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雨だけが性感帯

 ――ハア……ハア……。  暗闇の中に、吐息が充満する。君は必ず、灯りを消してと強請ったな。トラウマがあるから、触らないでとも言った。いつもバックからで、俺の脳裏には、闇の中に白くチラつく君のうなじしか残っていない。換気扇から、土砂降りの雨の音が聞こえてくる。君と最後に身体を重ねたのは、雨の日で。こんな梅雨空の日は、君が恋しくてたまらないんだ。 「ハア……ハア……ウッ……! ク……ハア……」  握り込んだ自身が暴発する。僕は肩で喘いで、精液が出きってしまうまでしばらく扱く。固く瞑った瞼の奥には、君の横顔。快感に瞳を潤ませボンヤリと枕に頬を預ける君の表情は、いつまでも僕の性感帯だった。     *    *    *  君と初めて会ったのも、土砂降りの雨の日だった。天気予報を観る習慣のない横着な僕は、バケツをひっくり返したような急な夕立に、何とかペットショップの軒先に逃げ込んだ。それでも横殴りに吹き付ける雨粒に手を焼いて、用事などなかったが、店内に入る。仔犬や仔猫の鳴き声が細く聞こえていた。眺めるともなく茫洋と店内を歩いていると、再び入り口の来客チャイムが鳴った。  君だった。栗色のミディアムボブに、季節外れの淡雪のような白い肌。大きな猫目。一目惚れだなんてそんな胡散臭いものは信じていなかったけど、目を引いたのは確かだ。君は真っ直ぐに仔犬のケージに向かってきて、僕の周りをウロウロしながら仔犬に一匹一匹見入って微笑んだ。僕は、仔犬を見る君を盗み見ていた。君が隣までやってきて……間近に、僕を見上げる。ドキリとした。 「な、何か?」 「いえ、あの」  君はクスクスと笑う。 「何かご用ですか?」 「貴方、仔犬のケージの前に、立ってるんです」 「え?」  君の細い指が僕の前のミニチュアダックスの仔犬を指差して、ようやく僕は言わんとすることに気が付いた。 「あ、ああ! どうぞ」 「犬、お好きなんですか」  好きも何も、たまたま雨宿りに入ったペットショップだったが、無意識に嘘を吐いていた。 「あ、はい。でも今、ペット不可のマンションだから、見ることしか出来ませんけど」 「この子、可愛い。好奇心も旺盛だし」  そう言ったかと思ったら、君はあっという間に店員さんに声をかけて、ミニチュアダックスを抱かせて貰っていた。行きがかり上、僕も並んでそれを見ている。 「お二人で飼われるんですか?」  店員さんがニコニコと、悪びれずに尋ねてくる。 「えっ。い、いや……」 「はい」  君が力強く肯定して、僕は呆気に取られる。 「はい。彼、ペット不可のマンションだから、毎日の世話は私がしますけど」  ね、と微笑みかけられて、僕は曖昧に頷いた。それが、僕たちの出会いだった。  それから僕たちは、君の家でたびたび会うようになった。結婚したことがないからイメージだけど、まるで僕たちは夫婦で、仔犬が子供みたいな感じだった。僕たちは身体を重ね、仔犬を可愛がり、他愛もない話をしては笑い合った。天気予報を観る習慣はなかったから、予報通りなのか分からなかったけど、君と会う日は圧倒的に雨の日が多かった。雨女、というやつだろうか。 「じゃあ、僕、取材に行ってくるね」 「うん。行ってらっしゃい。気を付けてね」  戦場カメラマンの僕は、一月(ひとつき)後には旅立つ。いつ死ぬか分からない僕は、彼女や家族が欲しいと思ったことはなかった。だけど気負わず急かさず、そんな僕の懐深くにスッと入ってきた君の振る舞いは、お見事だと言えるだろう。三ヶ月間の取材旅行を終えて帰ってきた僕を、優しく抱き締めて癒やしてくれた。最前線に暮らす子供たち、女性兵士、物資補給をする派遣された自衛隊。そんなものが、僕の被写体だった。  三ヶ月ぶりに君と身体を重ね、緊張の糸が途切れた僕は、久しぶりにグッスリと眠った。いつもは君の部屋だったけど、君が仔犬を連れて訪ねてきたから、初めて僕の部屋で。お腹の減った仔犬がクンクンと鼻を鳴らす声で、目が覚めた。君は居なかった。コンビニにでも行ったのかな、とキッチンを覗くと、作業台の上に、ベーコンエッグとドッグフードが皿に入って置いてあった。僕と仔犬の『餌』だ。僕はちょっと噴き出して、仔犬の前にフードを置いて、自分はパンを焼き始める。  その間、何気なく奥の現像室に入った。そして、絶句した。……ない。ない! 僕のこれまでの作品や、カメラ道具、何もかもがなくなっていた。もちろん、この三ヶ月間の写真も。自衛隊派遣のニュースを快く思っていない国民の為に撮った写真だが、まさかこんなスパイまがいの目に遭うとは思ってもいなかった。