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第5話

 仕事を終え勤務先を出ると外は今日も雨だった。  あの夜から半月。今年の梅雨は例年より降水量が多く、長雨だと言われている。  諒太は厚い雲に覆われた空を眺めながら傘を広げ、いつもと同じように家路に着いた。仕事帰りにどこに寄るわけでもなく、誰に会うわけでもなく。それが諒太の日常だった。それで満足していたはずだった──のに。  雨の日は嫌いだ。余計なことを思い出す。  傘に当たる雨音、濡れたアスファルトの匂い。スーツが少しずつ雨に濡れ、湿った匂いを含み色を変えていく。  あの日のようにふいに後ろから傘を奪われ、あの日のようにどこか夢のような世界へ連れて行かれるのでは──と、ありもしないことを考えてしまう。  たった一度、一夜限りの逢瀬──だったはずなのに。彼の汗の匂いもその息遣いも、触れる指の感触も手のひらの温かさも、自分の身体の中を埋め尽くした質量も強い熱も。  何もかもが諒太の身体に沁みついたまま離れない。 「……気が狂いそうだ」  セックスを覚えたての若者のように、雨の日の夜は特に身体が疼く。  風呂場で熱いシャワーを浴びながら、自分の手をあの男の手に見立てて、あの夜されたことの妄想に耽る。風呂場で、ベッドでレンにされたあれこれを思い出しては身体を震わせ、それだけでは飽き足らず職場で、道端で──と妄想の幅を広げ自慰に溺れる。 「……んぁ、っ……はぁ……」  けれど、足りない。 「レ……、ん。も、ちょ……奥……ぁあ」  してもしても、足りない。  疼く身体を持て余し、誰でもいいからこの熱をどうにかして欲しいとさえ思うようになった。  梅雨が明けた暑い夏の日の夕方。急に雲行きが怪しくなり、辺りが真っ暗になったかと思うと猛烈な雨が降り出した。  急なことで傘を持っていなかった諒太は、雨宿りできる場所を探し、近くにあったカフェに駆け込んだ。  カフェは諒太と同じような雨宿り目的の客で溢れていてほぼ満席に近く、しばらく経って窓際のカウンター席の端にやっと座れる場所を確保できた。  それから三十分。依然雨は激しく降り続いている。手にしたコーヒーはもうすっかり冷めてしまった。  勢いを増す雨にこのままでは埒があかないと、諒太は冷たくなったコーヒーを飲み干して店を出た。  店の屋根の下で飛び出すタイミングを見計らっているだけで、強風に煽られた雨が諒太の髪や顔やスーツを濡らしていく。  濡れずに帰るなど不可能だと半ば諦めたように駅の方へ向かって歩き出したとき、諒太はふいに後ろから誰かに肩を抱かれ、その瞬間さっきまで目を開いているのも辛いほど顔に当たっていた雨が止んだ。  ──いや、違う。雨が止んだのではない。  振り返ると諒太に傘を傾けるレンの姿があった。彼の髪からは雨の雫が滴り、酷く息を切らせている。 「……え?」 「“え”じゃねぇよ! やっと見つけた。どれだけ探したと……」  レンが不機嫌さを隠そうともせず、息を吐いた。 「探す? おまえが俺を?」 「あの朝、起きたらあんたいねぇし! 連絡先どころか、何一つ残さず消えてるし! せめて連絡先くらい置いてけよ。次の約束取り付けとかなかったのこんな後悔したのは初めてだよ!」 「……なんで」  そう訊ねつつも、必死な顔で怒りさえ滲ませて、レンが自分を探してくれていたということがどうしてか諒太の頬を緩ませた。  忌々しそうに小さく舌打ちをしたレンが、バリバリと頭を掻きむしりながら尚も不機嫌そうに言った。 「なんでって、決まってる。あんたに惚れたからだろ! あの夜、きっかけ逃さないようにって強引に関係迫ったのは俺だけど、抱いたら完全に嵌ったんだよ。あんたは俺に嵌んなかったのかよ? あんな死にそうに気持ちよくてヤバいって思うセックスしたの、後にも先にもあの夜だけだ」  ああ、なんだ。  あの夜を境に、自分だけがどうにかなってしまったのかと思っていたが、実はそうではなかったということか。  よくセックスにおける身体の相性がどうのとか聞くが、諒太にとってレンがそうだったように、レンにとっても自分が何か特別だった──? 「──俺もだ。俺も嵌った、おまえに」  諒太はレンが傘を支える手の上に、自分の手を重ねながら答えた。 「ここ数週間、おまえのこと考えて身体がおかしくなりかけてた。これまで経験なかったから他の奴と比べることもできなくて一度だけ知らない男と寝ようとしたけど、キスだけで吐いた」 「は⁉ ちょっと、待て。他の男とヤろうとしてたのかよ!?」 「それくらい身体が疼いておかしくなりそうだったんだ」  いや。おかしくなりそうなのは、今もだ。  すでに目の前のレンが欲しくて欲しくて仕方がない。 「レン……今すぐ抱いてくれよ。理由は分からないが、おまえじゃなきゃダメみたいだ。今すぐ、おまえと気が狂いそうなほど気持ちいいセックスがしたい」  傘を引き寄せて諒太が囁くと、レンがごくりと音を立てて唾を飲んだ。  手近な場所にあったビジネスホテルにずぶ濡れのまま駆け込んだ。  濡れた服を自分で脱ごうとすると、それをレンに止められ、いま彼の手で一枚一枚衣服を剥ぎ取られている。 「あんたいつもずぶ濡れだな」 「そっちこそ」 「この前より酷い。シャツがぴったり張り付いて肌が全部透けてて超エッロ……」 「おまえもエロいよ。その濡れた髪も、若くて瑞々しい引き締まった身体も」  言葉さえ、もどかしい。  ──早く、抱かれたい。その厚くて逞しい腕の中に。  服を全て剥ぎ取られ下着だけにされると、レンが諒太の硬化した場所を指でくにくにと弄る。その待ちわびてた刺激に諒太が小さな吐息を漏らすとレンが嬉しそうに眉を上げた。 「なぁ、リョータ。ココもすでにびしょ濡れじゃん……そんなに俺が恋しかった?」 「──ああ、恋しかった。頭おかしくなりそうなくらい」  恋しかったのは、身体なのか、レン自身なのか。あの夜、自分を変えた男を目の前に狂おしいほどに身体が疼く。 「レン、早く入れてくれよ。おまえので俺の奥深くまで突いて……」 「──ったく。どうなってんだよ、あんた」  そう漏らしたレンが堪らないというような表情を浮かべ、性急に諒太の中へと押し入って来た。その質量と圧迫感に目に涙が滲む。 「レン……っ、ぁあ!」  何度も何度も彼の名を呼び、その背中にしがみつき爪を立てた。  ──堪らない。やっぱりこの身体だ。  俺は狂ってしまったのかもしれない。レンが与える刺激が全て快感に変わり、その快感に体中が痺れて何も考えられなくなる。  ──もっと、欲しい。与えられた端から、彼の身体に飢えていくこの感覚が怖いくらいだ。 「もっと……」  うわ言のように繰り返す。  窓の外では稲妻が光り、まだ雨は降り続いている。     -end-

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