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第1話
あああもう!ちっくしょう!!!
新藤はまたそうしていくつめかになる角を通り過ぎた。
とっくに曲がるべき角があったのだが、沸騰した頭は思うように認識してくれず、既に新藤の背中から遥か後方へ遠ざかってしまった。
彼が歩く道は中流家庭の一軒家が立ち並ぶ間を縫うような舗道だったが時間が中途半端なためか人の気配がまるでなく、しんと静まり返った周辺はまるで人類が息絶えてしまったかのようで、時折車の駆け抜ける音がその幻想をかき消した。
新藤は両手をポケットに突っ込み黙々と歩いていく。
そうしてまた、いくつめかになる角を肩をそびやかせながら通り過ぎていく。
この先がどこへ続いているのかもわからない覚えのない道だというのに、新藤は立ち止まることも踵を返す素振りもしない。
彼を突き動かしているものはただのひとつの感情で、新藤はその感情の虜となり獣のように闊歩していた。
けれどそれはめずらしくない、というより彼にとって自分の感情に素直に従うことは常であり、普遍の理である。
しかしこれほどに大人しく内にこもる姿は滅多になく、それは見るものが見れば鋭い牙を持つ獣が、うなり声すら上げずに触れれば切れる程の危うさを孕んでいるだろう。
最初はただの気分の落差による感情の振れだと思っていた。
イライラとささくれ立つ心をなんとか懐柔してきたが、新藤はどうやらその見解が間違っていたらしいことに気づいてしまった。
目についた相手に拳を振り下ろし蹴りを喰らわせて地面に顔をこすり付けさせてもそれで簡単に昇華できるものではないのだと。
苛立ちが腹の中でとぐろを巻き新藤はそれを飼い慣らそうと必死になることにうんざりしてしまった。
九条が笑いかけたあの女は、それはそれは綺麗な笑みを浮かべていた。
「…あれ、新藤?」
少し前の時間まで前を歩いていた九条は、耳に慣れた足音が途絶えていることに気づいた。
不思議に思って振り向くと、先ほどまですぐ後ろにいたはずの友人の姿が見当たらない。
目ざといやつだから、また何かよからぬものでも見つけたのだろうか?
周囲を見渡して人影に目をこらしても既に長身の姿はなく、まーいいかと、九条はやってきた己の彼女に向き直った。
歩いていく新藤の歩は留まらずにどこか目的地へと迷うことなく進んでいっているように見えるがそんな場所はなかった。
ただ 歩く、歩く、歩く、歩く、歩く
彼にしては非常に地道ともいえるその方法であるいは何かへ行き着くわけでもなくただ足を前へ踏み出しまた踏み出しまた踏み出し。
やがて広い道路へ出るのだろうと思っていた新藤は、現れた川とそれをまたぐ小さな橋に目を留めた。
近づいてコンクリの橋から下を見下ろすと10メートル程下を流れる細い水路がさらさらと流れその水面に新藤の影を映し出している。
ぼんやりと揺れ動く黒い影を眺めていると自然とため息が零れ落ちそうになって唇をむっと噤む。
黙々と帰路についてしまった自分にとうとうヤキがまわったかと舌打ち。
さらさらと川は流れている。
この大量の水は一体どこからやってくるのだろう、常に雨が降っているわけではない、きっとこの上流を遡ればどこかに水源があるに違いない。
その水源は地下水脈から発生しているとしてその地下水脈は一体どこからやってくるのだろう、海と繋がっているのだろうか。
暫くして一体なぜ自分がそんな微塵も興味もないことを考えているかに至りその理由がわからず新藤は一人頭をひねる。
気分をスッキリさせたければ繁華街へ行けば相手をしてくれそうな手ごろな輩がわんさかいるだろう、こちらから声をかけずとも血の気の多い奴らは集団でもって己の苛立ちを発散する手助けをしてくれるに違いない。
そしてそれは気持ちいい。勝利は常に気持ちのいいものだ。
だがその気持ちいいは持続力はなく一晩寝て起きればなくなってしまう。
