進まない。どうやって悪く思われずに断れるのか分からない。
「わ、私は……」
浅原が声を絞り出してなんとか断ろうとした時だった。
「ストップ。浅原さんを誘うなら俺を通してよ、丸山」
どこで話を聞いていたのか、鹿島が颯爽と現れ、浅原と丸山たちの間に入り込んだ。正直鹿島のおかげで、緊張が解れた。
「ええ、どうして鹿島の許可がいるんだよ。マネージャーかよ」
「いいね、マネージャー。でもそれよりもっと色気がある関係。ね、浅原さん」
ぱちっとウィンクされて、ぎょっとするやら恥ずかしいやらで赤くなる。
「ち、ちが……そんなんじゃ」
「ええっ、どんな関係なの?怪しい」
丸山の後ろにいた女性社員が反応する。鹿島の周りに群がっていた植村たちとは違って、そこに敵意の色はなく、好奇心だけが浮かんでいることにほっとする。
「秘密。ね、浅原さん」
だからわざわざこちらに振らないでくれと内心叫びながらも、鹿島の存在をありがたく思い、丸山たちに囃し立てられながら社員食堂へ向かう足取りは軽かった。
「え、浅原さん弁当作れるの?」
食堂で食券を買う丸山たちの流れに乗らず、弁当を広げていると、それに気が付いた女性社員の遠藤が弁当を覗いてきた。
「うん。まあ、簡単なものぐらいだけど」
「ええ、全然簡単なものじゃないよ。すごい。春巻きに、この卵焼きなんてなんか普通のと違う。かたちも綺麗。私、料理できないから尊敬する」
「元妻が手料理が得意だったんだ。その影響で、自分でもいろいろ作るようになった。時間がある時だけだけど」
「へええ」
「なになに?何の話?」
丸山たちが盆にそれぞれのメニューを載せて現れる。鹿島が真っ先に浅原の隣に陣取った。
「浅原さん、自分で弁当作るんだって」
「へえ、どれどれ?」
美味しそうという声が上がる中、鹿島は自慢げに俺はもらったことあるもんねと言っていた。
「え、羨ましい。一つもらいたいなあ」
「だめだめ。浅原さんの手作り弁当は浅原さんと俺しか食べたらだめ」
「何それ。鹿島、独占欲強すぎ」
笑い声が上がり、盛り上がる中、凛とした声が割って入ってきた。
「ちょっといいかしら」
皆の視線が一斉に声の主に集中すると、その人物、植村沙奈はカツカツとヒールの音を響かせながら鹿島と浅原の元に接近してきた。美人の怒り顔はこれほどまでに凄まじいのか。誰もが固唾を飲んで見守っていて、浅原は生きた心地がしない。
そして、植村が立ち止まった時に睨むように見てきたのは、浅原だった。
「浅原さん、あなたに聞きたいことがあるの」
「は、はひ」
緊張のあまり舌を噛んだ。
「あなた、彼のことどう思っているの?」
「か、彼?」
「鹿島柊介のことよ。どうなの?」
「ど、どうって……」
こんな公衆の面前で、とても本音など語れない。必死でどう答えるか目まぐるしく考えていると、植村は溜息をついた。
「そうよね。最初から柊介の一方通行よ。そんなの見れば分かる。あなたは流されているだけ」
「それは、ちが……」
「違わない。あなたには迷いがある。はっきり答えを出せないのがその証拠。そんなあなたに提案があるの」
「提案?」
「そう。柊介は私に任せて、あなたは自由になりなさい。大丈夫。柊介がいくら騒いだって、何としてでも黙らせるから」
「おい、沙奈」
「あなたは黙っていて。これは大事なことよ」
鹿島をぴしゃりと叱りつけ、植村はいっそ優しいと思える笑顔で浅原を見る。
植村の意図が分からない。単に牽制するつもりならば、こんなまどろっこしい言い方をする必要はないだろう。ただ一言、彼に近寄らないでとでも言えばいいのだ。
自由になりなさい?鹿島を植村に任せて?あなたには迷いがある?当たっていないこともあるが、少なくとも迷いという点では的を射ている。鹿島の好意は透けて見えるようで、それを嬉しく思う反面、禅宮時のことも考えて迷ってしまっているのは紛れもない事実だ。無論、植村はそこまで見抜いているわけではないのだろうが。
「少し、考えさせてほしい」
鹿島の顔をまともに見ることができないまま、植村に向かって言った。
「ちょっと、どういうことなの?」
「僕も知りたい。あれってライバル宣言?でもなんか違うかなあ」
植村が立ち去ると、ざわめきが戻ってきて丸山たちに質問攻めにされた。
「さ、さあ」
「というか、鹿島と植村って確か」
女性社員の一人が何かを言いかけると、鹿島は大げさに咳払いをした。
「え?何?これ禁句なの。別に言ってもいいでしょう」
「だめ。特に浅原さんには言わないで」
「何か分からないけど、分かった」
何故特に自分には言えないのか。疑問が浮かんで鹿島を見ると、視線を逸らされた。
その後、談笑混じりに昼食を済ませたのだが、鹿島は一切浅原の方を見ようともせず、話しかけてもこなかった。
そのくせ、昼休みの間中、適当な理由をつけて浅原の傍を離れることもしない。微妙な壁を初めて寂しいと思ってしまったが、これも自分の発言が招いたことだ。後悔が胸を刺すのを感じながらも、引き返すことはできない。いつまでも宙ぶらりんのままではいられないのだ。
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