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暇を持て余した神たちの××な遊び
「すっかり濡れちゃったね」
「服、今乾燥機回してるから」
「ありがとう」
「……なあ」
「ん?」
「泊まってけよ」
「えっ……」
「今日は、誰も帰ってこないんだ」
「……うん」
冷えた身体の上を、燃えるように熱い指先がゆっくりと這い回る。
「あっ……あぁっ……なつき……っ」
「りょう……かわいい……」
「んっ……は、ぅん……!」
「ずっとこうしたかった……りょう……」
「なつ……なつきぃ……っ」
眼下で繰り広げられる痴態を無表情で眺め、バアルは気だるげに手首を振った。
長い槍の先が揺れると、止みかけていた雨が不意に勢いを取り戻す。
快楽に浮かされた青年の瞳がそっと閉じられたのを見届け、バアルは槍をポイっと投げた。
空中に放り出されたそれは、地面につく寸前に水の膜に包まれふわりと浮き上がる。
そして、まるで見えない糸に操られるようにひとりでに動き出し、ふよふよとその場を漂った。
「……なあ、カミナリオヤジ」
「なんだ?アメフラシ」
バアルの薄っぺらい身体を受け止めていた逞しい背中を引くつかせ、トールが応えた。
途端にくるりと身体を反転させ、バアルは褐色の大きな背中によじ登る。
「ひまー」
「なに言ってる、梅雨だぞ。気張れよ、雨神 」
「言われなくても、毎日気張って雨降らしてんだろ。だからご褒美に気持ちよくなろうと思ったのに!」
雷神 のくだびれた鉄色の瞳が、まるで水面 のように揺らめく雨神 の碧い瞳の奥の、そのまた奥をじっと見据えた。
不規則に波打つ世界の中心で、ふたりの青年が野生的な情欲を交わらせている。
バアルが瞬きすると、その残像は重なり合ったまま霧散していった。
「相変わらず悪趣味だな、お前は。人間どものおセッセなんて覗いて楽しいか?」
「おセッセ言うな!」
「その割には……」
ぴくりとも反応していないバアルの股間を凝視し、トールはぎっちりと生い繁った赤髭を弄んだ。
バアルの卵型の顔がどんどん赤く染まっていく過程を、にやにやしながら見守る。
「しょうがないだろ!」
「勃起不全 か?」
「ちげえ!張り合いがねえんだよ!最近の人間は草食男子だかなんだか知らねえが、とにかくひ弱すぎる!雨神 にお膳立てされてやっと接吻 だぜ!?オカズになりやしねえ!」
「確かに、それじゃとても抜けそうにないな」
揶揄を隠さずカラカラと笑われ、バアルはさらに頰を沸騰させる。
トールのごつごつした手が、バアルの細い金糸を豪快に掻き乱した。
「草食男子と一緒に肉食女子が流行ってるらしいじゃないか。なら……」
「人間の貧相なおっぱいになんて興味ねえ!」
「まあ、お前は妹があれだからな」
ふむ、と納得したように鼻を鳴らし、トールは、勝利の女神 の豊満な身体を思い浮かべた。
走るたびにゆっさゆっさと揺れるふたつのスイカ玉を見ては、肩が凝ったりしないのだろうか、とよく心配したものだ。
「はあ……気持ちよくなりてえ……」
「お前、本当は雨神 じゃなくて性愛神 なんじゃないか」
「うっせえよ!」
いくら神とは言え、バアルはその地位を父親から譲り受けてまだ千年も経っていないヒヨッコだ。
人間の年に当てはまれば、二十歳前後の青年。
ありとあらゆる物事に興味を持ち、ありとあらゆる欲を持て余して当然なのだ。
「そんなに溜まってんなら俺が……」
「ちょ、待った!こいつはなかなか……」
トールは、スケベに歪んだバアルの瞳を覗き込んだ。
すると、もやのかかった世界の中に、がたいのいいひとりの男の姿が見える。
「この男は恋なんてしてないだろ」
誰かに恋い焦がれている人間は、神たちにしか見えない桃色の輝きを纏う。
それは想い人の前ではいっそう輝きを増し、時には周りの人間をも無意識に笑顔にしてしまうくらい、甘い香りを放つと言われていた。
だが、今バアルが覗き見ている男の周りには、それがまったく見えない。
