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第1話

「えっ!?男!?」 出会い系サイトで出会った男が、夜の大阪駅前で叫んだ。通り過ぎていく人々が不思議そうにこちらを見ている。 「あれ?プロフィールに書いたと思うんやけど」 「でも、「はるか」って名前なんやろ!?」 俺、宮風遙は例のサイトでは本名である「はるか」という名前で登録していた。これまで私生活で名前だけ見て女の子に間違えられることは多々あった為、男女両方が使える出会い系サイトでこの名前は不親切か、という思いもあった。しかし登録してわかったが、男と女はプロフィールの画面の配色が違っていて、一目で性別がわかるようになっていた。身バレが怖いので顔写真は載せるつもりはなかったが、プロフィールの欄にも「ゲイ」だと書けば、さすがに誰も間違わないだろう。そう思っていたのだが、目論見が外れたようだ。 そうか、男か・・・と何度もつぶやくアキさん(相手のサイトでの名前)は、短い髪に立派な眉毛と強い目力、高い身長に筋肉質な体は男らしいを体現した風貌だが、肩を落としているその姿は男らしさのかけらもない。 「ごめんやで、かわいい名前やからよう間違えられんねん」 「いや・・・俺がちゃんと見とったら・・・すまん・・・」 初めてアキさんからサイトを通して連絡が来たとき、俺は「ネコだけど大丈夫?」と返したら、「大丈夫だ!でも俺は人間だ!」と返ってきたのを思い出した。変な冗談を言う人だと思っていたが、本気で言っていたことがわかった。本当にネコだけが来たらどうするつもりだったのだろう、とどうでもいいことを考えた。 きっとアキさんは、本当に名前しか見ていなかったのだろう。 落胆したアキさんもかわいそうではあるが、俺も少しがっかりしている。男に抱かれるのは久しぶりで、とても楽しみにしていたのだ。三白眼、少し遊ばせた髪、そこそこがたいのいい俺は、どちらかというとネコの子やMっ気のある子に好かれることが多かった。しかし本当はネコでMなのは俺なのだ。久しぶりに抱いてもらえると思い、顔に似合わず浮き足立っていた。 とはいえノンケではだめだ。 「じゃあ残念やけど、解散ゆうことで」 またご縁があればよろしく~と言って、その場を離れた。が、男の手に阻止された。 俺の腕をつかんだ手の持ち主をみると、アキさんは神妙な顔をしたまま何も言わず、まじまじと俺の顔を見ている。 「どうしたん?」 「自分大丈夫?何かあったやろ?」 そのひと言でこれまでうるさかった都会の音が、何も聞こえなくなった。 うるさく唸る車のエンジン音が鳴り響き、我に返る。 自分を追い越していく人々の波を見て、時間が止まったわけではないのか、と思った。 相手の顔を見ると、見透かそうとするかのように俺をじっと見つめている。 何で、わかったのだろうか。掴まれた手にはじわりと汗がにじんでいた。 この人苦手だ。 深く関わり合いたくなくて、これまで営業で培った笑顔を作り、軽く聞こえるように注意して口を開く。 「心配してくれるん?優しいなぁ。でも別に何にもない・・・」 肩に強い衝撃を受け、足元がよろけた。見ると、太く筋肉質な腕が回されていた。その腕は遠慮無く俺に体重を乗せてくる。 俺が抗議の声を上げようとアキさんに目を合わせると、ニコッと満面の笑みを返される。 「元気ないときは、とりあえず飯や!」 そう言うと俺をむりやり引っ張っていった。なんやこいつ。 ちょっと、何してんの、やめて、と抗議しても、聞いているのか聞いていないのか、ガハハとでかい声で笑うだけだ。周りの人が酔っ払いを見るかのようにクスクスと笑っている。 「俺おなかすいてへん!」 「食べれる時に食べとかな倒れるで!」 微妙に会話がかみ合ってない。その後俺が何を言ってもとりあえず飯!