1 / 1

雨の神様

ある森の奥に開けた場所があった そこには小さな池と石灯篭がいくつか並んでいる神社跡地の様だった。 岩には苔が生え、辺りは草木が生い茂り 灯篭にもヒビや草のツタが絡まったりしている。 そんな場所でも生命は宿る 珍しく綺麗な虫や花や魚や 名も無い神でさえもそこに佇んで居た。 「今日も、騒がしいなー…おいっ」 蓮の葉に座っている男はそこに居る羽虫達に遠くで遊ぶよう言うと、文句を言いながらも出かけて言った。外の話を沢山聞かせてやるから楽しみにしていろよと言い残して。 「…外の世界か」 池の神はここで生まれてここで死ぬと決まっていた。 それは誰かに言われたわけではなくそう決まって居た自然の理のようなものだった。 最近はよく日照りが続いていて池の水が少なくなっている。干上がってしまえばそこにはもう、何も居なくなるだろう。もちろん俺も。 「こんにちわ」 突然声がした。また魚達が新しい子供らを連れて来たのかと思ったがどうやら違った。 周りにはあと、亀とゲンゴロウとアメンボしか居ない。でもそいつらは基本無口だ。俺から話しかけない限り何も言ってこない。 魚達も岩陰に隠れて何やら忙しなく微生物を食らっている様子。 「何か言ったか?」 近くに居たそいつらに問う。それでも首を振り返された。 「こっちですよ。」 また、声がした今度は近くから 辺りを見回すとそばの木の影に黒い靄がかかっている。 「なんだ、あれ…」 池の淵まで寄って目を凝らすとその靄の中にも目があった。こちらをじっと見つめ返して居る。 「あなたには、私がどう、見えていますか?」 「どうって…言われてもな。んー…」 黒い靄はどんどん木の影から出てこようとしている。 「なんか、気色悪い…こっちくんな。」 「……えっ」 靄は、また木の影に引っ込んでしまった。 「ウソウソ。いいから、出て来いよ。いつまでもそこに居られたら気になってしかたね…」 そう言うと、瞬時に体全体が黒い霧に覆われ辺りは真っ暗になった。 そこから目の前に顔がぬるりと浮き上がる 「貴方には見えるんですね、私が…私にも貴方が見える」 不気味に笑うと、頬に手が触れた気がしたが靄が掠めただけだった。 「煙いっ!!」 ガッとそいつの首をつかむと水面に叩き潰した 「ぐえっ」 少し、水面に波が立ったが掴んで居るそいつの身体は半分透けて居る。 「何なんだ、お前……この世の物じゃねーのか?」 「さぁ……貴方こそ、この世ならざる者なのでは?」 こいつの、心が読めない。 命を持つ物の心を読む事が出来るのが唯一の俺の神として持った力だった。 だとすれば 初めて、死人と関わる事になる訳で… 「…どうして、こんな森に出て来たんだ?」 「貴方は、どうしてそこに居るんですか?」 「質問を、質問で返してくんな腹立つ。こっちが聞いてんだろ」 「…私には、未練があるんだと思います。」 「未練って何だよ」 「さぁ、…それが分かればここには居ないでしょうし…ふふふっ」 イライラした。 こんな事お前の頭んなか覗けば一発なのによ。死人はもう魂がなければ心も無い。 幽霊が自我を保ってられるのは生前の強い記憶だけ。その記憶の中に未練という念が残っているんだろう。 「ここで彷徨ってるつもりか?」 「ええ…しばらくは居ると思います。成仏できる目処がつくまで、その、ご迷惑でなければお話相手になっていただけませんか?」 「……お賽銭。」 「へ?」 「ここ。元は神社だからよ、神様に話し聞いて欲しいなら其れ相応の見返り貰わないとな。」 「見返りですか…でわ、これを」 「ん?なんだこれ……押し花?」 「私が生前持っていた物です。とても大切にしていた物だそうで遺体と共に棺桶に入れられていました」 ひらっと長方形の紙を差し出されるそこには紫陽花の花が一輪、透明な膜の中に押し込まれていた。 「まあ、いいやソレで。…んで、何でこんなのが大切だったんだ?」 「………さぁー?…どうしてでしょうか?」 「お前、…もしかしてキオクないの?」 「はい…自分の名前さえも思い出せません。」 「まじかよ…」 幽霊はとぼけた顔で笑っていた。 話聞いて何とかこいつの経緯とか素性とか色々探り入れて推理してみようと思ったのに…それも皆無…。 こんなやつがずっと浮遊してるなんて目障りだが、俺がどうにかできる問題じゃねえ… 「…ハァー…じゃあ、とりあえず何でもいいから何か思い出したら言ってくれ。それまで居ていいから」 「本当ですか?ありがとうございます。よろしければ隣にいても、構いませんか?」 「は?、池には入ってくんな…穢れる」 「貴方は、どうしてそんな所に居るんですか?」 「…気が付いたらここ居た。理由なんかねーよ。消えるまでここにいる。」 「神はどうやって消えるんですか?」 「俺は、池の神だからな。…ここも水が浅いこの水嵩がなくなれば俺もいずれ…」 「平気ですよ。」 幽霊は蓮の葉に居る神に訴えかける。 手をとって顔を近づけた 「もうすぐ、雨が降ります」 「は?なんでわかんだよ、空見ろ。かんかん照りだっつっつの雲すらねえよ」 「降ります。…貴方を目にした時からそんな気がしています。」 「なんだそら」 すると、風が吹いた。 草木はざわめき周りの虫や魚が忙しなく動き出すカエルが鳴き始め、風の中には微かに湿り気と濡れた土のにおいがした。 