「ちげえ、脱がせるんだよ。見てろ」
バアルの槍が、丸い円を二度、描いた。
その途端、しとしとと控えめに降り続いていた雨の勢いが増し、傘も容易に突き破ってしまいそうな豪雨に変わってしまう。
男は忌々しそうに空 を見上げ、駆け足で近くの建物に潜り込んだ。
玄関に入るなり、濡れそぼった衣服を一気に取り払う。
鍛え込まれた肌色の上半身が露わになると、バアルが、ヒュウ、と口笛を鳴らした。
男の肩は質の良い筋肉を纏い逞しく隆起し、腹筋は綺麗に六つに割れている。
「久しぶりのシックスパックだ!ラッキー!」
「お前はああいうのがいいのか」
「だってさ、あの筋肉見ろよ。たまんねえだろ」
「筋肉が好きなのか?」
「ああ。欲を言えば、胸毛とか腕毛とか、いっそ背中毛もフッサフサで、体毛の着ぐるみでも着てんのかよって方が好みだけど、このご時世、贅沢は言えねえからな」
バアルは、遠い記憶を呼び起こし、あるひとりの男に思いを馳せた。
人間界で言うところの五百年ほど前に、この日本の地で垣間見たその姿。
頭の先からつま先までを黒く太い毛に覆われていたその男は、トノ、や、オサムライと称され、老若男女問わず誰からも親われいていた。
上に立つ者としての人望は厚かったが、それが恋となるとからっきしで、女たちにはその体毛の濃さをこれでもかと嫌悪され、男たちには揶揄いの対象としか見てもらえず、孤独を募らせていた。
そのくせ心は黄金色に輝いていたもんだから、バアルは初めてよだれが出るほどその男を欲したのだ。
人に化けてたったひと夜の思い出を――もちろん、そんな幼稚な計画はすぐに全能神 に見抜かれ、過去最大級の雷を落とされたのだったが。
「よし!」
かの男と比べれば天と地ほどの差はあるが、好みの体躯を発見したことには変わりない。
あとは自慢の想像力を働かせれば、すぐに気持ちよくなれるはず。
意気揚々と股間を目指したバアルの手は、だがそこにたどり着く直前にひょいと掬い上げられた。
「トール……?」
ぽふん、と僅かな空気を排出しながら、複雑に絡み合った赤毛の束が押しつぶされる。
くすぐったい感覚の向こう側に、トールの熱い体温を感じた。
「え……?」
「これが俺の胸毛だ」
「あ、ああ、そう、だな?」
「それから、これが髭」
「う、うん?」
操られるままに、バアルの手がトールの赤毛を絡み取っていく。
雷神 は、髪も、眉毛も、まつ毛も、胸毛も、腕毛も、すね毛も、腹毛も、臍からそこへと南下するギャランドゥさえも紅 い。
なぜだか分からないまま、まるでなにかの実習のようにあちこちの毛を触らされ、さらに教え込むようにそのひとつひとつの名称を囁かれ、バアルはなんだかドキドキしてきた。
「なっ、ト、トール!?」
唐突に立ち上がったかと思うと、トールは下半身をぼろりと露出した。
あまりの出来事に、バアルは咄嗟に反応できず、目前に現れたそれを凝視してしまう。
至近距離に迫ったそこも、赤いもじゃもじゃに覆い尽くされていた。
「ついでにこれはチン……」
「やめろ!せめて陰毛と言え!」
「どうした、赤毛は嫌いか?」
バアルはわけがわからず、ただ必死に首を横に振ることしかできない。
「ならばなぜ後ずさる」
「て、てめえがそんな物騒なモンをおっ勃ててやがるからだよ!」
バアルとトールは幼馴染だ。
だから千年くらい前には、一緒にお風呂に入ったことだってある。
でもその時に見たそれは、こんな風に上を向いていなかったし、ここまで太くも、長くも、グロテスクでもなかった。
バアルよりもひと回り大きい体格に見合っていると言ってしまえばそれまでなのだろうが、トールの大きなそれは、ただでさえ混乱しているバアルの恐怖心をさらに煽った。
「バアル」
「や、やめっ……えっ?」
咄嗟によじった身体をあっさりと捕獲され、バアルの視界が暗くなった。
トールの荒い鼻息が、口元を掠めて通り過ぎていく。
どういうことだ。
おかしな位置関係にいったい自分がどうなっているのか分からず、バアルは目を閉じることも忘れていた。
