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第82話 これから先の未来

 初めて小津を連れてこの店に来た時、千湖はひどく驚いた顔をしたけれど、見る間に涙を浮かべて泣き出した。そして良かったね、と何度も繰り返してぽろぽろと涙をこぼした。もし本当に光喜が誰かを連れてきた時には、祝福してやって欲しい、そう瑠衣に言われていたようだ。  光喜と小津を見て、千湖はその言葉の深い意味を感じ取ったのだろう。自分のことのように喜んでくれた。それから月に一、二度くらいはこの店に通うようになって、勝利や鶴橋も紹介をした。いまでは彼らもたまに来ているようで、話をよく聞く。 「きゃー、嬉しい! めちゃくちゃ可愛い」 「わぁ、瑠衣さんいいなぁ! 僕も欲しーい」 「姉さん大事に使ってよね。晴は自腹で買いな」 「光喜のケチぃ」  瑠衣への誕生日プレゼントはレザーの折りたたみ財布。もちろん小津のお手製だ。光喜はデザイン案に協力をしている。手の込んだ品なのでかなり手間がかかっていた。なので代金を払うと光喜は言ったのだが、二人で考えたものだしお祝いだから、と小津任せになってしまったことは気にしている。  しかしこうして喜んでいる顔を見てほっとした。 「ついに姉さんも三十路か」 「うるさいわね」 「でも瑠衣ちゃん若いから、全然可愛いよ」 「千湖に言われたくなーい。あんたこそまだ二十代前半くらいじゃない」  和やかな笑い声、それを聞くだけで気持ちが弾んで笑みが浮かぶ。苦い片想いをしていた時はこんな日が来るとは思っても見なかった。小津の隣で笑っている自分は想像できていなかった。  それを思うと、いまはなんて幸せなのだろう。少し感極まった光喜は隣にある手を捕まえて握りしめる。それに驚いた顔を見せたけれど、黙って小津は手を握り返してくれた。手のひらから伝わるぬくもりが愛おしく思える。 「そういや光喜、大学卒業したらいまのところに就職するのか?」 「ああ、うん。したいなと思ってるけど、いまは勉強中だしお試し期間みたいなものかな」 「ふぅん、いまでも忙しいのに、本格的に始まると小津さんと会う機会が減りそうだな」 「んー、勝利たちに会うのも久しぶりなくらいだしね」  夏休みに入る前はもう少し会えていた気がしたけれど、気がついた時にはあっという間に時間が過ぎていた。八月もあと一週間と少しで終わる。 「光喜ってさぁ、意外と仕事人間だったりするよねぇ」 「晴、うるさいよ。真面目って言ってよね。まあ、いまは毎日会うのは難しいだろうけど。大学卒業したら、一緒に暮らすつもりではいるから。……って、そんなに驚くことかな?」  なにげなく紡いだ光喜の言葉に勝利や晴だけでなく、この場の視線がすべて集まる。思いがけず注目されて光喜は目を丸くした。 「あんたのことだからすぐ同棲するだろうって話してたのに」 「まあ、考えなかったわけじゃないけど、マンション更新したばっかりだったし」 「でもバイトも忙しくてなかなか会えなくてやっていけるの? あんた恋人にはべったりなタイプだったじゃない」 「そりゃあ、まあ、寂しくないって言ったら嘘になるけど。小津さんは仕事もあるし、べったりばかりしていられないし。ちょうどいい距離感は必要かなって」 「へぇ、あんたがねぇ。そんなこと言うようになるなんて」 「人間は日々成長するんだよ」  ニヤニヤとした笑みを浮かべる姉に素っ気なく返しながらも光喜の頬は赤い。紛らわすようにビールをあおるとまた缶に手を伸ばした。けれどそっと耳元に飲み過ぎちゃ駄目だよ、と囁かれて飲むペースはゆっくりになる。  そして会話に花が咲き、テーブルの食べ物も飲み物もなくなる頃にお開きにすることになった。十九時をまわり外はもう夕暮れを過ぎている。瑠衣は実家に悠人を預けているようで駅で別れた。晴は向かう方向が光喜たちとは逆で、改札を抜けてからも大きな猫を被りながら帰って行った。 「光喜くん、眠い?」 「うん、ちょっと。でも大丈夫」  電車に乗ってからまぶたが重くなっている光喜の顔を小津が心配そうにのぞき込む。目を瞬かせて眠気をこらえているものの、返事と裏腹に光喜はいまにも落ちそうな様子だ。すると隣に座っていた勝利が立ち上がって小津を促す。 「勝利くん?」 「隣に座ってやれよ。駅に着くまで寝かしておけばいい」 「あ、うん。ありがとう」  空いた場所に腰かけた小津はそっと手を回して隣にある頭を引き寄せる。半分落ちている光喜はさして抵抗もないまま肩にもたれかかった。その様子を目の前で見ている勝利と鶴橋はやんわりと優しく笑う。

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