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第1話
「レイ、レイモンド・ワイツマン、きみあしたから2週間お休みだから」
この屋敷の新米主人であるアダム・シュタインベックはびしりと指を突きつけて宣言した。
差された本人は少し目を見開いただけで、そこまで表情を出さなかった。いつもと同じ平静な執事の顔を彼はけして崩さない。
「何故です?ご主人様。理由を教えていただかないと納得できません」
あくまで丁寧に淡々として返してはいるが、しかし一歩も引かないという思いが滲み出ている。
「あのね」とアダムは言い聞かせるようにして、
「きみ、休んでないでしょ。ここ一年。僕のところで働くようになってから」
「いいえ、十分休みは頂いていますが」
「うそだ!だって僕、きみが休んでるとこなんてろくに見たことないよ。それにね、ここで働くんだったらお休みは取らなきゃいけないの、義務なの!年間休暇ってやつ」
レイは一瞬だけ眉をひそめ、
「それは初耳です。自由意志であり、休まなければ『いけない』とは聞いていませんでした」
アダムは再びびしっと指をさした。
「ハイまた嘘!知ってるんだよ、きみってば僕がこの屋敷にお世話になる前はきっちり毎年休みとってたらしいじゃないか!」
途端、レイは打って変わって鋭い目線を背後に投げかけた。
背後にいるのは副執事のクロード。レイよりも長身かつ年上であるはずの彼は、その睨みをまともに受けて背筋を強張らせた。なんといっても彼は立場的にも心情的にもレイに絶対逆らえないのだ。
「違う違う!クロードに聞いたんじゃないよ僕が勝手に記録を調べて…」
「申し訳ありませんでしたレイ様!!!」
アダムの助け舟は出向前にクロードの垂直お辞儀により転覆した。
(自分から謝ったら認めたも同じじゃないか…せっかくフォローしようとしたのに!)
ひたすら垂直姿勢の部下とそれを睨み続けるレイに、アダムはまたため息をついたが、とにかく。
「そんなわけだからちゃんと今年も休みは取ってよね。きっちりしたきみのことだから規定書に目を通してないわけないよね?」
「…はい」
「んじゃ、さっそく明日から2週間お休みを取りなさい」
「…それは命令ですか?」
「命令です!」
沈黙。
レイはいつもの平静な表情で、アダムは精一杯威厳を出そうと努力した表情で。しばらくにらみ合いが続いていた。
が、やはり折れたのはレイの方で。
「わかりました。それでは勝手ながら明日から2週間休暇をとらせていただきます」
「うん、そうしなさい」
本当にしぶしぶ、といった口調に対し、アダムはにっこり笑った。
後ろにいたクロードも密かにほっと息をもらしていた。
翌日から、レイがいないという珍しい日が続いた。
今までほとんどつかずはなれず傍にいてくれた存在がいなくなったのは寂しかったが、副執事のクロードは彼と同じくらいよく気が尽くし優しいし、結果的にいえば困ることは少なかった。
「でもレイって休みの日はなにしてるのかな?」
午後のお茶の時間にアダムはふとクロードに聞いた。
つかずはなれずの言葉どおり、レイはほとんど毎日執事としての仕事をこなしていたので、彼が休むところなど想像がつかないのだ。
ティーカップにお茶を淹れながら、クロード。
「確か去年や一昨年は休暇の際には旅行に出かけられていました。おそらく今年も旅行に行かれるのだと思います」
「へえ」
カップを受け取りながらコートを着て旅行かばんを持って旅に出かけるレイを想像した。
重いトランクじゃなく、彼のことだからきっと身軽で、最低限の荷物が入ったケースだけをもって出かけるのだろう。
(どこへ行くのかな。静かなところ?観光地って感じじゃあんまりないなあ)
そんな調子でしばらく静かな午後のお茶を楽しんでいると、お菓子をとりに一旦さがっていたクロードが数枚の手紙を手に戻ってきた。
「アダム様、お手紙です」
受け取った手紙のなかに綺麗な絵葉書があるのに気づく。アダムは送り主を見てあっと声をあげた。
「レイからだ」
「レイ様から?」
つられてクロードもそこを見る。消印はどこか知らない街の名前がついている。
「旅行先から送ってきたのかな?」
ひっくり返して改めて表の写真を見る。輝く太陽、青い海と白の家々のコントラストが見事だった。どこかの海辺の町だろうか。そこでもう一度ひっくり返して、短く添えられたコメントを見る。
『旅先からお送りします。丘からの景色が美しく、アダム様にお見せしたいほどです』
アダムは含み笑いをもらした。これを書いているときの彼の顔が容易に想像できる。きっと観光地に似合わないあの生真面目な顔のまま、ペンを走らせたのだろう。
(それにしてもせっかくの休暇なんだから僕のことなんか気にかけなくていいのに。律儀っていうかなんていうか…)
