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 本来の関係性がわずかに戻ってきた気がして、潤は少し気分が楽になった気がした。颯真もそう思っているようで、先程よりも視線が和らいだ気がする。  そのためか、安易な疑問が口をついて出た。 「颯真は焦ったりしないの?」  颯真の視線が潤を捕らえる。 「何が」 「僕と松也さんがどこかに行ったりとかって……」  と口にしてから、違和感に気付いた。自分の言動に酷く矛盾があるように思えてきた。これでは、自分と松也が出かけることに対して颯真に嫉妬してほしいように聞こえるではないか。 「あ、いや、これはその。そういう意味では……」  焦って訂正しようにもどう言っていいのか分からず。気持ちだけが急いでしまう。  颯真がその慌てぶりを鼻から声が抜けるような笑い声を上げた。 「あはは。お前も言うな。今更焦っても仕方がない気はしている、でも」  少しどきっとするような颯真の視線に晒されて、潤は眼を奪われた。 「俺も、潤とデートがしたいな」  デート。  颯真が突如言い出したその言葉に、なんと答えたらいいのか。  潤が少し迷っていると、颯真が苦笑する。 「酷いな。スルーか」  冗談のような口調だが、そう言われてしまうと、潤は誤解がないように自分の気持を言葉にしなければと思ってしまう。 「っていうか……、なんていうのかな。今更デートとか言われても……。僕らは、もういろんな所に一緒に行ったじゃん?」  三十路に近い双子の男兄弟としては、普通ではないくらい仲が良いと思う。颯真が、自分をどう思ってきたのかは別として、潤から見れば颯真と一緒にどこかに行くのは普通であって、それはデートという呼称ではないものの、同じようなものだと思う。  だから今更デートなどと言われても、先月一緒に行った買い物と、どう違うのだという気分なのだ。  デートであってもなくても、颯真は車を出してくれるだろうし、助手席の自分を気遣ってくれるだろうし、美味しいお店を探してくれるだろう。自分も颯真の運転を気遣って、車内ではいろいろと話をして盛り上げようとするし、愉しい外出になるように気を配る。一緒に出かけるのは互いに兄弟がいいなと思うように。  そのような意味が伝わったのか、颯真も少し考える。 「じゃあ、今年は俺が初詣に行けなかったから、とりあえず川崎大師に厄除けかな」  やっぱりデートというより、外出じゃんと潤は思う。 「それで、お神籤引いて?」  昨年は江上と三人で初詣に行き、参拝の後はお神籤を引いた。  颯真も頷く。 「そうそう。でも、もうこの時期になれば、境内に屋台は出ていないかもしれないから……」  参拝の後のプランを考えているらしい。思わず潤は口を挟む。 「武蔵小杉の『武蔵』に行く?」  江上に連れて行かれた、武蔵小杉の行き付けの居酒屋の名を口に出す。すると、颯真も頷く。 「そうだな。俺もしばらく行っていないし」  潤は頷いた。あの時食べた唐揚げはとても美味だった。 「僕は正月に廉に連れて行って貰った。唐揚げが美味しかったな」  潤の感想に、颯真が笑みを浮かべる。 「お前、唐揚げ好きだよなあ」  いかにも自分だけが好きなように言うのはどうなのだ。 「颯真だって好きじゃん」  そりゃそうだろ、と颯真が意外そうに反論する。 「お前と全く同じ食生活で育ったんだから、好きなものが似ていても仕方がない」  そうなのだ。颯真とはずっと一緒に育った。  軽快な会話が止まり、わずかに沈黙した。 「……颯真はさ」  潤がそう切りだすと、優しく、なんだと問いかけてきた。 「僕がオメガだってことを、いつくらいから察してたの?」  中学入学後すぐに颯真から知らされたという江上は、颯真自身が具体的にいつ悟ったのかは分からないと言っていた。  すると、颯真は驚くことなく静かに口を開く。  「廉が話したのか」 「うん……」 「長く、黙っていて悪かった」  最初に出たのは謝罪だった。 「………」  理屈では分かっている。