3 / 25

第3話

「お疲れ様、賄い出来たよ」  章良が座敷の掃除を終え、調理場と向かい合わせとなっているカウンターの椅子に座ったと同時に目の前に丼とお浸しと味噌汁が乗った膳が目の前に置かれた。  漁師町でもあるこの店の開店時間は少し変わっており、早朝のセリが終わる頃に開店し昼過ぎには一旦閉まる。  それから店内を掃除し、夜の5時過ぎから9時までの短い時間また開店するのだ。  それは夜通し漁をし朝セリが終わり、妻達がまだ仕事をしているであろう時間を家に帰らず店で酒を飲み、その後一旦帰り、また夜の漁の為家で寝るのだ。  夕方から開けるのは、逆に昼に雲丹やサザエ等の漁や養殖業をしている人が仕事を終え一杯飲んで帰るのと、1人暮らしの年寄りが夕飯のおかずを買って帰る為だった。  中には閉店時間を過ぎて居座る客もいるが、皆顔見知りの為そのまま話している事も多い。  午前中の営業が終わり、一旦暖簾を引っ込めて二人は遅いランチを食べるのが日課となっていた。  いつも真琴が午後の仕込みをしている間、章良が一人でカウンター越しに真琴の見事な包丁裁きを見ながら食べるのが決まりだ。 「マコちゃんの昼ごはんは?」 「ん? そこに作ってるよ」  真琴が視線で指した先には、今自分の目の前にあるメニューと同じ物がカウンターの裏に置かれていた。 「一緒に食べようぜ」 「僕は良いよ後で食べるから、浄水君は冷める前に食べて」 「何時も一人で食べてるのつまらない、せっかく二人でいるんだからさ一緒に食べようぜ」  真琴が作業の手を止め、章良の方を見ると章良が膳をそれぞれ片手でヒョイと持ち、そのまま座敷の方へと行ってしまった。 「僕まだこれを仕込んでから終わってからじゃないと食べないよ?」 「いいよ~待ってる」  一旦作業へと戻るが直ぐにその手を止め、真琴が大きな溜め、腰に巻いている白い前掛けを外して座敷へと入って行った。 「早かったね」  章良がスマホの画面から顔を上げ入って、座敷に来た真琴を嬉しそうに見上げた。 「だって、せっかく温かいのに冷めちゃったら美味しくなくなるでしょ」  そう言って二人で手を合わせ丼の蓋を開ける。 「おおおお!! うまそう!!」  フワっと立ち上がった湯気に卵と出汁の香りが広がり鼻をくすぐる。  黄色と白身の白がバランスよく混ざり、サックリと揚げられた唐揚げの上に絡められ魅惑的な光沢を放っている。緑鮮やかなグリンピースがまるでそれを引き立たせる様に散りばめられていた。  卵も二度に分け最後に流している為、半熟でトロリと白いご飯に染みこみ、それがとても官能的に見える。  章良がキラキラとした目で唐揚げ丼をあらゆる角度から眺め「完璧だ」と言って掻き込んだ。 「うめええええええええ――――――!!!!」  大きな声でそう言ってはまたかきこみ、そして「これは衝撃的な美味さだ」やら「この調和は完璧だ」など、食べている間ずっと何やら喋っている。  真琴がそれを見ながら、自分で作った唐揚げ丼を一口食べると、確かに何時も作って食べている賄いより美味しいと感じた。  作っている工程も調味料も材料も一緒なのに、こうして味が違うのは何故だろう。  いつもは半分ほど食べると味を感じなくなり惰性で食べていたが、今日は何時の間にか夢中で食べ続けあっと言う間に食べきってしまった。 「ごちそうさま」  そう言って箸を置き顔を上げると、何時の間にか食べ終わっていた章良が肘をついて自分を見ていた事に気が付いた。 「な……なに? 何かついてる?」  真琴が手で自分の頬を触るが、別に米粒がついている訳では無かった。 「ううん……なんかさ、誰か一緒にこうして食べるの良いなぁって思ってただけ」 「え?」 「何時もさ、俺だけ先に食べさせてマコちゃんはこっそり知らない間に食べ終わってるでしょ?」 「そりゃ、一応君はお客さんだから」 「もちろん何時もごはんは美味しいよ、でもなんか今日は特別に美味しかったなって思ったんだ」  真琴がハっとした顔をした。確かに自分も今日は夢中で最後まで食べていた……目の前で美味しそうに自分の作った料理を食べる章良を見て、自分も釣られて完食していたのだ。 「そうか……」 「ねえ、これからはさ! 時間はマコちゃんに合わせるから一緒に食べよう」 「……うん」 「やった! 