「旅行を楽しんでおられるようですね」
「うん、そうみたい。よかった」
アダムとクロードは顔を見合わせて安心したように笑った。
が、しかしその翌日のこと。
「アダム様、お手紙です」
「え…またレイから?」
そのときだけかと思っていた絵葉書は翌日も届いた。その翌日も。翌々日も。
港町、かとおもえば繁華街、のどかな牧羊地…と本人の居場所を示すように風景もころころ変わっていく。しかしひとつひとつに丁寧に添えられたコメントの質はまったくかわらなかった。
『アダム様はいかがお過ごしですか』
『アダム様はバターサンドクッキーがお好きでしたね。この街では名物だそうです』
『アダム様、お風邪など召しておりませんか。ここは療養地には最適だと聞きました』
「…なんだか僕、『アダム様』って文字が挨拶かなにかに見えてきちゃったよ…これって本当に僕のことだよね?」
明日でレイの休暇期間が終わろうというころ。
とっくに2桁にとどいた絵葉書を重ねると、アダムは眉間を押さえた。
「ですがアダム様、あの方は純粋にアダム様のことを心配なさっているだけなのです!」
「…うん、わかってる。わかってるよ多分…」
あわててフォローするクロードにアダムは疲れたような笑みを向けた。しかし自分のことより、休暇でもプライベートより主人を意識しっぱなしのあの執事をなんとかしようと考える。
(休暇があけたら注意しておこう。嬉しいけどそれはだめだって)
とりあえず送られた絵葉書に罪はないので、なにもなくて寂しかった壁に全て貼っておくことにした。
「ただいま戻りました。アダム様」
そして休暇明けの日。
始業時間より1時間も早く来ていたらしい彼は、久方ぶりの復帰に明らかに活き活きとしていた。
主人が起きだす前からさっそく銀器の手入れなど初めており、アダムが起きたときは彼は壁に貼られている例の絵葉書をみつめて微笑んでいた。
アダムからしたら、長いお休みがあけたのにどうしてそんなにやる気なのかと不思議なくらいなのだけど。
そのやる気に水をさすのは気が進まなかったが、注意はちゃんとしなくてはいけない。アダムはわざとらしく咳払いすると、
「おかえり、レイ。あのさ、早速だけど…って、なに?それ」
そこでアダムの目の前にあからさまに目についたもの。それはレイの傍においてある大きなボックス型の包みだった。それも複数ある。
主人の質問にレイは上機嫌に答えた。
「はい、こちらは旅先で購入したものです。よろしければアダム様にぜひと思いまして」
「そうなんだ。ありが…って、ねえもしかしてそれ全部?」
荷物の大きさはどうみても家具が入ってるんじゃないかというレベルだ。まさかとは思ったが、言われた当人はきょとんとした顔で言った。
「ええもちろんですが?」
アダムはしばらく思考が追いつけずに固まっていたが、じっとこちらを伺う赤い瞳と、彼の背後に控える部下の必死の視線を受けてはっと気がついた。
「あ…ありがとう…あとで開けてみるね」
なんとか笑顔を作り出したアダムに、レイは口の端を上品に持ち上げた。
「お気に召したらよろしいのですが。それはそうとアダム様、私が不在の間はなにかご不便なことはございませんでしたか?」
「え?いや別に…」
そう言いかけた途端、一種の威圧感に気づいてアダムは青くなった。
「い…いやーきみがいないと困ってしょうがなかったよー!もうどこになにがあるのかもわかんなくって!」
それを聞いた彼は明らかに満足そうだった。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。これからは休暇は最低限に抑えてできる限りアダム様にお仕えします」
「いやー助かるなーあははは、あは…」
(ごめんクロード!でもこうでも言わないと被害にあうのきっときみだから!)
アダムはクロードの方を見ながら心中で必死に謝り倒した。クロードはなにかを感じたのか、わずかに頷きながらむしろ安心したような表情だった。
「午後のお茶の時間はアダム様のお好きなバターサンドクッキーを用意いたしました。きっとアダム様のお口に合うと思います」
「…うん、だいすき。楽しみだなあお茶の時間…」
そしてアダムはこの直後、実はお土産はこれだけではなく庭の方にもあといくつも置いてあるという事実を知った。しかもこれと同じレベルのものが。
それらのひとつひとつを丁寧に説明しだすレイをみて、アダムは思った。
(規約書に休暇は公私混同厳禁、って付け加えておこう)
もはや注意しようという考えもどこにおけばいいのかわからなくなったので、代わりにそう決意したのだった。
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