家の中じゅうを、君の痕跡を探して回る。荷物も、昨夜使った筈のコンドームも、残り香さえも残さず、君は綺麗に消えていた。残ったのは、仔犬だけ。  思考が痺れたように、頭が回らない。取り敢えず、ペット可のマンションに引っ越さなくっちゃ。そんなどうでも良いことを考える。君が居たことの証は仔犬だけだったから、彼を手放す気にはならなかった。この体験を記事にでもすれば、幾ばくかの金と政府批判を得られたかもしれない。でも、とても君を売るような真似は出来なかった。代わりに、良い探偵に安くない金を支払った。君を見付けて、どうしたいのか分からないまま、僕は探した。  半年後。ようやく、探偵が色よい返事を持ってきた。だが対象者は住居を転々としていて、今すぐ確かめに行かなければ、また逃げられてしまうという。僕は取るものも取り敢えず、成犬になったミニチュアダックスのリードを持って、都心から車で三時間のベッドタウンのアパートへと急いだ。  二度目、絶句した。スッピンで前髪を上げていたが、季節外れの淡雪のような白い肌、大きな猫目は変わらなかった。僕が声をかける前に、犬が尻尾を振って吠える。その声で僕に気が付いた君は、僕と目が合うと踵を返した。僕は素早く追いかける。五十メートルほど追いかけっこしたが、サンダル履きの君に追い付くのは容易かった。ガッチリと二の腕を捕まえる。 「な……何」 「君のやったことは責めない。戻ってきてくれ。君が、好きだ」 「ば……馬鹿じゃないの。見て分かんないのかよ」 「分かるさ。……男、だったんだな」 「じゃあ何で今更……」 「君が男でも、スパイでも、君と過ごした一ヶ月を忘れられない」  ああ、ほら。また梅雨空は、雨粒を降らせ始める。君ってホントに雨女……いや、雨男だな。 「そんなこと……言われたって困るよ。こっちは仕事でやってんだ」 「じゃあ、何で仔犬を置いていったんだ。何もかも片付ければ僕の妄想で済む話なのに、僕らの『子供』を置いていった」 「それは……っ」  何とか君を宥めて、アパートの部屋に入る。途端、僕は君をベッドに押し倒した。あの頃みたいに、キスをして。形ばかりの抵抗があったが、君も大人しく瞳を閉じた。丁寧に歯列をなぞって舌を絡ませる。初めて、君の局部に触れた。そこには雄の象徴があって、キスだけなのにすでに芯を持って震えていた。服を剥いでいく。後孔に舐めて湿らせた人差し指と中指を忍ばせて、ゆっくりと広げながら抜き差しした。 「アッ、あ・あ……っ」  嬌声はあの頃と変わらず、色っぽくて。僕も下肢に血が集まっていくのを感じていた。 「駄目、待って……」 「待てない。半年も待ったんだ」 「ん゙ん……っ」  初めて君を正面から抱く。君の喘ぎ声と雨の音だけが、やけに大きく耳につく。いつも暗闇の中でバックからだったから、君の感じる顔を見るのも初めてだった。オールバックにした前髪が崩れて、ハラリと汗だくの額に貼り付く。ゆっくりと君の雄を扱きながら、注挿し始めた。 「動くよ」 「あっ、や・あぁん」 「今まで触らなかったから、僕だけイって、君はイけてんかったんだよね。今、気持ちよくしてあげる」 「ッア・駄目、イっちゃう……っ」 「イっていいんだ。これは仕事じゃない。僕からの愛だ。イって、いいんだよ」 「ん――っ……!」  手の中で君が脈打って、後孔がきゅうきゅうに締まり上がる。僕は締まる時に逆行するように押し入って、強く君を揺さぶった。イったばかりの敏感な内部が絡み付いてきて、君は声もなくすすり泣いた。イく瞬間、内部から出て君のへそ目がけて吐精する。しばらく、荒い息を整えていた。換気扇から、雨の音がする。それが僕の性感帯で、キツく君を抱き締めた。 「泣くほど、()かった?」 「……馬鹿。こんなことしたって、意味ないだろ……」 「僕が政府のやり方を記事にして、君が危険な目に遭わないよう、民間保護団体に助けを求めればいい。君を守らせてくれ」 「そんなこと……できっこねぇよ……」 「出来る。僕を信じてくれ。信じなければ、何も始まらない」  静かに涙を流す君の頬に、何度も優しく口付けた。 「愛してる」 「……嘘だ」 「嘘じゃない」 「お前が愛してるのは、幻の女だ」 「違う。男でも女でもいい、『君』を愛してる」  嘘だ、とくり返して子供みたいに泣きじゃくる君をあやしながら、僕はもう君を離さないと心に誓った。その誓いは、雨男の君が雨を降らせる度に、僕の中で強く逞しくなっていった。 End.

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