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第3話:「総辞職して、俺のところに戻ってこい」

 成田国際空港には取材陣が詰めかけていた。   専用機が到着し、専用の通路を通って首相一行が玄関口に姿を見せると、一斉にフラッシュが焚かれ、次々にマイクやレコーダーが差し出される。 「総理! TPPの加入問題について進展はありましたか!?」 「トランポリン新大統領との会見についてコメントを!」 「根室沖での接触事故について一言!」  矢継ぎ早に繰り出される質問には答えることなく、若き首相とその一行は面伏せたまま、ほとんど小走りで記者達の前を駆け抜けた。 「くそっ、コメントなしかよ」 「おい、正面廻れ! 政府専用車が出るぞ!」  記者達は悪態をつきながら、どっと移動していく。  ややあって、黒塗りのハイヤーが後ろに山ほど取材の車を引き連れ、空港を後にした。 「……行きましたね。急ぎましょう」 「毎回、囮の車まで手配していただいて本当すみません」  小走りで細い通路を抜けていきながら、晋之介は申し訳なさそうにちらりと後ろを振り返った。背後には目立たない服装をしたSPが僅か二人だけついてきている。 「気にすることはありません。彼らはあなたの言葉の揚げ足を取ろうと手ぐすね引いて待ち構えているピラニアたちです。わざわざエサを与えてやる必要はない」  菅谷は振り向きもせずに言うと、地味な車の前で足を止めた。  ゆったりとした大型車で、窓にはスモークが貼られてはいるが、到底首相が乗るような車には見えない。 「さあ、急いで。 とにかく一旦官邸で情報を整理しましょう」  菅谷の言葉に、晋之介は慌てて車の後部座席に乗り込んだ。  続いて乗り込もうとしたSPが、不意に伸びてきた手に襟首を掴まれ、のけぞる。 「俺が代わりに乗る」  屈強なSPの襟首をたやすく掴んで投げ捨て、車に乗り込んできた人物を見て菅谷と晋之介は目を丸くした。 「え……江田野さん!?」 「車を出せ」  荒々しくドアを閉めると、腕組みをして晋之介の隣に身を沈めたのは、野党第一党である民意党の幹部・江田野であった。  呆気に取られていた菅谷の目がぎらりと鋭くなる。 「野党のあなたが何を考えてここに現れたのですか? 正気の沙汰とは思えない」 「いいから出せ。俺は晋之介に折り入って話があるんだ」 「なっ……」  なおも菅谷が言いつのろうとした時、車は滑らかに走り出した。  軽い振動が響くなか、車内には何とも言えない重苦しい空気が流れる。 「アメリカはどうだった、晋之介。トランポリンに襲われなかったか」  そんな空気などものともせず、江田野は大きな声で晋之介に話しかけてきた。 「い、いえ、そんなことは……多少クセのある方でしたけど、自信に満ち溢れてて、強力な指導者であることは伝わってきました」 「へえ。なかなか一人前に言うようになってきたじゃねえか」  ニヤリと笑う江田野に、重い空気の発生源である菅谷が痛みすら感じそうなほど鋭く冷たい視線を向ける。 「何のつもりですか? これは大問題ですよ」 「分かってる。どうしてもオフレコで話がしたかった」  江田野は腕組みをしたまましばらく黙り込むと、重い口を開いた。 「――二週間後に、内閣不信任案が提出される」  晋之介は息を呑んだ。心臓が跳ね上がる。  菅谷は一瞬眉を寄せたが、表情の変化はそれだけだった。 「それが何か? ご存知の通り、衆議院における我が党の議席は半数を優に超えている。提出したところで、却下されて終わりです」  可決されれば確実に倒閣できる「内閣不信任案」は、野党の最大にして最強の切り札と言える。  ただし、可決されれば、の話である。  現実問題、与党の議席は往々にして全議席の半数以上となっているため、「内閣不信任案」が実際に可決された例は非常に少ない。  菅谷の反応は至極もっともだった。が、そんな菅谷に江田野は眉を上げた。 「それはそちらが一枚岩だったら、の話だろう。こっちだって、伝家の宝刀をわざわざ抜くんだ。それなりの勝算がある」  菅谷の眉間にすっと皺が寄った。 「与党内部でもな、『若すぎる首相』に不満のある輩はあんたが思ってるよりずっと多いんだよ、菅谷さん」 「そんな……」  絶句する晋之介に、江田野は顔を向けた。 「俺がこの話をお前にリークしたのは、お前を守りたいからだ……晋之介」 「……」 「よく聞け。あと二週間以内に、内閣総辞職するんだ。自分から辞めた形をとる方がまだ傷が浅く済む」  分厚い江田野の手が、晋之介の肩にかかった。 「俺のところに戻ってこい。絶対にお前を守るから」  茫然としていた晋之介だったが、江田野の手の感触に我に返ると首を振った。 「できません」 「晋之介! 俺は今でもずっとお前のことを」  菅谷がおもむろにぐいと晋之介を引き寄せ、江田野の手を振り払った時、車が小さな音を立てて止まった。 「貴重な情報ありがとうございます。あとはどうぞこちらにお任せを、江田野さん」  晋之介を抱き寄せたまま、菅谷は冷たいナイフのような視線を江田野に突き立てた。 「降りなさい。あなたとこうして乗り合わせているのを見られるだけでも、総理にとっては致命的です」 「俺はただ、晋之介のために……」 「ここは引き下がれよ、徹」  呑気な声が割り込んだ。江田野がぎょっとしたように口をつぐむ。  運転席に座っていた麻尾が後部座席を振り返ると、フッと笑った。 「……あ、麻尾さん」 「懐かしいねえ、徹よ。うちの大将を守るだなんだと勇ましいが、そりゃ間に合ってる」  眠たげな目が江田野を値踏みするように眺める。 「それともお前、俺に勝てるようになったのか?」  含みのある言い回しに、江田野の頬にさっと朱が上った。  麻尾はくいと顎をしゃくった。 「人目につかん路地に止めた。行きな」 「くっ……」  悔し気に唇をかんだ江田野は、荒々しくドアを開いて降りた。  ドアを閉める間際に、一瞬だけ晋之介を見つめる。 「……待ってる」  ドアが閉まり、車はサッと走り出した。  晋之介はうなだれた。父親と違い、自分自身に求心力がないことはよく分かっている。  だが、それでも与えられた役割に対し、誠実に全力でやってきたつもりだ。仲間とも頼む党内から大勢の離反者が出ることを示唆され、傷つかなかったといえば嘘になる。 「すみません、麻尾さん、菅谷さん……僕がふがいないばかりに」 「……」  菅谷の手が、ふわりと晋之介の頭に乗せられた。  今さらながら抱きしめられているような姿勢であることに気がつき、晋之介の心臓が先ほどとは違うリズムで跳ねあがる。 「気にすんなよ、晋之介。お前はよくやってるさ」  片手でハンドルを操りながら、軽い調子で麻尾が言った。 「俺も菅谷ちゃんもついてる。お前はただ、今のまま前だけ見てな」 「麻尾さん……」  菅谷は何も言わなかった。  ただ、総理官邸の裏口に着くまで、黙って晋之介の頭に手を乗せていた。

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