なぜ二人がここまで黙っていたのか。言えるはずがないということも。それでも、自分のことで秘密を共有し、隠されていたと知れば、気分がいいものではない。  そう言いたいけれども、おそらくそんなモヤモヤも颯真はすでに察しているに違いない。  それでも初めて聞かされたときのショックを考えれば、あっさりと受け流すには、どうしても抵抗があった。 「颯真は、最初に僕に謝るようなことをずっと隠していたってことだよね」  少し責めるような口調で問い質す。 「そうだ。でも、俺が言ってしまえば、お前だって疑問に思うだろ。なんで僕の第二の性をそんな前から察してたのって。それだけは避けたかったからな」  いつから察していたのか、だっけ、と颯真が続ける。 「お前がオメガだということを、俺はおそらく生まれた時から分かっていたと思う。物心つく前からくっ付いていたし、一緒にいるのは当たり前だった。しっくりきた。理由なんて考えたこともなかったけど、その心地よさに第二の性が絡んでるとすれば、俺たちが第二の性というもの自体を知る前から、本能的にオメガと認識していたのだと思う。  ただ、それをきちんと認識したのは小学校に上がってからかな。周りがアルファだオメガだと騒がしくなってからだ」  小学生。  そんな前からと潤は思う。颯真はその頃から、自分の一挙一動をオメガとして認識していたということか、と改めて思うと、どろどろとした複雑な気持ちが入り込むのを止められなくなる気がした。  もう何を言っても仕方が無いと分かっているのだが、ずっと隣にいた片割れから、ずっとそう思われていたというのは複雑な気分だ。  アルファの颯真は、オメガの自分にずっとそういった意識でくっついていたのは分かった。しかし、その逆は……と思う。自分も颯真と一緒にいると居心地が良くてくっ付いていたのだ。それは……、と想いが過ぎったが、そこで考えることを止めた。  颯真が少し愉しげに潤の顔を覗き込んできたからだ。 「なんだ。ちゃんと俺のことを考えてくれるようになったのか」  その口調にアルファの余裕を感じて、潤は少しむっとした。 「そっ……そんな。僕はずっと颯真のことをちゃんと考えて……」  そう言いかけて、ふと止まる。自分は本当にちゃんと考えてきたのかと、改めて考えたからだ。 「潤?」 「いや、そんなことなかったな」  潤は少し自嘲した気分になって視線を伏せた。この一ヶ月を考えれば酷いものだった。大晦日に都内を流離ってから、江上と尚紀を相手に動揺して否定して、いっぱいいっぱいだったことを含めても、感情に振り回されすぎて、きちんと考えたことなど、なかったかもしれない。  いい年をして、少し情けない。 「……僕は、ずっと逃げてばかりだ。颯真の言葉にちゃんと向き合えなくて、ずっと逃げて、廉や尚紀にも迷惑をかけて……」  このキャパのなさが、自分のすべてのように思えてきて情けなくなる。  しかも、颯真のように自分の至らなさを素直に認めて、笑って話して聞かせるくらいのこともできない。 「そんなことないだろ。お前はちゃんと考えてくれてるよ」 「なんで颯真はそんな簡単に」  ……自分が欲しい言葉をくれるのか。  すると、颯真がふわりと柔らかい笑みを見せた。 「お前の片割れだからな」  何も言えない。 「僕がオメガだってことを、颯真と廉が随分前から共有していたって聞いて、僕はなんか裏切られた気がした。  僕自身はオメガと分かるまでずっとアルファだと思ってたのに、その頃からずっと颯真は僕をオメガとして見ていて、そりゃ複雑な気分になるよ。  でも、一方で自覚もなくて無防備だった僕を、颯真はずっと守ってくれていたんだよなって思うんだよね……。  おそらく他の人だったらそんな風には考えられない。  僕は、どんなことがあったとしても、颯真のことは拒絶できないと思うんだ」  それは潤の、今の時点の、純粋で精一杯の気持だった。不意に腕が伸びてきて、身体が囲われてしまう。  気付けば、潤は颯真の胸の中にいた。目の前に、颯真の首筋がある。 