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第6話 親愛なるあなたへ

 遊園地の中でも観覧車は人気スポットで鉄板とも言える。郊外と言うこともあり周りは高い建物があまりなく、見晴らしの良さは容易に想像できた。人気を裏付けるように人が並ぶ列もかなり長い。  しかし看板に待ち時間は二十分と書かれていたが、一周十五分程度のそれは意外とスムーズに人が流れていく。混雑しているわりに流れが速いのは家族連れが多いからか、賑やかな笑い声が響いていた。 「夕方とかならもっと綺麗だったかもしれないね」 「んー、でもいいよ。それでも楽しみだから」 「そう? それならいいんだけど」  男二人だけで観覧車、そのシチュエーションは周りの組み合わせから見るとひどく目を引く。標準以上な見た目の二人だからこそ余計だ。けれど光喜自身はもう完全に人の目を気にしておらず、小津はそれよりも隣の恋人の機嫌が気になるようだ。  大人しく順番待ちをする横でどこか落ち着かない様子を見せる。並ぶ列は人の距離が近いので繋いだ手は離れていた。それが余計に心許なさを感じさせるのだろうか。 「もう小津さん、気にしないで。早く帰りたいのはさ」 「なに?」 「あー、なんて言うかさ。早く天辺に上りたいよね!」 「う、うん?」  突然もうこれで最後にしようなんて言う光喜の気持ちは、まだ伝わっていない。けれどその鈍さも彼らしさなので別段気にはしてはいなかった。いま伝わらなくてもきっと彼なら気づくだろうと唇を緩ませる。  大きなゴンドラが目の前に止まり、案内されるままに乗り込めば――空の散歩をお楽しみくださいと言うキャストの声とともに、扉が閉まった。そしてゆっくりゆっくりと上へと上って、地上の景色が少しずつ遠ざかる。 「光喜くん、ごめんね」 「え? なにが?」 「さ、さっき怒っちゃって」 「えー、全然気にしてないよ。ごめんね、俺のほうこそちょっとはしゃぎ過ぎちゃって。今日はすごく楽しかったよ」 「そっか、それならいいんだ。光喜くんが楽しいなら」  少し困ったように笑うのは癖なのだろうか。目の前にいる恋人は眉尻を下げて情けない表情を浮かべる。しかし意地が悪いかもしれないけれど、そんな彼の顔が光喜は好きだった。人間らしい気弱さは人となりの良さを感じさせる。  けれどいまは居心地が悪い気分でいるのは目に見えてわかった。視線がなかなか合わずに外ばかりを見ている。困り果てる彼は可愛いが、自分を映さない眼差しに寂しくなってしまう。 「ねぇ、小津さん」 「えっ、な、なに?」 「そっちに行ってもいい?」 「え? こっち?」  問いかけた言葉にあからさまにあたふたとし始めるが、光喜は返事を待たずにそそくさと小津のいるほうへ移動した。そして小さな尻で隙間に割り入るようにして隣に収まれば、驚きに目を瞬かせて見つめ返される。  その顔に吹き出すように笑ってしまうけれど、なにも言わずに光喜は隣の肩にもたれかかった。そして身体中の息を吐き出すみたいに長く息をつく。 「ど、どうしたの?」 「うん、やっと二人っきりだぁって思ったらほっとして、嬉しくなっちゃった。こんな場所じゃないと誰もいないところないでしょ」 「そっか、観覧車……うん。僕も嬉しいよ」 「忙しいのに、今日はありがとう。イベントのたびに振り回してごめんね」 「光喜くんのためなら、全然平気だよ」  そっと伸ばされた手に手の平を優しく握られて、伝わった熱が胸にまで灯るような心地になる。しかしずっと傍にいたい――そんなことを思うと少しだけ胸が軋んで痛みを覚えた。  重たくはないと言われたけれど、自分の重たさを一番に感じているのは光喜自身だった。一緒にいる時間が増えるほどに、胸にある想いが大きく重たく膨らんでいくのを感じる。 「あのさ」 「あの」 「え? なに?」 「光喜くんこそ」 「俺は、なんでもない。小津さん、なに?」 「ああ、いや、その……いまがタイミングなのか、正直わからないんだけど。実はいま住んでいる地区の制度が、春から始まるんだ」 「制度?」  先ほどよりもそわそわとして、落ち着かなく空いた手で膝をこする彼は光喜の訝しげな視線にますます挙動不審になる。