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第45話 グッドタイミング

 積極的になりきれないのははっきりと言葉にしてもらえない不安と、小津の好みからかけ離れているという不安。もし本当に想いを寄せられていても、自分好みの相手が現れたら気持ちが移ろいでしまうのではないかと思ってしまう。  いままで周りにいなかったタイプで、物珍しい好奇心なのでは、そんなことまで考える。いまの光喜に足りないのは自信だ。何度繰り返し考えても後ろ向きになっていく。光喜にとってこの恋はすべてが初めての出来事で、経験がないからこそこの状況に戸惑っている。  いつものあの優しい笑顔を思い浮かべれば胸が高鳴るけれど、それと共に苦しくもなった。暖かな眼差しも、自分よりも少し高い体温を感じる手のひらも、柔らかく名前を呼んでくれる声も、そして心も――すべてが欲しい。  心は渇望するように彼を求めるけれど、それ以上に怖いのだ。頬杖をついてぼんやり遠くを見つめていた光喜の瞳にまた涙が浮かぶ。瞬きをするとつうっとしずくが伝い落ちた。  ひと気の少ないカフェテラス。人混みでも目を惹く光喜に数少ない視線さえも振り返っていくが、涙をこぼす横顔に近寄るのを躊躇っている雰囲気があった。けれどしばらくすると人が近づいてくる気配を感じる。のぞき込むように身を屈められて、ゆっくりと光喜は目線を上げた。  そこにあるのは見覚えのある顔だ。肩先で綺麗にカールされた黒髪とぱっちりとした瞳。光喜が参加しているゼミでいつも顔を合わせている。背が小さくて肩が細くて華奢な彼女は、性格も良いと男たちにかなり人気があった。  いつでもやんわりとはにかむ笑顔が可愛いとみんなが口を揃えて言う。光喜自身も彼女に対して好印象しか持っていなかった。けれどいまは少しじりじりと胸が焦がされる。庇護欲をそそるその容姿に嫉妬した。 「時原くん、大丈夫?」 「……うん、なんでもない、大丈夫だよ」  そっとハンカチを差し出されるが、それは受け取らず光喜は手の甲で涙を拭う。そして心配げな表情を見せるその子に作り笑いを返した。けれど彼女はいつもと変わらぬ可愛らしい笑みを浮かべてほっと息をつく。  その顔を見るとひどく自分が醜いものであるような気分になる。じっと目の前の顔を見つめると小さく首を傾げられた。 「そういえばさっき、笹野くんと宮門くんが慌てて帰って行ったけど、なにか約束してる?」 「えっ? 帰ったの?」 「うん、なんかバイト入れてるの忘れてたみたいで」 「なにそれ、人を呼び出しておいて、もう最悪」 「あ、このあと空いてる人が多いから、時間があるならゼミに集まろうって話になってるけど、時原くんも来る?」  まっすぐと見つめてくるどこか期待が満ちた視線に光喜は戸惑った。それはいままでも幾度となく感じてきた視線だ。けれど彼女から感じるのは初めてで、なぜ急に? と疑問に思ったが、片想いの噂を吹聴している近藤も同じゼミ仲間だった。  しかしその表情には気づかないふりをして光喜は首を横に振る。 「ごめん、これから人と会う約束してるから」 「あっ、そうなの? そっかぁ、ちょっとでも?」 「うん、会えるなら早いほうがいいし」  ほんの少し粘る態度を見せた彼女にあえて言葉を選んだ。するとその言葉を察したのか、残念そうに眉尻を下げてしょんぼりとした顔をする。 「それなら仕方ないね。急にごめんね」 「ううん、こっちこそごめんね」 「じゃあ、また今度ね」 「うん」  ひらひらと手を振って去っていった彼女の背中を見つめて、ぼんやりと考えてしまう。片想いの相手に振られて泣いているとでも思ったのだろうかと。けれどその考えは自分の心の狭さを表している気がして、小さな後ろ姿から光喜は目を離した。 「そっか、このあとの時間空くんだな、どうしよう。あ、その前に小津さんに連絡しないと。……でもなんて言えばいいんだろう」  急に晴を連れて行ったら迷惑ではないだろうか。なんだかんだと最近は時間を割いてもらっている。それを考えると光喜の気分はどんどんと落ち込んでいく。けれど真っ暗な画面を見つめているとメッセージを受信した。  思いがけない送信者に光喜は飛びつくように携帯電話を掴んだ。  ――今日は時間ある? パスケースに使う素材の見本が届いたんだけど。  メッセージを見つめて膨らんだ感情で手が震えてしまう。しかしぼんやりとしばらくそれを見つめていたが、我に返って光喜は返信の内容を考えた。 「んー、なんて言おう。んーと」  ――時間はあるんだけど人と会う約束があるんだ。その友達も連れて行ってもいい? レザークラフトに興味ある子で前に小津さんの話したらいいなぁって言ってて。  かなり嘘くさい言い訳だけれど、晴が革製品に興味があるのは嘘ではない。会いたいと言っている理由はまったくの嘘だが、これ以外に言いようがなかった。少々不安が残る言い訳だったけれど、光喜の問いかけに彼は二つ返事で了承してくれた。

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