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第33話 好きという感情が溢れそうになる

 残りのフロアを見て回っているあいだも小津は実に穏やかで、それに反比例するように光喜は慌てふためいてしまう。落ち着け落ち着けと心の中で繰り返すけれど、そんな自分を微笑ましそうに見られると胸が騒いで仕方がない。  ちっともドキドキしない、と言っていたのが嘘のような気持ちの上がりようだ。息が苦しくなりそうなくらいのざわめき。それを誤魔化すので精一杯になった。 「光喜くん」 「な、なに?」  水槽のフロアを抜けて気を紛らわすように土産物を見て回り、無駄に騒ぎながらフロアをぐるりと一周した頃。ずっと後ろを歩いていた小津に声をかけられる。その声に肩を跳ね上げて振り返れば、心配そうな顔があった。 「ちょっとほっぺた赤いけど、体調とか悪い?」  ふっと伸びてきた手、それに頬を撫でられて光喜の心臓は口から飛び出してしまいそうなほど跳ね上がる。まっすぐに瞳をのぞき込まれて茹だるように顔が熱くなっていく。穴があったら入りたい、そんな気持ちを表すように光喜の視線は右往左往してしまう。 「だ、大丈夫」 「そろそろ外に出ようか。少し風に当たったら気分良くなるかもしれないよ」 「平気、だよ」 「そう? でもそろそろいい時間だし」  行き場をなくした目をさ迷わせていると、小津は腕時計に視線を向けた。その仕草に胸がぎゅっと鷲掴まれるみたいに苦しくなる。まだ離れたくない、過ぎた時間を巻き戻したくなってしまう。気づくと光喜は先を歩き始めた背中に手を伸ばしていた。 「やっぱり具合悪いの?」  伸ばした手が、指先が目の前の袖を掴んでいた。震えてしまいそうになって指先に力を込めると優しく頭を撫でられる。そのぬくもりに光喜は涙がこぼれそうになった。一直線に向かっていく気持ちに感情が揺さぶられる。 「光喜くん? 大丈夫?」  一歩足を踏み込んで肩口に頭を寄せると、小津は驚きをあらわに肩を跳ね上げた。しかし光喜はそれ以上、動けなくなる。気を抜いたら喉元までせり上がってきた感情がこぼれ落ちてしまう。いまそんな情けない自分は見られたくなかった。  何度も何度も気持ちをなだめすかして、溢れ出しそうな心を飲み込む。そして唇を引き結んで光喜は吐き出されそうな想いに蓋をした。 「ごめん、ごめん、大丈夫! もう行こう」  とっさに笑みを貼り付けると飛び退くように身体を離す。心配そうな顔が見えるけれど光喜はそれに背を向けるように歩き出した。戸惑う気配は気づかないふりをして振り切るように出口へと向かって足を進める。  アクアリウムをあとにして駅への道すがらずっと、どうでもいいような話題を挙げて光喜は喋り続けた。楽しくもないのにへらへらと笑って、静かに微笑む小津のほうは一度も見なかった。 「時間は間に合う?」  息切れしてしまいそうな気分のまま改札にたどり着くと、優しい声で問いかけられる。その声にようやく振り返って、光喜は小さく首を傾けて作り笑みを返す。 「小津さんは? 勝利とラーメン食べに行くんだけど、一緒に行く?」 「ああ、ごめん。僕は今日はそろそろ」 「ふぅん、そっか。じゃあ、また今度ご飯しよう」 「うん」  眉尻を下げて笑った顔に寂しさを覚えながら、黙り込んだまま光喜は電車に乗った。お互い遠くへ視線を向けて、小津の最寄り駅に着いた頃に「またね」と言葉を交わす。二駅分離れて電車を降りる頃には胸が痛くてたまらなくなっていた。  好きで、好きで、好き過ぎて頭が変になりそうになる。勝利の時に感じていた苦しさとは少し違う。想いが通じないことが辛いとは思ったけれど、嫌われたらどうしよう、なんてそんなことは思ったことがなかった。  いつだって自分の感情が中心にあったのに、いまはあの人の感情が離れていくことが怖い。曖昧に、誤魔化すように笑みを貼り付けて、本心を偽る自分。そんな嘘まみれな自分を知られたら、嫌われてしまうんじゃないかと不安になる。  漏れ出しそうな嗚咽を飲み込んだら光喜の頬にしずくがぽつりと落ちた。 「おーい、光喜!」  俯きながら歩いていると道の先から声が響いてくる。その声にゆっくりと顔を上げると見慣れた顔が片手を振っていた。じっとまっすぐに見つめて歩み寄る。 「ごめーん、遅くなった」  訝しげに首を傾げている勝利の目の前に立つと、光喜の顔には自然と笑みが浮かんだ。けれどいままで感じていたトキメキはもうない。緩やかな鼓動は高鳴りはしなかった。

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