1 / 1

湊と輝

   いつも同じだ。いつも決まった時間のバスに乗っていて、いつものようにICチップへ電子カードを反応させて、いつもと同じ席に座る。  なんの迷いなく。そこは彼のために開けてあるような席。  優先席だ。  見た目判断はしちゃいけないんだろうがどう見ても彼は、健全者。  外見でとくに目立つような怪我はなく、ピシッと着こなす学生服。そして八つ先の停留場で降りるのはおそらく彼の通ってる学校裏。  確かあそこの学校は昔から賢く、校則が厳しいので有名だった記憶がある。でも同時にお坊っちゃま校で生徒皆、礼儀正しい。  まあ、だからといって、毎回毎回、迷いもせずに優先席に座る彼をどうこう思ってるわけじゃない。  若いのに優先席に座るなんぞどうなってるんだ。とか思ってない。ただ本当にちょっとした疑問なだけだ。  乗車してる周りの人も、ここは彼の席なんだ、と思ってるのかどんなに混雑しててもその席に座ろうとしない。  不思議だろう。どうしてだと思う?  そんな彼を毎朝見ていた俺は最初こそなにも感じなかった。たまに『あ、あの子だ』程度でこんなにも頭の中で考えるまで至らなかったんだ。  けど、どうしてか気になったキッカケ。それは、 「……」 「……」  目が合った。  それだけのキッカケで俺の頭の中は彼のことでいっぱいいっぱい。おかしなことだ。 「おはようございます、宇田(うだ)さん」 「おはよう、猪野(ししの)くん」  目が合った翌日から、俺は猪野くんが座る優先席前に立つようになっていた。  信じられないかもしれないが体が勝手に猪野くんに向かって動くんだ。本当に。  どうやら俺の方がバスに乗る時間がはやくて、バスに乗った一つ先の停留場で猪野くんが乗ってくる。わりと住んでるところも近いのかもしれない。  俺は誰も座ってない三人掛けの優先席前に立つ。それでバスは発車して、あっという間に猪野くんが乗ってくる停留場へ着く。  猪野くんが乗ってきて、ICチップに電子カードを反応させて、なめらかに俺の横をすり抜き、目の前に座る。そして交わす言葉は挨拶だ。  挨拶から天気の話になって、天気の話から世間話をするようになって、世間話からお互いの名前を打ち明けるようになって。  そしたらもうなんも疑うことなく年齢を言ったり猪野くんの部活の話を聞くようになったり俺の仕事話をするようになったり。  猪野くんが降りる間の時間だからか気にせず喋る俺達は、知らないうちに仲を深めていっていた。  ただ、どうして毎回この席に座るのかは聞いたことないんだけど。 「もう期末の時期か?」 「はい。ちょっと今回はヤバめかも」 「あの学校って平均点高そうだもんな。けど猪野くんなら平気だろうよ」 「どうでしょう。でも僕は最近、気になる人……が、出来たので勉強そっちの気状態で焦っています」 「気になる人?」  なんにせよ男子高校生だ。人間だ。健全な青春時代を送っている一人だ。恋の一つや二つ、していて当然。  硬派な学校だろうが軟派な学校だろうが恋バナ、というやつは変わらず心を揺らす。  猪野くんもそんな学生。俺はどこかで大人っぽ過ぎる猪野くんを学生気分を味わえてるのか不安で心配していたのかもしれない。じゃなかったら心の中でホッと安心していないだろうよ。 「猪野くんの気になる人ってどういう子だ?」 「どういう子だろ……まだ下見してないから、どうとも言えませんが」 「したみ?」 「ちゃんと、一対一で話せてないってことです」 「ああ、なるほど。でも猪野くんが話しかければ相手も嬉しがると思うけどなあ」  改めて見る猪野くんの顔。一言で表すなら完全にイケメンって言葉だろう。  でも会社にいる後輩のと猪野くんのはちょっと違うな……あ、美人系。美人系イケメン。  整い過ぎなんだよ、この子。  こんな子に想われてる女子は相当幸せもんだな。  男の俺から見ても綺麗で、ちゃんとした子って思えるんだから。 「なにがキッカケで好きになったの?」 「強いていうなら、目。ですかね」 「またくっさい言葉だな。目で惚れるなんて昭和ドラマみたいなことだ」 「昭和ドラマなんて見たことないからピンと来ませんよ」 「あー……だよな」  俺と猪野くんは一回り違う。  猪野くんが十七歳の高校二年生で、俺が二十九歳の会社員。ジェネレーションギャップは会社の後輩とも感じるのに高校生相手なんてなにも言えん。 「なにはともあれ、学生なんて一度きりだ。恋愛を楽しんだ方がいい気も、する……んー、俺も偉そうには言えないけどな」 「……恋愛を、楽しんだ方がいい……」  俺が吐いた言葉を繰り返す猪野くん。  これがキッカケで勉強が疎かになったらどうしようか。俺で影響することはまずないと思うけど……ま、いいか。  その辺はちゃんと、猪野くんならわかってるだろうよ。