という答えしか返ってこなくなった。この重い腕を離してもらえれば、タイミングを見て逃げられるだろう、と思い腕をどかすよう伝えたが、飯を食うのを確認するまでは逃がさへん!と言われガハハと笑われる。 やっかいな事に巻き込まれた。これは諦めるしかないのだろうか。はぁ、と大きなため息をつくと、逃げないからと言って肩を組むのだけはやめてもらった。 連れて行かれたのは2階建ての古いアパートだった。錆びた鉄の階段を上って一つ目の扉の中へ案内される。そこは狭いワンルーム。備え付けられた簡単なキッチンは調味料や食器が乱雑に置かれ、ベッドには服や文具など私物が散らばり、組み立て式らしき小さなテーブルには飲みかけの缶ビールが置かれていた。お世辞にも綺麗な部屋だとはいいにくい。 「適当に座っとき!」 そういうとどこからか座布団を出してきた。それは汚い部屋には似合わず、綺麗でふかふかだった。遠慮無く腰を下すとアキさんは、ちょっと待ってや、と言ってキッチンへ向かった。 大きな体を曲げて小さな冷蔵庫をあさり、どうしようかなー何作ろうかなーと言っている。 それにしてもまさか自宅に呼ばれるとは。この人、一体どういう神経をしているのだろうか。初めて会った人間、しかもゲイの俺を家に連れ来て、飯まで作るようだ。おそらく俺がゲイだと言うことに気づいていないにせよ、おせっかいもここまでくると不気味だ。会った当初から思っていたが、人に対するパーソナルスペースが異様に近い。よく今まで生きてこれたな、と余計な事を思った。とはいえどうせ今日だけの縁。この人の人生など知ったことではないしどうでも良い、と思考を放棄した。 大きな鼻歌と、何かを炒める音が聞こえる。 後ろにあるベッドにもたれながら目線を動かすと、蛍光灯の光が夜道を照らしているのが窓から見えた。 なんとなしに見ていると、先日のことを思い出す。 「君ホモなの?」 部長のガラガラした汚い声で問われた瞬間、オフィスが完全に無音になった。それもつかの間、すぐにカタカタとキーボードを打ち込む音が再開した。とはいえ、みんなが聞き耳を立てているのはすぐにわかった。 「何言うてはるんですか~」 そんな訳ないでしょ、といつもと同じ軽い口調で言ったつもりだが、ちゃんとできていただろうか。血の気が引いていくのがわかった。心臓は苦しいほどに強く音をならす。目の前の上司にだけは聞こえていないよう祈った。 上司は疑い深そうな顔で俺を一瞥すると、吐き捨てるように言った。 「別の人から聞いてるんだよね。昨日は男とお楽しみだったんでしょ?」 気持ち悪いね、と冷たい声で言われた。 部長の言葉は全く身に覚えはなかったが、俺は動けなくなった。 やっとの思いで出た声は震えてさえいなかったが、とても平坦で冷たかった。 「・・・昨日はA社の平田さんと食事に行きました。平田さんが奥様を大切にしてはるのは部長も知ってるんちゃいます?」 「あぁ・・・確かそうだったね。なんだ、何かの間違いかな」 仕事ができる君がホモな訳がないよね、と部長は言うと上辺だけの謝罪をして俺をあしらった。 部長は偏見の激しい人だった。世間一般から外れた人は徹底的に攻撃するところがあった。 部長の先ほどの話は完全な作り話だ。きっと誰か俺の事が気に入らない奴が部長に言ったのだろう。少し前から営業成績が伸びてきたこともあり、よくも悪くも周囲の対応が変わってきていた。 俺がゲイだと知っていて部長に言ったのか、知らずに言ったのか。真実はわからないが、見事に俺の弱い所をついた。 気持ち悪い、その言葉がぐるぐる俺の中で回る。気持ち悪い、仕方ないのだ。普通ではない人間は社会では生きにくい。そう、自分でもわかっていたはずなのに。 「じゃーん!!完成や!」 アキさんの声で我に返る。 アキさんは得意げな顔でなにか卵料理を持っていた。