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シン⑨
***
亘 は、他の住人が帰宅したタイミングに乗じてエレベーターに滑り込んだ。別にエントランスでインターホンを鳴らしたっていいのだが、浮気現場を突き止めるがごとく、部屋に乗り込んでやると息巻く亘は、気を立たせながら望 の部屋に向かっていた。
だが悲しいことに、別に望は亘の恋人でも何でもない。親友で、セフレで、それ以上でもそれ以下でもなかった。昔から。
『取られても知らないからな』
武士 の声が頭の中でこだまする。
――そんなの、絶対いやだ!
部屋の前に着くと、インターホンを直接鳴らす。
ややあって部屋着姿の望が、驚いた顔で扉を開けた。
「亘? どうした?」
「望、さっきなんか怒ってたから……」
望は目を瞬いて「はぁ?」と言った。
「まあ、ちょっとめんどくせー、とは思ったけど。気にしてたの? ごめん」
望が頭をくしゃりと撫でてくれたことに安堵しつつ、素早く目を走らせ、望以外の靴がないことを確認する。
亘は今度こそ安堵した。あの男を連れ込んでいたら、と本当は心配していたのだ。
「ま、とりあえず上がったら?」
と部屋に入るように促す望を遮り、亘は言った。
「望、シたい」
望が目を瞠った。
「えぇ? 昨日も一昨日もあんなにシたのに。俺はいいけど、亘が身体大丈夫?」
「大丈夫だからシたい。シよ?」
亘はその場にしゃがみ込み、望の部屋着のズボンを下着ごとずるりと下ろす。
「亘!?」
ぎょっとする望に構わず、まだくったりとしなだれているペニスを亘は口に含んだ。
いくら付き合いが長いと言っても、こんなこと今までしたことがない。
望も驚いて「ちょっ……いいよ、そんなことしなくて!」と逃げるように腰を引く。望が腰を引いたせいで、一度は口に含んだそれがぽろりと零れる。
「俺がしたいんだから、いいんだよ」
亘は睨むように望を見上げ、再びそれを口に含むと口淫をはじめた。
ちゅぷ、ちゅぷっと玄関先でわざと淫靡な音を立てながら望の興奮を呼び起こすように、挑発的に。
望のふにゃふにゃだったペニスが亘の口の中でだんだんと芯を持ちはじめ、体積を増してゆく。
「 ……っう、亘……」
望が切なげな声を漏らし、亘の髪を優しくくしゃりと掴んだ。
「どうしたの、そんな急にエロくなっちゃって……んっ」
頭上から望の感じているらしい声が降ってくると、ぞくぞくと亘の興奮を煽った。いつも喘がされてばかりいるので、優越感もある。
あの筧 とかいう男は知らない(と、思う)望の立派なペニスを舌先でしっかり味わいながら、 亘はその先を強請るように望を見上げた。
「あーもうっ……ほんと、どうしたんだよ今日」
望は亘の頭を掴んで、自身から無理矢理引き離すと、腕を引いて立たせた。
「ベッド行くよ」
*
上質なベッドは、男二人が激しく交わったところでスプリングは軋まない。
2LDKの立派なマンションは、学生の頃から考えたらありえない部屋だ。
だが物が極端に少ないのは相変わらずで、その広い寝室には大きなベッドが一台のみ。サイドテーブルや間接照明すらない。
先ほどの優越感はどこへやら、亘はそのベッドの上で涙をぽろぽろと零しながら喘いでいた。
「あっ、のぞみ! そこっ、そこだめッ、ダメダメ、ああっ!」
「うん知ってる。亘がいっぱいイっちゃうとこだよね? もっとシてほしいんでしょ?」
「ひっ……あ、あ、あ、ああ、ダメ、イくイく、んっ……!」
昨日も一昨日も、夜更かしして何度も交わったと言うのに、四つん這いになった亘は、後ろから揺さぶられもう何度も達している。視界が白っぽくチカチカ光って、亘は空気を求め口をはくはくさせた。微痙攣を繰り返し、何度目かの絶頂を迎えた。
望は亘を抱え直したあと、体位を変えるため仰向けでベッドに横たわった。その体の上にぴったりと重なるように、亘も仰向けの状態でゆったりと寝かせる。
「あっ、なに、これ……っ」
抜けそうで抜けない不安定なポジション。いつもと違う挿入角度にみちりと後孔が広がり、いつもと違う場所に望のペニスが当たる。
下からゆっくりと撞 くような動きに、亘は震えた。
「あっ、や、気持ち……すごいっ、のぞみのっ、硬いの当たってる……あ、あ、またイっちゃう、ああっ、望ぃ!」
好き好き好き。
もっともっと、望がもっと欲しい。
他の人間なんて見て欲しくない。自分だけ見て、自分だけ抱いて。男も女も嫌だ。奥まで突いて、ナカに出して、体の中をすべて望で満たして欲しい。
「どうしたの、亘。今日すげーエロい」
震える亘に、望はくすりと笑った。ゆったりと奥を撞きながら空いた両手で、乳首を弄り、半勃ちのペニスを扱きたてる。
「あーっ、あ、あ、あっ!」