それに本当に学生生活は五分五分で楽しむのが一番良い。  俺はそうしてきた。平凡が一番というか。変に目立たず、かといって暗い人生にもならず。そこそこ楽しい人生が良い。  刺激的過ぎる経験したくない小心者の大人。でも俺からしたらこれが平凡で楽しくて、たまに苦しい人生。あー、楽しい楽しい!  そんなこんなで今日の乗車客はあまりいなかったみたいで、八つの停留場先はあっという間に着いた。猪野くんが降りるところ。 「いってらっしゃい、猪野くん。恋も頑張れ少年。強引に行くのも男の手だ!」 「……いってきます、宇田さん」 「おう」  ゆっくり立ち上がる優先席から少しだけ人をかき分けて降車する猪野くんの後ろ姿。学校裏だからそのまま道に沿って歩けば正門に着くのかな。  しかし、猪野くんが気になってる女子が、俺は気になる。  だってここ、女子もレベル高いお嬢様校でもあるわけだし。男子校出身の俺からしたらもう羨ましいの他になにもない学生生活だ。    *   *   * 「おはようございます、宇田さん」 「……おはよう、猪野くん」  今日も今日とて猪野くんはICチップに電子カードを反応させて、なめらかに俺の横をすり抜き、目の前に座る。座って最初の挨拶。  だがしかし、違和感。  この違和感は乗って……いや、乗る前から気付いていたものだ。――気持ち悪いほど、乗客がいないってところ。  ビビる。ビビり過ぎて乗ろうかどうしようか悩んだ。  だって朝の八時過ぎだぞ。都会は始発から人がそれなりにいるのに。八時なんてもう通勤ラッシュのはずなのに。  というかこの時間なら会社員学生関係なく使う人もいるはずなのに。今日のバスは、誰一人と乗っていない。  初乗車が俺。そしてその次が猪野くん。おかしいだろう。いや、おかし過ぎるだろうよ。気持ち悪い。 「今日も天気が良さそうですね。日差しも強くて、秋にはちょっと暑いかもなあ」 「……」 「あ、そういえば宇田さん。明日は創立記念日で休みなんですよ。テスト期間には――」  だけど猪野くんは普通だ。普通にいつもの猪野くん。  なんの疑いもせずにバスに乗り、そのままICチップに電子カードを反応させてなめらかに俺の横をすり抜き、優先席に座っている普通の猪野くん。……怪しみながら『誰もいないんですか?』ぐらい聞いてきたらどうなんだ?  それとも、ごく稀にあること……いいや、あり得ない。それだけはどんなに回避したくても出来ないことだ。  日本を代表する地だぞ。東の京だぞ。  やばい、俺の頭がやばくなってきた。どうしよう。三十路手前にして情けねえな俺……目の前の学生はこんなにも澄んだ目で今日を過ごそうとしているのに。  十年後もこうして疑わず生きていたら、危ない目に遭いそうだけど。 「そういえば宇田さん」 「……ん?」 「昨日、恋愛を楽しんだ方がいいって」  急な話題振りに戸惑いながらも昨日というワードに頭をフル回転させて思い出した猪野くんの気になる人。  たいした経験もせずに出まかせで吐いた言葉だ。  多少、慌てながら『あ、ああ、言ったな』と返す。すると猪野くんは嬉しそうに笑って、子供っぽい表情が見えた。  うわ、この調子だともしかして、ちゃんと気になる人と話せたんじゃないか?  それでいてもっと好きになっちゃった系……あり得る。これはあり得るぞ!  やっぱ世の中イケメンだよな。しかも美人系イケメンとなりゃ女子も喜んでくっ付いちゃうんだろうな。  俺が女だったらそうだもん。外見普通。もしくはそれ以下の顔でも舞い上がりたいじゃん。夢ぐらい見たいじゃねえか。  もしかしたら猪野くんはちょっとの進歩で喜んでて、違和感のあるバスもなにも感じずいつも通り乗ってきたんではないだろうか。  あるある。周りが見えなくなる時期。あるあるだ。俺も隣の女子校で好きになった子を目で追い過ぎては周りが見えなくなってた時あったし。  あるある。存分にその話、聞いてやろうじゃねえか! 「言ったな。猪野くん、行動したのか?」 「はい、どうなるかわかりませんが……」 「随分と消極的な言い方だな。大丈夫だって!猪野くんなら成功する!告っちゃえば付き合えるって!」 「そ、でしょうか?」 「俺が保証しよう。君は好かれるタイプだ」  乗客がいないことを良いことに運転手には迷惑だと思うが、俺は大声で猪野くんに告げた。  この嬉しい気持ちはなんだろうか。ああ、きっと弟的な思いが宿っていたのかも。  いいないいな。初心いな。この恋、是非とも応援したいね。 「好かれるタイプ……それは、よかった」 「ああ、喜んでろ」 「実った、と捉えていい、かな」 「まあ八割は叶ったと思っていいかもな!」 「じゃあ、あと一押し?」 「おう!あと一押し!強引に行くのも男だしな!」 「――よかった」  誰もいないのに、立っていた俺。  