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第1話

寂れたバス停の、錆びれた時刻表と自分が把握している時刻とを照らし合わせる。少なくとも後1時間はここで暇を潰さなければならないらしいとわかり、泡瀬は小さく溜息をついた。 こんな所、来るんじゃなかった。 目に映るのは青々とした草木と、歪に曲がったガードレールと、塗装の行き届いていないアスファルト。 今いるバス停以外、これといった建造物も見当たらない。 煌々と照りつける太陽のなんと憎らしいことか。 夏休みを利用して訪れた父方の実家は、厳格な祖父との折合いの悪さから早々に抜け出してきてしまった。 このまま勝手に一人で帰ってしまうのもありだなとバス停を訪れてみれば、2時間に1本という記述に溜息しか出ない。 あれだけ執拗く着信のあったスマホも、随分と前に電源を切って以来なんの反応も示さない。 腐りかけのベンチに座り、意味もなく財布を閉じたり開けたりを繰り返す。 このまま1時間を過ごすなんて馬鹿らしい。 いっそタクシーでも拾おうか。 泡瀬がゆらゆらと思案していると、ふと人の気配を感じ振り向く。 黒髪のメガネをかけた少年がベンチのすぐ側に立っていた。 いつからいたのだろう。全く気が付かなかったと驚いていると、少年は遠慮がちにベンチの端に腰かけた。 端すぎて多分ケツの半分しか座れていない。 リュックを手が白くなる程握り締めて抱える姿は、どこか臆病なハリネズミを連想させた。 それから違和感に首を傾げて、とりあえず泡瀬はベンチの中央を指さした。 「こっち、寄ったら」 少年はパチクリと音がしそうな程ゆっくりと瞬きをすると、泡瀬の頭を見て、目をパチパチとさせている。 祖父に難癖を付けられた原因でもあるので、やはりこんな田舎町では悪目立ちするなと泡瀬は思った。 「あー、これ、ただの趣味だから。気にしないで」 赤褐色に染まった髪を指先でいじれば、少年はまたパチパチと瞬きをして、恐る恐るというようにベンチの中央へ腰を下ろした。 警戒されているのがなんとなく分かって、なんとも居た堪れない。 かといって話すことも無いので無心で財布の綻びを弄っていると、少年が微かに動いてベンチが不気味な音をたてた。 まさか二人座っただけで壊れないだろうなと思っていると、少年の身体が強ばって少し腰を浮かせるような不自然な体勢で座っているのが分かった。 歯を食いしばって額には汗が滲んでいる。それもそのはずで、こんな真夏に少年の格好は長袖長スボンと暑そうだ。 なるほど、違和感はこれか。 眉間のシワが険しい。理由は暑いだけじゃなさそうだけど。 「……なに、トイレでも行きたい?」 思わず声をかければ少年の身体がふらりと揺れて、俯いたまま首を振った。目をギュッと瞑って握った手の平に爪がくい込んでいる。 多分トイレではないんだろうなと思っていたが、他になんて声をかけたらいいか分からない。 口下手な所は祖父と同じだと思うとなんとも腹立たしい。 今にも倒れそうな様子に不安を通り越して心配になってきた。 諦めてスマホの電源を入れる。 「何処行き?」 「??」 「行き先。何処まで行きたいの」 「……、駅前」 「おっけい。俺と同じじゃん」 ネットでタクシー会社を調べ電話をかける。 10分程で着くと言うので一先ず安心した。 着信の数の多さに呆れるが、致し方ない。 「あ、あの……」 「こんな暑い中1時間も待ってられないだろ」 困惑顔の少年を見れば、大袈裟に肩が跳ねた。どうやら嫌われたらしい。 目つきの悪さは生まれつきなのでどうしようもないし、我慢してもらうしかないのだけど。 「いい加減やめない、それ」 「それ」 「ビクビクするの」 「……すみません」 謝る割に視線は蒸されたアスファルトに落とされたまま。俯き気味の顔からは汗が滲んで辛そうだ。 