「そっ……!」  颯真の突然の行為に、潤は驚いて身体を引き離そうとするが、それさえ叶わない。わずかに香る、鼻孔をくすぐる颯真の匂い。颯真が身体を密着させ、潤の後頭部を支え、耳元でふうっと息を吹きかける。 「ん……」  わずかに身体を硬くした潤の耳元で颯真が落ち着けと説く。落ち着いて居られる状況ではないが、颯真は決して潤を放そうとはしなかった。 「潤。俺はお前が結論を出すまで待つ。  俺はお前に選択肢を与えた。それを選ぶのお前で、俺はそれに従う」  アルファがオメガの決断に従うと言う。  以前も颯真は「嫌がることはしない」と言って、そのとおりにした。今回も決して嘘ではないのだろう。  潤は同意の意味を込めて小さく頷いた。  それに気が付いたのか、いい子だ、と頷いた。  すると不意に颯真が身体を動かし、潤の右耳をぺろりと舐めてきた。 「あっ……」  予想外の行為に、思わず潤の身体が驚いてびくつく。身をすくませたが、颯真は構わずに潤を放さずに、無言で耳に舌を這わす。ぴちゃぴちゃと水音が耳元でする。 「あ……っや……」  逃げられない強烈な快感のようなくすぐったさが、身体の自由を奪う。 「感じるか?」 「や……あん。くすぐったい……」 「嫌か?」  潤は少し止まる。素直に言ってしまっていいのか迷った。颯真はそんな潤に答えを強要することなく、髪を優しく撫でる。その手が安心感を誘い、気持ちいい。 「……ううん」  そう辛うじて答えると、颯真が安堵したように、そうかと応じた。 「もう少し舐めていい?」  颯真の問いかけに潤はわずかにうなずいた。颯真の手が暖かくて優しくて、触れられている緊張感以上の心地よさと安堵感がもたらされる。  颯真は耳に掛かる潤の髪をやさしく指で梳いてのけ、唇を這わす。  耳たぶを温かくて柔らかい唇ではさまれる。颯真がくんくんと香りを嗅いでいるようでもあって、潤も緊張する。  でも、颯真の暖かさにつつまれているというのは、否応なく身体が安堵してしまい、潤は颯真に成されるがままだった。  颯真が潤の髪を撫でる。どうしよう、気持ちがいい。颯真の胸のなかが温かい。このままではなし崩しになりそうで……。  颯真の舌の先端が、潤の耳の突起を這った時。 「あぁぁ……」  喘ぎにも悲鳴にも似たような声が口から漏れ、身体から力が抜けた。  すると颯真が力が抜けた潤の身体を静かにソファに横たえる。アルファの独占欲を浮かべた目をした颯真が、潤を見下ろす。嬉しそうな表情を浮かべ、頬に手を添えた。 「顔が真っ赤だ」  それはそのとおりだった。きっと快感に溺れた緩んだ顔をしているに違いない。颯真の行為は、否応なく彼を求める本能を引き出されてしまう。  潤は今まさに颯真によって、オメガの部分を揺すぶられているのだ。 「お前の本能の声に素直になれ」  颯真は言った。潤は辛うじて声を上げる。 「感覚に……流されたくない。颯真のことはまだなんとも言えない……。でも……ちゃんと考えるから。颯真のことを真剣に」  颯真は一瞬納得できないような表情を浮かべたが、今後はなんの断りもなく、無言で突然潤の顔を横に向け、首筋に顔を埋めた。 「あっつ……」  右の首筋……耳の下に痛みが走る。颯真が顔を放すと思わず指を添える。 「前の刻印は消えたからな」  耳下の首筋にキスマークを付けられたらしい。髪の毛でも隠れないし、ワイシャツでも隠れない。バンドエイドで隠すには不自然な場所。  呆然とする潤に颯真は、普通にしてれば案外見つからない場所だよと意地が悪い笑みを浮かべる。  颯真の……アルファの独占欲。  首筋に手を這わせたまま、潤は颯真を見上げる。颯真はあまり見ないような、熱情に支配されたような光を浮かべていた。  昔のような心地よい距離感であるような気がした。しかし、やはりその関係性はわずかに変化しているのだと潤は颯真の表情を見上げて実感したのだった。

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