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第7話 ほんの小さなひと時

 小津と二人で静かな道をゆっくりと並んで歩く。毎日せかせかと足早に通り過ぎていた道が、なんだか今日は普段と違って見えた。見慣れていたはずのものが初めて目に映すみたいな発見をする。それと同時にいつも下を向いて歩いていたんだと初めて気がついた。  小津を見上げると視線が自然と上を向く。背が高い光喜が誰かを見上げることは普段あまりない。新鮮な目線にふっと口元に笑みが浮かんだ。 「小津さんの身長ってどのくらいあるの?」 「んー、確か百九十七だったかな」 「二メートルはないんだね」 「それ、よく言われる」  照れたように笑う小津は相変わらず落ち着きなく首に手をやったり下ろしたり。ギクシャクと動くその姿がまるでからくり人形のようでおかしい。下からのぞき込むように光喜が身を屈めれば、耳まで真っ赤に染まる。 「そういえば、小津さんっていまいくつ?」 「僕は来月で三十になるよ」 「あ、鶴橋さんより年下なんだね」 「うん、冬悟のほうが三つ上。でも僕のほうがおじさんぽいよね。冬悟って昔から全然老けない」 「そうかな? なんか小津さんは可愛いよね」 「え! か、可愛いかな?」  まるでクマのぬいぐるみのようだ、そんなことを思ったが、あえて言わずに光喜は目を細めて笑った。けれどその笑みに小津はふいに足を止め、目を瞬かせてじっと光喜の顔を見つめる。 「どうしたの?」 「あ、いや、光喜くんは笑うと、花が開いたみたいな可憐さがあるね」 「……んふふ、なんか小津さんてメルヘンチックだね。そんなこと言われたのはじめて」 「ご、ごめん! 光喜くんはすごく格好いいし、男前だし、そういう感じじゃないよね」 「ううん、いいよ。ありがと」  好きな人が可愛く見えてくる、と言うのはあながち間違いではないと光喜は思っている。十年以上一緒に過ごしてきた勝利が急に可愛く見えてしまったのはおそらくそういう原理だ。想いが芽生えると景色が変わって見える。それを二十年も生きてきて、初めて光喜は感じた。 「あ、俺のマンションここ」 「ほんとに十分くらいの距離なんだね」 「うん、いま電気のついてないあそこ」  四階建てのデザイナーズマンション。毎日見ていてこれだけは目新しさを感じない。見上げた小津の視線につられて上を向いた光喜は、三階の角部屋を指さした。 「小津さんの家は? ここからどのくらい? 車、呼ぼうか?」 「うーん、たぶん歩いて三十分くらいかな」 「えっ、結構距離あるじゃん。もしかして隣駅?」 「うん、でも駅からもだいぶ距離があるし、あんまり変わらないから大丈夫だよ」 「そっか、でも時間も遅いし気をつけてね」 「ありがとう」  ふと言葉が途切れる。二人で顔を見合わせたまま沈黙が続いた。けれど光喜はただ黙って緊張で少し強ばっている小津の顔を見つめる。なにか言おうと頭の中でぐるぐるしているのが手に取るようにわかった。  いつもだったら笑って茶化してその場をやり過ごす。しかしいまは言葉が紡がれるのを待った。 「光喜くん、また一緒にご飯食べたり、遊びに行ったりしたい、です」 「……うん、いいよ。いつでも声かけてよ。あ、連絡先、交換する?」 「ほんとに? あ、ありがとう」  ぱあっと明かりが灯ったみたいに目をキラキラさせて、小津は満面の笑みを浮かべる。子供みたいなその笑顔に光喜も表情を和らげた。

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