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第6話 対向車線に突っこむ

朝、灰谷がいつもよりも早く身支度をしているとインターホンが鳴った。 ♪ピンポーン。 「はい」 モニター画面には顔の前で指をチラチラさせる真島の姿が映っていた。 『オレ。オレオレ。イチゴオーレ』 灰谷はくすりと笑って言った。 「今行く」 マンションのエントランスに自転車に乗った真島が待っていた。 「よう。今日はオレが迎えに来てやったぜ」 「一日くらいでいばるな」 少し得意げな、でも、いつもの真島の顔だった。 灰谷はなぜか少しほっとして真島にビニール袋を差し出した。 「何?」 「イチゴオーレ。母ちゃんの」 「いいのかよ」 「出張でいねえし、また買うからいいよ」 「やった!んじゃ、行くか」 真島が自転車から降りようとするから、灰谷は後ろに腰を下ろす。 「あ?」 「今日はオレが後ろ」 「え~。オマエ重いからな~」 「たまにはいいだろ」 「いいけど。ドリャッ」 重いからなんて言ってはいたが自転車は軽快に走りだした。 しばらく走ったところで灰谷は真島に告げた。 「真島」 「ん?」 「昨日さ、返事した」 「おう」 「まあ……ちょっと付き合ってみるわ」 「うん」 真島はあっさりと返事をした。 真島が高梨さんの事を……なんて、オレが気にしすぎていたのかもな。 灰谷は思った。 「あ~それにしても後ろラクだわ~」 「つうか灰谷タッパあるから重いわ」 「オマエが細すぎんだよ。腰なんか女みてえ」 灰谷は真島の腰を両側からギュッとつかんだ。 「うわっ!!」 途端に自転車が揺れて大きく車道にはみ出した。 ププー。 後ろを走っていた乗用車がクラクションを鳴らす。 真島はハンドルを切って自転車をなんとか持ち直した。 「あっぶね。しっかり運転しろよ!」 「オマエが急に触るからだろ。やめろよ」 「なんだよ。腰弱かったっけ?」 「弱くないわ」 真島はあきらかに動揺している。 灰谷はちょっと面白くなった。 「真島~」 真島の腰に腕を回して、背中にカラダを押しつけた。 それにしても細い。腕が余る。 ん? 真島の背中が硬くなり、次第に小さくプルプル震え出した。 キキー。 自転車が急停止した。 「あっぶね。真島オマエ……」 「危ないからやめろや!」 ふり返った真島の顔は怒っていて、それにほんの少し赤くなっているように見えた。 灰谷は真島の剣幕にビックリする。 「わ……ワリぃ」 「もう前やだ。オマエが前」 「わかったよ」 前後を入れ替え、自転車は走り出した。 真島は口をつぐんだままで不穏な空気が漂っている。 「そんなに怒んなよ」 「怒ってねえよ」 「怒ってるじゃん」 「危ないつってんの!オマエと二人で車に轢かれたりしたくねえし」 「悪かったって」 「……オーレとって」 灰谷は前カゴに入れていたビニール袋を真島に渡した。 サトナカとの合流地点まで、真島はイチゴオーレをストローでチューチュー吸うばかりで一言も喋らなかった。 そんなに怒るような事したか? なんだよコイツ。 なんで昨日からこんなに情緒不安定なわけ? やっぱ高梨さんの事……かなあ? 真島の変化を灰谷は感じ取っていた。 * バカ灰谷。 オレはイライラがとまらなかった。 何、腰に手なんか回してんだ。カラダくっつけてんだ。 勃っちゃうだろ!ってそこかよオレ。 うお~たまんね~。 腕の感触。背中にあたる胸板。 オカズ~。 ……って虚しい。 やっぱ付き合うのか。 だろうな。 明日美ちゃんに告られて断る男はそうはいない。 そっか。そっか。 灰谷がくれたイチゴオーレ……。 ストロー刺してチューチュー吸う。 甘い。 なんだっけ? 女の子はリボンとレースと甘い顔……。 オレはため息を押し殺した。 風を切って進む自転車。 灰谷の漕ぎは力強い。 二人で車に轢かれる……か。 ポロリと出た自分の言葉にビックリする。 もし今、車に突っこんだら……。 灰谷とオレはこのまま。親友のまま。 そこで終わる……。 それもいいかもしれない。 オレのこの灰谷へのモロモロの感情もすべて飲みこんで。 そんで二人だ。二人のまま。 このまま。 数十センチ、ハンドルを切ればいい。それだけ。 なんつって……しないけどね。 「ウイーッス」 自転車が止まって灰谷が声を出す。 「マジハイ、ウイーッス」 サトナカとの合流地点だった。 「サトナカ、ウイーッス」 挨拶を返しながら、オレは自分の暗い考えにゾッとした。 四人で学校まで歩く。 「真島~昨日はゴチな」 「お~」 「何?」 