けれどじっと見つめ続ければ大きな深呼吸を二回して、拳を握りしめてから振り返った。するとまっすぐな二つの瞳に閉じ込められる。  なにを伝えようとしているのかはわからない。それでも震える唇から紡ぎ出されようとする言葉に光喜は息を飲んだ。 「パートナーシップ証明制度って知ってる?」 「……パートナーシップ? 証明?」 「えっと申請をすると、地区で、同性同士のカップルに、結婚と同等であるって言う証明書を、くれるんだ。……あ、これは、一緒に暮らす来年以降を考えていて、その、もちろん光喜くんの気持ちを最優先で、ご両親の了承も得てからで、……ああっ、やっぱりタイミングは、いまじゃ」  おぼつかないくらいの声と言葉で、一生懸命に紡ぐ、それを最後まで聞く前に光喜は飛びつくように抱きついていた。二つ分の重さが偏りがくんとゴンドラが揺れるけれど、それでもひたすらに大きな背中にしがみついた。  そしてしばらくしんとした空気がその場に広がっていたが、たどたどしい手が身体に回されてぎゅっときつく抱きしめ返される。 「光喜くん」 「小津さんっ、俺と、……俺と結婚してください! ずっと一緒にいてください!」 「えっ、……もう、それは僕が言おうと思ってたのに。……うん、もちろん、喜んで。だから、泣かないで」  背中を抱きしめる手が震えて、言葉を継ごうとする喉が震える。こぼれ出したものは止まらなくなり、小津の肩口を濡らした。あやすように背を叩かれると、堰を切ったように想いが溢れ出す。 「好き、好きだよ。小津さんが好き、一生一緒にいてよ! 小津さんがいない毎日なんて嫌だよ!」 「うん、僕もだよ。じゃあ、僕は来年、みんなに笑ってもらえるように頑張らなきゃ」 「俺は小津さんがいれば、それだけでいいよ」 「駄目だよ。ちゃんとみんなに祝福してもらいたいでしょ? 僕は君が後ろめたい気持ちになるようなことはしたくないから」 「でもっ、いいよって、言ってもらえなかったらどうしよう」 「頑張るから。頷いてもらえるように精一杯、頑張るから」 「じゃあ、……俺も、頑張る」  頑なな母親が頷く可能性はこの先、何パーセントあるのだろうかと、そう思うだけで胸が苦しくなる。それでもすり寄るように頬を寄せられて優しさが染み込んできた。  その可能性をどれほど高められるかは、自分と彼、二人の努力と、根気と想い次第だ。そう思えば萎れそうな気持ちは奮起する。きつくしがみついていた背を離して、ゆっくりと光喜は顔を持ち上げた。 「俺、頑張るね。小津さんといたいから、見ないふりはしない。ちゃんと向き合うよ」 「うん、だったら一緒に頑張ろう」 「……うん」  小さく頷くとそっと頬を撫でられて、優しい気配が近づく。まぶたを閉じればやんわりと温かなぬくもりが唇に触れた。それだけで痛かった胸が和らぐような不思議な感覚がする。  口元が自然にほころんで、笑みを浮かべた光喜に彼もまた嬉しそうに微笑む。離れた隙間をもう一度埋めて、再び唇を合わせればひどく胸が軽くなった。 「あ、天辺だよ」 「うん、でも俺がしたいことはもうしちゃった」 「え? なに?」 「二人っきりでキス、したかったの」 「あっ、えっと、そっか。……うん、しちゃったね。でも、もう一回しとこうか」  小さく笑った光喜に、照れくさそうにはにかんだ小津は口先に小さなキスをくれる。それがやけにくすぐったくて、声を上げて笑えば、小さな空間に笑い声が重なった。 「そうだ! 記念に写真撮ろう! ちょっと泣き顔でブスだけど」 「光喜くんはどんな顔でも格好いいし、可愛いよ」 「小津さんはやっぱりいい男だね!」  片手を伸ばして四角い画面に笑顔を収める。少しばかり目元が赤くなったその顔は、あんまりイケていない。それでも隣で笑う恋人が輝かんばかりの笑顔を見せるから、自然とそれが移って笑顔が弾けた。  どんな時でも一番に愛してくれる、温かい想いがなによりも愛おしい。親愛なる森のクマさん――どうか繋いだ二人の想いを見失わないでいて。 マイラブ・ベア/end

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