1 / 5

 下校しようと靴箱に向かう足が止まった。  昼から降りしきる雨のせいではない。今は梅雨真っ只中だ。この天気は三日連続で続いている。蒸し暑さが苦痛なこと以外はもう慣れた。  止まった理由は、ひとつしかない。  彼だ。  クラスメイトの長嶋(ながしま)がそこにいたからだ。  これから部活なのか、ジャージ姿だった。両手をポケットに突っ込んで外を眺めている。それだけで絵になっていた。実際、通りすがりの女子たちがちらちらと盗み見ている。  俺もその一人だ。周りの生徒の視線を気にしながら、広い背中を盗み見ている。  苦しい。胸がぎゅっと締め付けられる。ありきたりな表現しかできないが、彼を見ていると本当にそうなるのだ。  厄介なことにその痛みも心地良い。だから、しんどくてもやめられない。  人が少なくなったのを見計らい、靴箱への歩みを再開させた。  だんだん彼が近づいてくる。違う。俺が近づいているのだ。  そんなしょうもない思考を巡らせていないと、彼の近くにはいけない。近くの空気を吸えない。頭から体全てが、彼を意識してしまう。  すぐ隣に、彼がいる。何か話したい。何か話さないとつまらない奴だと思われる。そうか、挨拶だ。それだけでいい。というかそれがいい。会話を弾ませるスキルなど俺にあるはずがない。  顔が熱くなる。自分の自惚れに。そもそも俺のことなんか意識しているわけがない。俺はなんでこうなんだ。外靴に履き替え、傘を差してさっさと帰ろう。 「雨だな」  声がした。思わず目を向けたが、向けなくてもわかった。彼だ。綺麗な横顔がすぐ目に入った。その彼が、俺に向かって声を掛けている。雨だな、と。 「うん」  貴重な体験だと認識していながらも、それしか返せなかった。しかし他に何か選択肢はあっただろうか。つまらない奴だと思われていないだろうか。  会話がない。いや、もう終わったのだ。  雨だな。  うん。  この会話はそれが全てだ。

ともだちにシェアしよう!