誰もいないからこそ、優先席に座った猪野くん。  突然の急ブレーキと、猪野くんにネクタイを捕まれて俺の体がよろけ倒れる。 「強引に行くのも、男。宇田さん、僕が気になってる人はあなただ。好きです、宇田 輝さん」 「……はっ、は……?」  ゆっくりと揺れるつり革。  急ブレーキをかけてきたくせになんのアナウンスも流さない運転手はバスを走らせる。  倒されたのが、いつも気にしていた優先席で痛みもなく背中に当たるソファー感。  目の前にいる猪野くんは俺の目を見ながら、恍惚とした表情で口を動かしていた。 「宇田さん。宇田さんはなにも知らない僕と平気で喋ってくれる。純粋な目で僕を見ていてくれる。宇田さんの知らないところで何度も救われたこともある」 「な、なに言ってんの……」 「愛の告白」 「はあ……」 「でも、最初は一目惚れ」 「……俺、おとこ」 「ぼく、ゲイ」  お、おう……。  そうとしか言えない。  なんだこれは。目の前にいる猪野くんが、猪野くんじゃないみたいだ。  真面目だけど、あのあどけない目はどこにいったのか、ギラついた目に変わっている。  いつの間にか絡まってる手は指と指まで。指の付け根まで撫でられて動かせない。驚いてるせいか、行き場のない俺の右手は固まっている。  猪野くん左手は、俺の頬を撫でてイヤラシイ。 「でも、ノンケは狙わない主義だったんですが……宇田さんエロいんだもん」 「え、ちょっ、猪野く、」 「僕の中のって、やっぱ身体からだと思ってるんですよね」  頬を撫でていた手は伝うように下へ滑らせて首筋を触ってくる。くすぐりに弱い俺からしたら一瞬の地獄と羞恥だ。  締めていたネクタイを緩まされ、シャツのボタンを外されたあとに気が付いたこと。  猪野くんのテクニック。 「思い立ったらすぐ行動、なんてないんですけどね。でも宇田さんにかんしてはノンケなのにはやくヤらなきゃいけない気がして……このバス、買っちゃいましたよ。んー、宇田さんの乳首ちっちゃー」 「んっ、バスって、買ったって、どういう……っ」 「もちろん僕のポケットマネーなんで。親はあてになりません。全部、僕の行動」 「答えになってねえっつの!……んあ、」 「あ、待ってください。先にしゃぶらせてくださいね」  なんだかいろいろと聞き出さないといけない気がしてても他人に自分の体を触られる、というものが久々過ぎてうまく口に出せないでいた。  それよかどんどん猪野くんに流されるままで恋人繋ぎみたいに絡まってた手の甲へ口付けされて、あっさりベルトを解かれてしまってはスラックスと下着を脱がされる始末。  ちょっと待て。しゃぶるって、まさか。ああ、いや行動からして間違いないよな。え、マジで。しゃぶんの、コレ。しゃぶっちゃうの、猪野くんが? 「これまた可愛いサイズだ……」 「ひっ、ししの、くん……!」 「んうぅ、タマもかーわい」 「はっ、はあ、まじかよ……」  べろぉとねっとりした柔らかいのと上手く口輪っかを使って吸ってくる刺激にちょっと……いやかなりビビッときた。  一人でしたのっていつぶりだったっけ、と冷静に考えてみたりしたがそれすらもぶっ飛ぶ快楽が襲ってくる。  猪野くんの可愛いサイズと言った俺のモノはその通りみたいで、おそらく口のナカに含んでるモノは全部。  むしろもっとグッとしゃぶればタマまで届いちゃうぐらい俺のは可愛いサイズ。でも、そのせいで陰茎とタマのダブル攻撃という名の気持ち良さ。  やばいやばいやばい。いつだかの元カノより気持ちイイ。  わけのわからない場所で、わかのわからない展開のまま、わけのわからないフェラをされてる俺。  つい感じて片足が浮き、猪野くんの体に当たる。その足も抵抗を意図する足じゃないとわかってるのか手繋ぎで絡めていた手で、俺の足を撫でる猪野くん。  膝から、裏。裏腿から、内股。内股から、足の付け根。  くちゅっ、と卑猥な音を立たせながら滑るように撫でてくる左足にも性感帯として感じ始めている。 「あっあ、はあ……猪野くん、んんッ」 「……ん?」 「イッちゃい、そ……」 「んふ、じゃあ、僕の喉奥へ」  ――どーぞ。  その言葉に甘えて、元カノにもやったことのない口内射精。  思わず前のめりになりそうなほど気持ち良くて猪野くんの頭を荒く掴んで勢いよくイッた三十路手前、宇田 輝。あー、相手はゲイの高校生だ。 「おはようございます、(ひかる)さん」 「……おはよう、(みなと)くん」  今日もまた猪野くん、もとい湊くんが乗ってきて、ICチップに電子カードを反応させて、なめらかに俺の横をすり抜き、目の前に座る。  この優先席は彼の席であって、彼のバスだから優先するべきである彼の席。  俺が見ていた世間は、どうやら違うらしい。 【優先席の男=湊くん席、前の男】 END   

ともだちにシェアしよう!