そして朝になればまた学校へ行って、毎日のルーティンのように九条の顔を見ると、「気持ちいい」ではなく「むかつく」がこみあげてくるのだ。
不思議とむかつくは気持ちいいよりもずっと持続力があり継続力がありちょっとやそっとのことじゃなくならない。
いや、それはきっとあいつが傍にいるからだ。
残念なことに気持ちいいことは都合よく連続することは滅多にないが、むかつくはごろごろとそこらへんに転がっている。
新藤の「むかつく」は九条の行為に直結しているので、あんまり長く一緒にいるとつい殴り倒してしまう。
九条イコールむかつくというわけではないのだが、九条の仕草が連想させるわけで、もはやイコールとなんら変わりはない。
例えば新藤以外の他の誰かに向ける笑顔だとか、笑いかけるご機嫌な表情だとか、からからと笑う様子だとか。
のんきに幸せそうな九条を見ていると、否応なしに呼吸が乱れ歯軋りは止まらず眉頭が痙攣を起こしかねないほどに、むかついてくる。
むかつくから衝動に任せてぶん殴ると怒った九条は仕返しに殴り返してきたりして、それが手加減がほとんどなかったりするものだから更に頭にきて同じように殴り返す。なんだこれは。壊れたおもちゃかなんなのか俺らは。
しかも最近じゃ以前のような許容は見せずに九条の方も即殴り返してくる。
それは新藤がいつも殴りすぎているからおそらく反射かなにかなのだろうが。
そんなことを思い返していると段々腹が立ってきて、新藤はきょろきょろと周囲を見回して橋の横に鎮座している岩を見つけると、おもむろに駆け寄って抱きつき、力の限り踏ん張って持ち上げよたよたとまた元の橋の上へ戻ってくると、コンクリの柵の上から川の中へ岩を落とした。
しかし水かさのない小さな水路は多少派手な飛沫を上げたものの岩の半分も水に沈まずに、そして案外硬い岩は砕けずに川の真ん中に鎮座していた。
まったく意味のない行動に疲労感だけが増して空しい。淀みもなくきれいな川だが川幅もない小さな川では魚も浮いてこない。何をやってんだ俺は。あほか。
チィと舌打ちをして新藤は誰かに見つかる前にそそくさと橋の上から離れてまたもと来た道を辿る。
気分は最悪だった。
とにかく、すべてはあいつが悪い。
俺よりも幸せな顔をするあいつがいけないんだ。
あんな幸せそうな顔で女に笑いかけるあいつがいけないんだ。
「・・・・・。」
俺にないものを持っているあいつが悪い。
そうだ、なんならあいつの女を奪ってやるか。
きっとあいつは見も蓋もなく顔をくしゃくしゃにして悔しがるだろう。
ああでもきっとダメだあの女はもうあいつに骨を抜かれているんだった。
それに俺が欲しいものじゃない。
ふと立ち止まり、新藤は考える。
俺の欲しいもの?
欲しいもの?
それは何だ?
「・・・!。」
新藤はその瞬間に浮かんだイメージをそんなわけがないと打ち消した。
そしてもう一度、よくよく考えてみる。自分が何が欲しいか。
今度はすぐに明確な答えが出てきた。
金だ。権力もいい。名声もあればなおいい。
(なんだ、そんなもの、俺なら放っておけば簡単に向こうからやってくるだろう。)
実力も運も持っている新藤にとってそう信じて疑わない結論に達して満足げに微笑んだ。
つまり自分は単なる杞憂にこれほどまでに悩んでいたわけだ。
まだ手に入っていないから他人のちっぽけな幸せを目の前にして苛立ってしまっていたわけだな。
バカらしい。
(しかしやっぱりあいつの笑顔はやっかいだな。あの甘ったれた顔ででれでれ幸せそうな九条はちょっとシメといたほうがいい、地球のためにも)
新藤はどうしたら九条の度肝を抜けるかに考えを集中させているとまた帰り道を通り過ぎてしまい、ついでとばかりに駅前まで足を運んでニ、三人を殴り倒してストレスを発散させた。
そして新藤は平和な九条にちょっとしたドキドキの非日常をプレゼントして大いに九条をビビらせた。
九条はその忌まわしい嫌がらせを「性質の悪い冗談」として酷く怯えていたという。
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