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第86話

『……私は、私は何があっても貴方の味方よ。それだけは、忘れないで』 僅かな沈黙の後、ランはそう言い残して電話を切った。数分間、人の声を聞いていた俺の耳には外の雨音が大きく聴こえてくる。 うるさいオカマ野郎だが、アイツの心の傷に俺は寄り添ってやることができない。大切な存在を見つけた俺に、忠告や助言を与えてくるランは、おそらく俺と自分自身を重ねているのだろう。 昔、ランが1度だけ話してくれた。 ランが願った、なんでもない幸せ。 永遠に、叶うことのない想い。 ランが心から愛した相手は、もうこの世にはいない。 男同士で付き合うことは世の中のタブーだと、ランははっきり言い切った。それはアイツ自身の経験からくる言葉だと思うし、俺もその意見に異論はない。 けれど、俺はもう。 アイツを、星を求めずにはいられない。 経験しなければ理解できないことが、この世の中には沢山ある。それは恋愛だけに限ったことじゃないけれど、主観で話をするならやはり、恋愛においての経験は必須なのだろう。 遊びで手を出したことを悔やんでも、それが本気になれば結果オーライだと思う俺は楽観主義者なんだろうか。けれど、この俺の考えは、浅はかで愚かなものだと俺だって理解している。 石橋を叩いて渡るのも悪くはないと思うが、叩いている間にも時は進んでいくのだ。 ランの店に星を連れて行ったことが、酷く懐かしく感じてしまうのだって。その後の時間の流れが緩やかに過ぎていったのなら、まだ過去になどしていないハズだ。 星を家に帰せなかったこと、アイツが帰らない選択をしたこと。公園でずぶ濡れになり、そのせいで下着がなくなり、そしてアイツは大泣きした。 俺が欲に負けて星に手を出したことも、その後の星が笑っていたことも……叩く前に渡った石橋の先で、待っていた未来に過ぎない。 酷く早足で今日という日を駆け抜けた気もするし、時間をかけて濃密に過ごしたような気もする。 別れることが運命なのかさえ、今の俺には、いや……この世界中、誰にも分からないことだ。 かつて、未来を予知したノストラダムスの大予言とか、予知能力を持つ人間ってのはこの世の中に少なからず存在するのだろうけれど。そんなヤツらと俺は知り合いでもなければ、存在すら知らない。 運命の人だとか、未来がどうだとか。 そんなものは他人が決めるのではなく、俺が、俺自身が決める。いつだって、決定権は俺にある……過去の、あの日だけを除いて。 ランには少し悪い気がするが、ランと俺は違うのだ。 未来を恐れても、仕方がない。 付き合ってすらいない現状だが、俺は星が好きだ。この気持ちに嘘などつけないし、俺は嘘をつくつもりもない。明日の俺がどうなっているかなんざ、誰にも分からないことなのだ。 それならば、俺は全力で奪いにいく必要がある。 弟を溺愛する兄から、悪魔のような光から、星という存在を受け渡して貰わなければならない。 「……そろそろ、か」 コインランドリーの乾燥機に突っ込んでいた服が乾く頃、それは、今日が終わる時間だった。

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