「いやあ、オマエも中田もデートだって言うからオレもダーリンにオゴってもらったの」 「ダーリン言うな」 「ビッグマックセット。それよりも~。灰谷~、昨日どうだった?OKって返事した?」 佐藤の関心はもちろん、灰谷のデートだった。 「うん」 「したんだ。するよな~。で?返事聞いて明日美ちゃんどうだった?」 「どうって」 「テレてた?笑ってた?カワイかった?」 「別に」 オレに遠慮してるのかなんなのか、あまり喋りたがらない。 「そのあと初デートだろ。どうだった?」 「別に。お茶飲んだだけだし」 「明日美ちゃんどうだった?カワイかった?」 「別に」 灰谷はポーカーフェイス。 「カワイくないの?カワイイだろ」 「別に。いつもカワイイし」 「出た~ノロケだよノロケ」 ノロケと言うより事実を伝えてるって感じだな、どっちかと言うと。 まあでも、灰谷が女の子カワイイなんてちゃんと言うのはじめてかも。 そうか、やっぱカワイイって思ってるんだ。 まあ思うか。 こいつ意外とムッツリだからな。 デレデレ、デートの報告されても困るけど。 こいつはそういうの多分しない。 「で、何よ?どんな話した?」 「……別に。たいしたこと話してないよ」 「例えばなんだよ?」 「学校がどうとか。バイトがどうとか」 「ふ~ん。それから?」 「それだけ」 「それだけ?あの高梨明日美とデートしてしてそれだけ?」 「うん」 「オーマイガッ」 「やめろ佐藤。うっとおしい」 それまで黙っていた中田が急にツッコんできた。 「どうしたの中田。今のマジじゃん」 「いつもマジだわ」 「何~なんかあったの杏子ちゃんと~」 佐藤がおチャラけるとめずらしく中田が黙った。 「何何何よ」 「オマエ、他人のそういうの大好きな?」 「他人の不幸は蜜の味。で、何?中田」 中田が口を開く。 「……夏休みに服屋でガッツリバイトするって言ったらケンカになった」 「『あたしは誰と遊ぶの?ほったらかし?』って?」 「そう」 「わかるね~佐藤、女心が」 今度はオレが佐藤にチャチャを入れる。 「サトコって呼んでダーリン」 「ダーリン言うな……の割には彼女できないけど」 「それを言うな~」 「で、なんで服屋?」 灰谷が聞く。 「オレ、服好きじゃん。将来そっち行こうかなって。まあ売る方、作る方どっちが向いてっかわかんないけど。とりあえずバイトで売る方やってみっかって」 「うお~。進路の話?」 「オマエはどうすんの佐藤」 何気なくオレは聞いた。 「オレ?オレは保育士」 「え?決めてんの?」 オレは心底ビックリする。 能天気佐藤が進路を決めてる? 「うん。子供好きだしね。ガキのパワー吸い取って百歳まで生きんのオレ」 「あ?言ってる意味よくわかんねえ」 「子供ってパワーあんじゃん、もうどっから湧きでんだっていう爆発力。オレ、あれが好きなんだよ」 「ガキにはガキの気持ちがわかるってか?」 中田が皮肉る。 「なんかさ、つらい境遇の子とかもいるじゃん。オレ、あれ見てっともう本当に胸が痛えの。何ができるかわかんないけど、なんかできたらなって思うんだよ。それには現場にいないとな」 ええ~?決めてんだ。佐藤まで。 しかもそんなことまで考えてんのか。 じゃあもしかして灰谷も? 「灰谷、オマエは?」 「オレは大学行く」 「は?そうなの?はじめて聞くわ」 「最近決めたから。なんか行きてえなって」 そうなんだ……。 「真島~オマエは?」 佐藤がオレに聞く。 「オレ?オレはなんも考えてないよ」 「なんも?」 「うん」 「本当になんも?」 「うん」 「真島、マジか?」 「マジだ」 「ヤバイぞそれ」 そっかみんな決めてんのか。 オレなんか全然……。 今で精一杯。 はあ~。 なんかめんどくせえなあ何もかも。 別にこのまんまでもいいんだけどなあ。 ってまあそりゃムリだけど。 なんかなあ~。 あれ?なんだっけこういうの。 担任の田中に英語の授業で習ったやつに、なんかこんなのあったな。 The flowing river never stops and yet the water never stays the same. ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。 だっけ。 だよな。昨日と同じようでいて今日は違うんだ。 時間は絶え間なく流れて、少しづつ変化していく。 昨日と同じ今日はないんだよな。 昔の人はいいこと言うわ。 つうか……はあ~。 なんかもうイロイロめんどくせえ。 めんどくせえなあ。

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