赤みのあるご飯にスクランブルエッグが乗っており、ケチャップで「あるか」と書いてある。これはもしかしてオムライスだろうか。 「どうや。うまいことかけたやろ?飲み物は・・・ビールでええか?」 というかビールしかない、と言ってがははと笑った。この人お茶とか飲まないのだろうか。 アキさんは「あるか」と書いてあるオムライスを俺の前に置くと、ビールを取りに行った。 どうやらこの「あるか」の文字は「はるか」のつもりなのかもしれない。うまくかけただろう・・・って本気で言っているのだろうか。多分俺の方がもう少しマシに書ける。 そもそもビールにオムライスってどんな組み合わせなんだろう。突っ込みどころが多すぎて、もう訳がわからない。 ビールを2本と、自分の分のオムライスをテーブルに置いたアキさんは、机を挟んで俺の前にすわった。 よく冷えた缶ビールを手渡され、乾杯する。 まだあつあつの雑なオムライスを口に運ぶと、見た目の雑さとは裏腹に、とても美味しい。 卵はほどよく半熟で、ごはんも意外とパラパラしているし、少し固めのタマネギの食感が俺好みだった。 長らく食欲が無かったので、まともなご飯を食べたのは久しぶりだった。酒には目もくれず、夢中でご飯を掻き込む。 「うまいか?」 「・・・うまい」 「せやろ!!!!!オムライスが嫌いな奴はおらんからな!」 アキさんは嬉しそうに笑うと、オムライスを食べ始めた。ほんまや、うまい!と自画自賛している。 誰かとご飯を食べるのは、部長に弁解するために言ったA社の平田さんが最後だったな、と嫌なことを思い出した。 「ところで、なんではるかは落ち込んでんの?」 ついにきた。 そもそもこの家に呼ばれたのは俺が落ち込んでいるのがばれたからだ。 来てしまった以上言わなければならないんだろうが、気が重い。 大体アキさんは初めて会った俺が元気がないなんて、なんでわかったのだろうか。 今まで誰にも気づかれなかったのに、初めて会ったがさつ人間に気づかれたのがどうしても腑に落ちなかった。 「アキさんは何で俺が元気ないって思ったん?」 「勘や!」 勘。野生的な何かが働いているのかもしれない。この人ならあり得るな、と思った。 「うーん、じゃあ残念やけどその勘外れてると思うわ。俺今日は男に抱かれるつもりでアキさんと待ち合わせしたぐらいには元気やしなぁ」 「そうやったんか!!!お前そっちなんか!!」 「そうそう」 やっぱり気づいていなかった。本当に出会い系サイトで「はるか」という名前だけを見て連絡してきたのだろう。年齢制限のあるサイトなんて、サクラも多い。普通は警戒するものではないだろうか。本当にアキさんは今までよく無事に生きてこれたな、改めて思った。 とはいえ、さすがのアキさんもゲイの俺を家にはおいておけないだろう。 夜遅くに密室に二人きり。もちろん無理矢理襲うつもりは微塵もないが、相手からしたら怖いと思うのが普通だろう。そもそもノンケのこの人から見たら、ゲイの俺は気持ち悪いだろう。そう考えた瞬間、部長の声で「気持ち悪いね」と脳内で再生されて、心臓がはねた。 「えっ?もしかしてそれが原因か?」 アキさんは、心底不思議そうな顔をした。 「さぁどうでしょ~」 「ええやん別に男が好きなぐらい」 「・・・ぐらいって」 「なんで?あかんの?」 俺がこれまで悩んでいた事を「それぐらいのこと」と言われるのは、腑に落ち無い。 しかし、それぐらい、と大したことないように受け取ってもらえる事は、初めてだった。 これまでゲイだということをカミングアウトして良い結果になった事がなかったのだ。 唯一仲良かった友達に相談した時は、裏で気持ち悪い、と言われたし、親にバレた時は、もう大変だった。母は狂乱、それを見た父が俺を怒鳴る。両親とは未だにわだかまりが残っていた。 それぐらい。