家族になったみたいだ」 「……」  その言葉に真琴が下を向いて、少し眉を顰めるのを章良は見逃さなかった。 「なぁ」 「なに?」  章良が何か言おうとして口を開くが 「なんでもない」  結局何も言わずに残っていたお茶を一気に飲み干した。 〈ねぇ……〉  一体、章良あの後何を言おうとしたのか少し気になったが、あえてそれを追求しようとは思わなかった。  この奇妙な同居はこれから何処まで続くのだろう――。  この島に残るにしてもいつかはここから出て行くだろうし、もしかしたらこの島からも出て行くかもしれない……。あの嵐の日彼の腕にしっかりと抱かれた脇腹がまた少し熱を持ち始めるのを感じ、真琴はそっとそこに手を這わせ、それを紛らわす様に擦っていた。 〈もう二度と他人を自分の心の中に入れない……〉  そう誓ってこの島に流れついてこれまで生きて来た。  なのに、この男はそんな心の外壁の隙間を縫ってふと入って来ようとする……先ほどもそうだ。人と一緒に同じ物を食べ、そしてそれが美味しいと言う事を思い出させ『家族みたいだ』とそう言った。その言葉が閉じた真琴の心に突き刺さる。 〈このまま一緒にいたら、また同じ間違いをしてしまうかもしれない〉  真琴が食べ終わった食器を片付けながら、出て行ってもらうのは早いほうがお互いの為だと決意をした。  ◇◇◇    その夜最後の客が帰り、店の後片付けをし包丁を丁寧に研いで真琴が二階へと上がって行く。階段から近い小さな部屋は自分が使っているが、その扉ではなく斜め向かい側にある大きな二間続きの部屋をノックする。  ここは嘗て旅館をしていたらしく、二階には小さな部屋が3つと大きめの部屋が4つある、自分がここへ来た時はこの小さな部屋だけが片付いていて、他の部屋は使われなくなった物が所狭しと詰め込まれていた。  章良はその中で一番大きな部屋を片付けそこに寝泊まりしており、ちゃんと宿泊費も払ってはくれていた。だから余計店は手伝わなくて良いと言っていたが、章良が暇だからと何かと真琴の後をついて回っては手伝ってくれている。  正直助かる部分も多かった。男として決して低い方では無いが、やはり背が届かない部分の掃除や、重い物の移動も一人でやるより格段に早く楽に出来る。  そして一番解ったのが、自分は人恋しかったのだと言う事――。  人を避け、そしてそれまでの素性を知らないこの島へ住み着いた。周りの人はとても親切でよそ者の自分を息子の様に可愛がってくれる……だが、真琴自身は最後の一線を踏み込む事も出来ないし、踏み込まれる事も避けていた。  人と近くなるのがとても怖いのだ。それが一番自分には合っているのだろうと、そう思って疑いもしなかった。  章良が来てから、常にこうして扉を隔てて人がいると言う温かみがとても居心地が良いと思い始めていた。  彼はとても積極的で強引で人の言葉も言う事も従わない所がある、最初はそれが嫌で苦手なタイプの人だと思っていた。  しかし、何日も過ごしている内に彼は常に一定の距離を保っており、時にこちらへ踏み込んで来たとしても必ずギリギリで引いてくれる。  自分が答えに困った時はそっとその話題からは離れるか、直ぐさま違う話題へと変えてくれたりと、まるでこちらの気持ちを読んで大切にしてくれている様にさえ錯覚してしまう事もあった。まるで恋人になる前の出合った男女の様に、優しい駆け引きをしていると感じる事さえある。  真琴は彼に触られた身体の部分は全て覚えていた……。  最初に抱かれた脇腹……そしてふとした時に触れた左の薬指……後から自分の手元を見る時に、作務衣越し数センチ開いた隙間を満たす優しい温もりまで。  これまで人を好きになった事は何度かあったが、それで悲しい思いもしてきた。もう二度と他人と特別な関係になんてならないと、あれだけ傷ついて誓って来たのに。  忘れていた甘い痛みを思い出してしまう……  まるで彼が何かのスイッチを押し、自分の体が熱を持ち発光する夜の船明かりの一つになった様に感じた。  その度に揺らぎそうになる自分に戸惑いながらも、頭の片隅の何処かでそれを破ってしまいたいと言う迷いが日々大きくなって行った。  少し物思いにふけっていたが、最初のノックからしばらく待っても章良からの応答が無い事に気が付いた。