ほぼ透明に近い、すっかり薄くなった精子が、たらたらと鈴口から零れた。と同時に望のペニスをいやらしく締め付ける。「う」と呻いた望は亘の腰を掴み寸でのところでナカからペニスを引き抜き、射精した。
尻と、背中が温かい。
亘は望の上で仰向けのまま、身動きも取れず二人の間に吐き出された望の精子の熱を感じ、ぶるりと震えた。
ふぅふぅとやや上がった息を整えながら、望はしばらく亘の体を抱いていた。
やがて息が整うと、そっと亘をどかし、ベッドわきにスタンバイしていたティッシュペーパーで互いの出した精液を丁寧に拭き取った。亘はくったりと力なく「く」の字型に横たわっている。
「今日、ほんとどうしたの亘」
望が言った。汗ばみ額に張り付いた亘の前髪を、そっと掻き分けてやりながら。
「もしかして筧クンに妬いちゃった?」
笑いを含んだ口調から、望は冗談で言っているのだと分かる。
だが、まったくもってその通りだ。
ぽっと出の客なんかに、望を取られたくない。
思えば最初から望は特別だった。それがはっきりと恋愛感情だと認識したのは、もっとずっとあとのことだ。いつ恋に変わったか、亘自身もよく分からない。ただ、言えるのは望は最初から特別だった、ということ。
「バカ。んなわけあるか」
しかしそれを望に告げることは叶わない。
望は亘のことを親友だと思っている。学生時代、苦楽を共にした大事な仲間だ。
だが、ただそれだけ。
望にとって、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
「亘、今日もこのまま泊まるよな?」
「……ん、今日はさすがに帰る。明日は仕事だし」
「そっか。シャワーは?」
「んー……軽く浴びたい。借りていい?」
「ん、いこ」
望に差し出された手を、ぎゅっと握り返す。連日の激しいセックスのせいで足腰が立たないのだから仕方ないだろう、と心の中で言い訳をしながら。
望の部屋は、一般の単身向けマンションよりずっと設備が充実した、流行りのシステムバスルームだ。洗面所は広々として、フルスクリーンのガラス戸から浴室の中がよく見える。
望がこの部屋に越してきたばかりの頃は、落ち着かなくてしょうがなかった。風呂に洒落っけなど求めたことはない。だが、人間慣れだ。今ではすっかり慣れたどころか、二人で浸かるに十分な広さのバスタブなんて、亘はすっかり気に入ってしまった。
だが時々、二人が暮らしていたボロアパートの風呂が恋しくなる。正方形の底の深い浴槽に、黒い丸タイルがレトロな古い風呂場だった。風呂場には小さな窓があり、換気のためによく窓を開けたまま風呂に入った。「亘クン、セクシ~!」なんて、ふざけた望が窓からのぞきにきたこともあった。
あの古びたアパートの風呂場が懐かしい。
「お湯溜める?」
「今日はシャワーだけでいい」
亘はふらつくふりをして、望の体にもたれかかる。
望はしょうがないな、と笑って亘の体を洗ってくれた。
――それにしても、あの男……。
亘は望に甲斐甲斐しく世話を焼かれながら、ぼんやりとあの男――筧のことを思い出す。
背も高くて、体格もいい。やや垂れ目なところは可愛くて、どこか犬っぽい。おまけに顔までイイなんて。思わず睨みつけてしまったが、いきなり現れた見知らぬ人物に突然威嚇され、怒るでもなく困惑していた。
さっとシャワーを浴び早々に帰宅の準備を整えた亘は「じゃあな」とわざとそっけなく挨拶をした。
「なあ、亘?」
「ん?」
玄関の扉に手を掛けようとしたときだ。
望に呼び止められ、振り向きざまにキスをされた。
唇に。
「な――」
驚きのあまり声が出せないでいると、望は何てことない顔で言った。
「なんか元気なさそうだったから?」
まだ亘が何も言っていないというのに。「何でキスなんかするんだ」と言葉にならなかった亘の問いに、望はケロリと答えた。
何度も、数えきれないほど体は重ねてきたというのに、キスをしたのは数えきれるほどしかない。どれもセックスの最中、盛りあがった勢いやノリでしたものだ。こんな風に、なんでもない瞬間のキスは初めてである。今起きたことが信じられなくて、亘はたった今触れ合った唇をとっさに抑えた。
しかしこれではまるで初心な十代の生娘のような反応だ。気づいた次の瞬間に猛省する。
「ちょっと元気になっただろ?」
と笑う望に、亘はわざと顔を顰めてみせた。
どうか、顔が赤くなっていませんように、と願いながら。
「バーカ」
と、言いつつも帰路についた亘の唇の端は自然と持ち上がっていた。
さっきまで筧のことを思い出して落ち込んでいたというのに、単純極まりない。
この先も、亘が望のことを好きでい続ける限り、振り回され続けるのだろう。想像するとぞっとしない。
――まったく、恐ろしいヤツだよ。
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