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第47話 どうしても届かない理想

 まるで徒競走のような足取りで、十五分はかかる距離を十分ちょっとでたどり着く。散々晴にまとわりつかれて光喜はうんざりしていた。けれど玄関の前に立ちチャイムに指を伸ばすと、やけに胸がドキドキとする。  少しだけ待つと扉がゆっくりと開き、いつもと変わらない笑顔が迎えてくれた。その笑みに光喜は頬が熱くなるのを感じる。 「光喜くん、いらっしゃい。お友達もどうぞ」 「小津さん急にごめんね」 「ううん、大丈夫だよ」 「あ、これ、お土産。小津さん甘いの大丈夫だったっけ? ロールケーキなんだけど」 「ありがとう。好きだよ」 「う、うん」  なにげなく返された言葉に光喜の心臓が跳ね上がる。特別な意味があるわけでもないのに、胸が騒いだ。こんなことにまで反応してしまう自分にむず痒さを覚えて、光喜は視線を俯かせる。 「ケーキにはコーヒーでもいいかな?」 「うん」 「じゃあ、ちょっと待ってて。あ、座っていいよ」  大きな背中について行った先は広いリビングダイニング。リビングにあるソファは二人掛けなので、光喜はダイニングに足を向けて四人掛けのテーブルに据えてある椅子を引いた。  そこに腰を落ち着けるとキッチンに向かった小津の背中が見える。それをぼんやり見ていたらまた脇を小突かれた。それに振り向くと口元に手を当てた晴がにやけた顔をしている。 「めっちゃ優しそうですごい癒やし系だね。光喜ってば超乙女じゃん」 「う、うるさい」  こそこそと話しかけてくる晴に光喜はあからさまに顔をしかめた。けれどその反応がますますツボにはまるのか、ぐふふと晴は変な笑い声を上げる。やはり連れてくるべきではなかったと光喜が後悔してうな垂れた頃に小津がこちらを振り向いた。 「二人とも仲がいいんだね」 「え! 全然!」 「そう? でもなんか楽しそうだよ。あ、初めまして小津修平です」 「初めまして、僕は高月晴です。今日は突然押しかけちゃってすみません」 「大丈夫だよ」  テーブルにマグカップが三つと切り分けたロールケーキが三つ並ぶ。向かい側に腰かけた小津は晴にやんわり微笑んだ。それに対し晴は化け猫級の猫を被る。しかしにっこり笑った顔に小津は少し目を瞬かせた。 「……高月くんって」 「晴でいいですよ」 「あ、晴くんはもしかしてモデルさんとかかな?」 「え? あ、そうですけど」 「いきなりごめんね。晴くん見覚えがあるなぁと思ったから」  首を傾げた小津はじっと晴の顔を見つめる。その視線に晴はきょとんとするものの、光喜の心中は穏やかではない。ファッション雑誌など見るタイプではなさそうな小津の記憶に残ると言うのはどれほどだ。そんなことを考えてひどく重たい気分になった。 「修平さんってそういう雑誌も見るんですか?」 「あ、いや、僕はそれほど興味があるわけではないんだけど。仕事で、何度か商品を紹介してもらったことがあって。その縁で雑誌を送ってもらうことがあるんだ」 「そうなんですか! その雑誌っていまも手元にありますか?」 「うん、あるよ」 「興味あります! 見たいです!」 「……う、うん、わかった。ちょっとだけ待ってて」  詰め寄るような晴の勢いに小津は目を丸くするが、瞳をキラキラさせる顔に根負けしたように頷いた。そして少し慌ただしく立ち上がり、二階へと上がっていく。そのあいだ光喜は固まったように動けなかった。  けれど目の前でひらひらと手を振られて息を吹き返す。パチパチと瞬きをして光喜は苦しくなった胸を押さえた。 「小津さん、晴のこと覚えてたの絶対好みだからだ」 「まだしょげるのは早いって、この先の反応を待とうぜ」 「もう、やだ」 「みーつーき、まだ早い早い」  肩を落として俯く光喜の背中を叩いて晴は大丈夫と繰り返した。けれどいま心はちっとも浮き上がらない。しかしそうこうしているあいだに小津が戻ってきてしまう。なにもないふりをして笑おうと思うのに光喜はどうしても上手く笑えなかった。

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