そんな考え方をしてくれる人もいるのだ、と初めて知った。 「そっかー、あかんことないかなぁ」 「ないに決ってるやん!みんな違う人間なんやから、みんな違って当たり前やろ!」 「アキさんは心広いなぁ」 「なんでやねん!」 アキさんは続けて、お前おもしろい奴やな、と言った。 俺からしたらアキさんの方がよっぽどおもしろい人だと思う。 「今日はお腹にたまってる事全部言い!ほんでスッキリさせ!」 そういってアキさんはにっこり笑って、俺の肩をバンバン叩いた。痛い。心は優しいが力の加減はしてくれないようだった。 いつもだったら、俺が人に相談するなんて絶対にない。人に言っても無駄だという意識が自分の中にあった。 しかし、アキさんは俺の初めて出会ったタイプの人間だった。 会社を見切り発車で辞めてしまった事が、思っていたよりも不安だったのかもしれない。 気づいたら口が開いていた。 「・・・職場でゲイなんがばれて仕事辞めてん。部長にわざわざみんなの前でホモや言われて。今までかわいがってくれた上司も急に態度変わるし、裏で悪口言ってるのも聞いてまうし。」 言い始めると、どんどん言葉が出てくる。 自分で思っていたよりも、精神的に堪えていたことに今気づいた。 「みんな腫れ物を触るみたいに接してくるし、相変わらず同期はチクチク嫌がらせしてくるし。 俺結構頑張ってたと思うんやけどなぁ。ゲイってそんなあかんかなぁ」 そこまで言って、アキさんの顔を見た。あえて俺はにっこり笑った。 「まぁ、いいねんけどなぁ。よくあるといえばあることやし」 アキさんは目を見開くと、そうか、と言って俯いてしまった。 俺は手元にあるビールを、多めに口に含む。 久しぶりに飲んだからだろうか、いつもよりも苦い気がした。 気まずい。そんな空気を振り切るように、近くにあったテレビのリモコンを手に取った。 電源をつけると、今人気の若手芸人が体を張ったロケをしていて、笑い声が部屋に響いた。 ズズっと鼻をすする音が聞こえて、音の元へ目を向ける。 すると、俯いたアキさんから水滴がぽたぽたと落ちているのが見えた。 え、と俺がつい口から声が漏れると、アキさんは勢いよく顔を上げた。男らしい顔をぐしゃぐしゃにし、大きな瞳から、粒のような涙があふれ出ていた。 「辛いことを思い出させて・・・すまんかった」 アキさんは嗚咽を漏らしながら、広い肩を揺らした。 まさか俺を哀れんで号泣しているとは思わなかった。普通ここまで人に感情移入できるだろうか。 どうしていいかわからず、とりあえず近くにあったティッシュを数枚とり、アキさんに渡す。 アキさんはそれを受け取ると鼻をかんだ。 涙は乱暴に腕で拭き、赤い目のまま強いまなざしを俺に向けた。 「お前は絶対に悪くない!!ほんーまに、今までよう頑張った!!」 アキさんはそう言うと、両手を伸ばして俺の頭をがしがしとなでた。無遠慮で雑で、髪がぐしゃぐしゃになる。 頑張ったな、ともう一度言うと、アキさんはより一層豪快に泣いた。 お人好しな人だな、と思う。俺なんかの為に涙を流してくれるのだ。 俺はティッシュをまた取ると、アキさんの涙を拭いた。 すまん、と言ってティッシュを受け取ると、俺の頭から手を離し、テーブル越しに俺を抱き寄せた。 突然のことであっけにとられる。 「今日はいっぱい食べていっぱい飲んで忘れ!!!」 そう言うと俺の背中を一度強く叩いて、解放してくれた。目が合うと、涙でぬれたままの顔でにっこり笑って、また頭を撫で、冷蔵庫にビールを取りに行った。 叩かれた背中がじんじんした。本当にこの人は力加減をしてくれない。 でも俺は、胸の中に感じた事のないぬくもりを抱き、アキさんの背中から目を離せなくなった。

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