ふーー、と息をつけば隣の少年から緊張が走る。 気まづくて今にも死にそうだ。主に少年が。 そのタイミングで、丁度よくタクシーが目の前に停車した。 後部座席のドアが開き、運転手が「どうぞ」と促す。チラリと少年を見れば怪訝そうな顔で何度も瞬きを繰り返している。 立ち上がり少年の腕を掴む。 「……っ!」 「乗って」 半ば押し込む様に少年をタクシーへ乗せると、運転手に五千円を手渡し「駅前まで」と伝える。 「ぁ、あ、あのっ」 「調子悪いなら病院行けよ」 ドアを閉め運転手に行ってくれと促すと少年が慌てたように窓を開けた。 「ぁ、あのっ、泡瀬くん……!」 無情にも走り出したタクシーを見送りながら、名前なんていつ教えたっけ、と泡瀬は不思議に思っていた。 「……あ」 「あ?」 夏だというのにどこかひんやりとした旧校舎は一日中メイン校舎の影になって日が当たらない。だからクーラーのないこの高校では、暑さに耐えきれなくなったらこぞってここへ来ると決まっていた。 普段使われることのない旧校舎はどこも埃っぽくて湿っぽい。特に校舎外の北トイレは学校で自殺した霊が出るだとか、勝手に扉が開閉するだとか、そんなことがまことしやかに囁かれていた。 つまり人気がないのだ。トイレとしては小汚さ過ぎて終わっているが、静かに一人過ごすには都合がいい。 だからこうして友人とのライチタイムを抜け出してわざわざ来てみれば、思わぬ先客だ。 「なんだ、どっかでみたことあると思ったら」 あの時の少年か。なるほど、同じ高校だったか。 小柄なせいで中学生かと思っていた。 「同じ高校だったんじゃん」 「……」 バシャバシャと蛇口から出る水の音と、手で顔を覆ったまま何も言わない少年と。 それは薄暗いトレイと合わさって、どこか霊的で不気味な光景だった。 「……なに、また調子でも悪い」 「……っ、違くて、」 話す隙に手の隙間から見えた口元は真っ赤に染まっていて。 よく見ると制服も汚れている。髪だってぐしゃぐしゃだ。 「なんかあった」 「っ、……っ」 聞けば目をギュッと瞑って首を振るばかり。分かりやすいな。そんなの何かありましたって言ってるようなもんなのに。 不自然にフラフラと揺れる身体は危なげで、いつまでもこんな所に居させられない。 「……とりあえず出てきたら。タオルとかあんの」 「な、なぃ」 「じゃ早く出てこいよ」 嫌われてると思ったら、案外そうでもないらしい。 あの時と同じで、言えば素直にきいてくれる。 それでも動きはぎこちなくて遠慮気味だ。 手が血で汚れている。どうやら鼻血が止まらないらしい。 カバンからタオルを取り出し少年の顔に押し付ける。 「押さえて」 「で、でもっ、汚れ……」 「押さえて」 目をパチパチさせながら驚いてる少年の腕を引き、もう何も植えられていない花壇の回廊へ腰掛ける。 湿った土の匂いと、あと一つ。 なんと言うべきか迷って、そういえばまだ名前を聞いていなかったことを思い出した。 「名前は」 「名前」 「俺のことは知ってたじゃん」 「…………鼓滝」 「鼓滝ね、よろしく」 タオルで鼻を押さえながら鼓滝の目は不安そうに波立っていた。 警戒されている。それからやっぱり、座り方が変だ。 嗅ぎなれた、ここでは似つかわしく無い匂いと。 吹き出る鼻血と。 乱れた制服と。 それから、白くなる程タオルを握る手と。 回数の多い瞬きと。 「……なんか他にいるものある」 「っ?、ぇ、なに……」 「つかこのままサボるか、授業」 「??」 「保健室、付き合ってよ」 瞬きが忙しない。場違いにも鼓滝の反応がおかしくて少し笑ってしまう。 それをみて鼓滝が一度驚いたように目を目開いた。それから小さくモゴモゴと何か言っていたが、タオルで隠れてよく聞き取れなかった。

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