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「俺は今も変わらず先生が好きです」
「でも君は……来なかったじゃないか」
「何度も来たいと思いました。でも、俺は我慢した。家も捨て、自立するまで会わないと決めていたからです」
真澄は呆気にとられた。
「家を捨てた?」
それには答えず夜彦は「鎌倉で学校の講師をしています」と言った。
「必死で伝を探し、落ち着くまではと――先生の姿を鎌倉で見かけたことがあるんです」
紫陽花を見に行き、味気なさを感じた時の事だろう。気づかなかったことが悔やまれた。
「声をかけようかと思いました。でも先生の名声を聞いていましたし、俺が今更しゃしゃり出て迷惑じゃないかって……だから先生の姿を最後に見ようと思って、此処に来たんです」
最後という言葉に真澄の胸が痛んだ。
「縁側で途方にくれた先生の姿を見て、俺は待っていてくれたんだと……でもそれは勝手な俺の思い込みですか?」
真澄は答えに窮した。素直になれない自身に焦燥した。
「とんだ思い過ごしでしたら失礼しました。全ては俺の勝手な行動です。先生はどうか気に病まないでください」
そう言って悲しげな笑みを浮かべた。立ち去ろうとする夜彦の背を見て、真澄は咄嗟に夜彦の背に縋りつく。ここで帰してしまったら、二度と会えないと悟った。
「待っていた、ずっと――長かった。なんで来なかった」
言葉が詰まり、代わりに目から涙があふれ出た。
「僕は変わってしまった。あの日、君を責めたが、変わったのは僕の方だった。寂しい気持ちを知ってしまった。でも花の青や白を知っても、心は一向に動かない」
「――先生」
夜彦が振り返り、真澄を胸に抱き込んだ。雨の湿った匂い。真澄は素直に男の胸に額を埋めた。
湯から上がった夜彦を真澄は床に誘った。久々に触れた男の熱に、真澄は歓喜に溺れた。
事を終え、二人で縁側に座った。すっかり暗くなっていたが、漏れた家屋の灯りが庭先を照らしていた。
「この紫陽花も見納めか」
真澄が呟く。夜彦は静かに真澄の手を握ると「案ずることはありません」と言って、笑った。
「新しい家に持って行きましょう。それに、もしかしたら青になるかもしれませんよ」
「それも良いかもしれないな」
真澄はそう言って、強く手を握り返す。
移り気の花は、新天地にて色を変えるだろう。だが、悲しいことではなかった。二人の花として、新たに生まれ変わるのだけのことだ。
来年が楽しみだと、真澄は密かに胸を弾ませた。
了
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