「ッ…」 いつの間にか目の前にいた幽霊は消えて風も止んだ。途端に静かになった辺りは少し影を差し、ぽつりと池に波紋を作る。 「………雨だ。」 そう呟くと、痛いくらいの大きな雨粒が顔面と水面と地面に叩きつけられる。 久方振りの天からのお恵みに 池の神は空に手を伸ばして幸福を感じていた。 「どうです?…言った通りだったでしょう。」 「こんなに、胸が騒いだの久しぶりだ。お前は雨の神なのか?」 「いいえ、ただの人だった者です。」 「何かスッとした、こいつらも喜んでやがるっははっ」 「………」 池の神の周りには魚や亀やカエルが群がり水かさの増す池を囲っては踊り出すかの様に騒いで居た。 深夜 騒ぎ疲れた小さい者達や池の神は葉の上で小さな寝息を立てている 「…貴方は、神なんかじゃない」 幽霊は池の中の虫を一匹捕まえると 優しく手の中に握る、蠢く感覚が肌に伝わってくるのを感じながら池の外に出し手を広げた 「…やはり。」 そこに居たはずの虫は手の中に居なかった 「生まれ変わるなら、何になりたいですか?」 「なんだよ、急に、……生まれ変わるならねぇ…」 蓮の葉に寝転がる神は水と戯れながら空に浮いている幽霊に言った 「普通の…人間とか?」 「人間、ですか…普通な人ってどの様な方の事を言うんでしょうね」 「ふつうだろ、…普通に、好きな事して、テキトーに頑張って好きな奴と一緒になって…ずっとそばに居るとかさ」 「ふっ…随分、ロマンス溢れてますね」 「るせーな、お前が聞いたんだろ。お前はどーなんだよ」 「私は……貴方に、」 「俺に、…何?」 「貴方に気付いて欲しいです」 「何をだよ、…早く、お前の未練暴いて成仏させろって?」 「違います、貴方自身の事を…思い出だして欲しい」 「…よくわかんねーけど、俺の事とかどーでもいいから自分の事思い出せよ。んで、さっさと消えてくれ」 「その、生まれ変わりたい願望は、貴方の夢だったんじゃないですか?」 「…夢ぇ?そんなの寝てる時にしか見ねーよ」 「貴方の夢は誰かのそばにずっといる事」 「誰かって誰だよ……」 「少し、目をお借りします。」 幽霊は神の目を手で覆うと念を込めた それはこの場所の外側を映した景色だった。 「何が、見えますか?」 「墓地……?」 「そうです。実際、ここは森ではなく低い山の頂上。その麓にあるのがあれです。」 「紫陽花の群れ…」 「ええ。そこに囲まれている墓に私は眠っています。」 「………。」 池に浮かぶ男はただただ呆然としていた。 「あなたは、私のそばにずっと居たんですよ。…私が死んでしまってからずっと、この池から見守ってくれていたのを感じていました。」 「俺は、…お前なんか……」 知っている。 懐かしい感じがした。こいつの喋り方も煩わしさもいつもすぐ近くで感じていた感覚だった。それに気付いてしまってもなぜだか認めたくなかった。 「知らない…」 「私は、……生まれ変わったらあなたのそばに居たいです。ずっと隣で咲き誇れる花でありたい」 「…うるせえ、もう聞いてねーよ、そんなこと」 「だから、私は居なくなったりしません、賭けてもいい…」 「…なにを」 「私が、貴方の事をどう思ってるかを言い当てられるか…そうすれば私は消えない」 「んだよそれ、わけわかんねーよ」 「……では、先に貴方が私に思っていることを言い当てましょうか?」 幽霊は池の男に近づき腕を伸ばした 「答えは、貴方と一緒ですよ……虎宮さん」 「ッ?!……」 びりっと電流のように流れ込んできた名前が心臓に響いた。 「お前は……俺に、……惚れてる。」 「正解です。…ありがとう、ございます」 「くそっ……何でこうなった、本当にお前の事なんか知らないのにっ」 こいつとの記憶なんか無いのに感情だけが胸の中に渦巻いて解けないみたいな。 「それは、貴方がまだ生きてるからですよ」 「は?」 「もう…そろそろお別れの様ですね」 「おいっ、何だよこれ、どうなってんだ何で俺の方が消えかけてんだよ!」 蓮の葉の上で神だった男は段々と透けていく体に目を凝らしていた 「私の方はもう、平気なので。…今度は、幽体でわなく人の身でお墓参りに来てくださいね?時間がある時で構わないので」 「もう、二度と来てやんねーよばーかッ」 「それはざんねんでッ…?!」 幽霊の唇に柔らかい感触が伝わった。 「さっさと、生まれ変わって…近くにいろよずっと…」 「はい。必ず…そばに居ます」 「俺も、お前の近くに居るから」 「え?」 消えてしまった彼が居たその場所は 池ではなく土が抉れた所に雨水が残っただけの、水溜りがあった。 そこに浮かぶ小さな一輪の蓮の花 「随分、可愛いらしくなってしまいましたね。」 生き霊にまでなって、長い間ここに居た彼は自分を名も無き神だと称してこの場所から墓地を眺めていた。 寂しがりやの池の神様が残した未練は人の心を読む事。 「死に際に喧嘩別れしたのがいけなかったんですかねぇ……」 それでも、とても嬉しかった。そばに居てくれていただけで何度、成仏しかけたか。 「では、私も、そろそろ行きましょうか」 また、雨が降り出しそうな空 幽霊が消えた場所には毎年、鮮やかな紫陽花の花が咲いていたのでした。 end

ともだちにシェアしよう!