何時もはノックと同時に声が上がり、直ぐに扉が開くはずだが、部屋の中には人の気配さえ感じない。  コンコン。 「浄水君? ちょっと話があるんだけど」  今度はノックと一緒に声を掛けたが、やはり部屋からはテレビの音だけが篭もった音として漏れて来るだけで中からの応答は無かった。トイレでも行っているのか? そう思ったが、章良の癖でトイレ行く時はいつも扉は全開で開けっぱなしで行く為、こうして閉じている事は無い事はトイレでもない。 「入るよ?」  そうことわり、表の扉を開けスリッパを脱ぐたたきを見ると黒のマジックで「あきら」と名前が大きく書かれたスリッパがポイポイと転がっている。真琴がそれをきちんと並べ、自分も揃えて小上がりへと上がり、ガラスの引き戸を引いた。 「浄水君?」  部屋はとても散らかっていた。そのほとんどがハードカバーの分厚い本で、それが布団の周りと部屋の隅に積まれている。 「うわ~踏んじゃわない?」  真琴が足の置き場を確認しながら本を避け、部屋を分けている襖を開けると、そこには折りたたみ式の大きな机の上にノートパソコンが開いており、その前に章良が突っ伏しているのが見えた。真琴がそっと近づき、金髪に近い茶色の前髪で隠れた顔を覗き込むと、規則正しい寝息が聞こえて来た。 「ねちゃってる、ねえ布団で寝なよ」  真琴がそう名前を呼びながら、章良の肩をポンポンと叩いたが、彼は全く起きる気配は無かった。その振動で目の前のノートパソコンの画面が明るくなり、そこには真っ白な画面が立ち上がっているままだった。  ――――  愛を失った私の身体は全ての感覚を失ったままだった。色も、音も、そして感情さえ、全てが灰になりカサカサと乾いた音を立てるばかりで――  ――――  文字hその数行で終わっていた。だが、真琴はその数行に目を奪われた……まるであの日の自分の様だと、心臓をわしづかみにされた気がした。 「んん……」 「!!」  寝ている章良が小さく声を出した為、真琴が見てはいけない物を見た子供の様にサっと画面から視線をそらせる。その部屋にもやはり本があちこちに置いてあった。  章良が一体何をしている人なのか、気になった事が無いと言うと嘘になる。だが、自分が詮索されるのを嫌うのに人の事を詮索する訳にはいかないと、あえてそこは何も聞いていなかった。 〈なにか本の出版に関わる仕事なのかな〉  真琴が近くにあった本を一冊手にして題名を見る。 「……これ知ってる」  真琴は、子供の頃から本をとても良く読んでいた。友達が少なかったと言う事もあり、一人の時間は常に図書館から借りて来た本を読んでいた、それは大人になってからも続き、唯一の趣味だと言えるほどだった。  島に来てからは頻繁に本屋や図書館へ行ける訳では無いが、どうしても手放せなかったお気に入りの本は持って来ており、今も繰り返しそれを読んでいる。  新刊も気になるし、出来れば一日中本を読み漁っていたいほどだったが、仕事もしておりそう言う分けにも行かない。それにお気に入りの本を繰り返し読むのも好きだった。  そして隣にあるもうひとつの本も手にしてパラパラと捲ってみて、また違う本を手にした時――。 「あれ?」  真琴が立ち上がり、部屋にある本を一冊一冊確認して見て回って、寝ている章良を振り返った。 「同じ人の本だ」  それは新刊を出せば全てヒットすると言われ、中には社会現象まで起こし話題となった一人の天才作家と言われた人物の本だった。そして自分もそれに漏れずとても好きな作家で出す新刊全て読んでいたほどだ、実はお気に入りで持って来ている本の全てがこの作家の本だった。 「……うそ、これ幻のやつ!!」  その本に中には発刊したが、問題があったと言う事で直ぐに中止になり回収された本や、部数が限定され出回らなかった物まであった。 「すごい! 浄水君もこの作家さんが好きなんだ! 凄い、こんなの劇レアだよ!! なんで持ってるの?!」  真琴はすっかり本に魅了され、章良に話をする事も彼を起こす事も時間も忘れ、小説を読み漁って行った。  新山 齎 (にいやま さい)  それが作者の名前で、小説界でのカリスマ作家の名前だった。 〈続〉  海が鳴いている3  八助のすけ

ともだちにシェアしよう!