薄暗い視界の中で、真っ赤なまつ毛が震えている。
やがてちゅっと小さな水音が耳をかすめ、急に開けた視界の中心で、トールの湿った唇がゆっくりと動くのがわかった。
「好きだ」
ザアアアアアアァァァッ。
「あ、しまった……!」
バアルは、ようやく我を取り戻した。
いつもは自分の感情が反映されないよう槍でコントロールしているが、さっき自動 操縦 を解除したままだった。
つまり、今人間界に降り注いでいる雨は、バアルの心の起伏そのものを表現している。
「そうか、嬉しいか」
いつもは鋭いトールの赤い視線が、甘くとろける。
「う、嬉しくなんかっ……あん!」
「ここ」
トールの硬い指先が、バアルの熱の先端を弾いた。
「ひゃっ」
「もうトロトロだぞ」
「だ、誰のせいだとっ……いっ!」
がぶりと噛みつかれ、人間のそれよりも遥かに鋭いトールの歯がバアルの首筋に食い込む。
僅かに表皮が裂け、じわりと滲んだ血をトールのざらざらした舌が舐めとった。
「んっ……ふ、ぅ……っ」
分厚い唇が、傷口からさらに鉄分を吸い出そうとするかのように、ちゅうちゅうと吸い付いてくる。
くすぐったい。
痛い。
気持ちいい。
意識の端っこで響く雨音が、どんどん激しさを増しているのがわかった。
「も、もうやめろって……!」
「バアル……?」
「お前は吸血鬼 か!」
やっとのことで、バアルがその太い腕を振りほどいたとき――
バリバリバリバリッ。
激しい雷鳴が轟いた。
「キャー!」
「な、なんだいきなり!」
「ママー!」
哀れな人間たちの阿鼻叫喚が、神たちの脳内を駆け巡る。
「……トール」
「すまない。お前の涙目にうっかり滾った」
「滾った、って……あっ、は、ぁん!」
「好きだ……バアル……」
「ト、トールっ……あっ、あぁん……っ」
ザアアアアアアァァァッ。
バリバリバリバリッ。
ザアアアアアアァァァッ。
バリバリバリバリッ。
ザアアアアアアァァァッ。
バリバリバリバリッ。
激しくなるばかりの雨と雷は、夜が更けてもおさまる気配を見せなかった。
***
翌朝。
文字通り〝嵐が去った〟あとの空では、久しぶりに出番を与えられた太陽がギラギラと輝いていた。
「SNSでは稲光の瞬間を捉えた写真が何枚もシェアされるなど、盛り上がりを見せています」
「すべての地域の避難勧告は、午前八時現在、すべて解除されています」
「増水した川などには不用意に近づかないよう、くれぐれもご注意ください」
「天変地異の前触れか、なんていう声もありますね」
テレビ画面の上では、たくさんの人間が、それぞれの立場で好き勝手な見解を述べていた。
天気予報との大幅なズレを指摘された気象予報士が、しきりに首を傾げながらも、この前代未聞の異常気象になんとか理由をつけようと必死に頑張っている。
そんな光景を瞳の奥に投影しながら、バアルは大きなため息を吐いた。
「バアル、大丈夫か?」
「動けねえ……」
「大丈夫じゃないな。どこが痛い?」
「どこ、って……」
全部。
特にあそことか、あそことか、あそことか。
性愛神 なら嬉々としてその名を口にしそうなところばかりが、ヒリヒリして痛い。
「悪かった」
「へ?」
「途中から我を忘れた」
「……いいよ」
「えっ……」
「俺も、その、嬉しかった……し」
バリバリバリバリッ。
「キャー!」
「さっきまで晴れてたのにー!」
「パパー!」
哀れな人間たちの阿鼻叫喚が……以下略。
「……トール」
「すまない。照れるお前にうっかり滾った」
「滾った、って……あ、ちょ、ちょっと!」
「痛いんだろう?舐めて治してやる」
「なっ……や、やめっ……あぁんっ」
ザアアアアアアァァァッ。
バリバリバリバリッ。
その後も不安定な天気は三日に一度の頻度で出現し、その年の梅雨は、観測史上最多の降雨量を記録したという。
fin
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