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三空間目②
「ッ、ーう!」
痛い、痛い、痛い!
有り得ない。有り得ないよ、こいつ!
あんたが「癒せ」なんて無茶な振りをしてきたから、こっちは必死に無い頭を動かして懇切丁寧に対応してやったというのに。何故俺がこんな目に遭わなければいけないんだ。あまりにも鬼畜な仕打ち過ぎる。
まるで頭部を鈍器で殴られたような痛みだ。
…いや、鈍器で殴られたことはさすがにないから実際には比べようはないけれど、この痛みは絶対にそれに匹敵する痛みだと思う。
もしも今ゲームの世界に入れるものならば、俺は迷うことなく回復技を持っている職に就いて自分の頭部を癒すことだろう。
いや、それよりもだ。
俺にこんな目を遭わせた張本人に俺が無茶振りをされた時のように「俺を癒せ」と無茶難題を突き付けてやりたい。
「…………」
…だがそう思うだけで、それを実行する度胸は案の定持ち合わせてはいない。
ゲームの世界に入り込むのと、神田さんに無茶難題を突き付けるのはどっちが現実味があるだろうか。
情けないことに、答えはどちらも同じだ。
ゲームの世界に入り込むのは当然無理だが、俺からしてみれば、神田さんに口答えすることも同じくらい無理だ。
「………」
痛みのせいで自分の意思とは関係なくボロボロ流れる涙を拭うより先に、俺は拳骨を振り下ろされた患部をおそるおそる触れてみた。
…ぬるりとした嫌な感触がない事に俺は心から安堵する。
良かった、血は出ていないようだ。頭は割れていないようだ。
しかし一体何だというんだ。あまりにも非道過ぎる。
そして非常に残念なことこの上ない。
“痛いの痛いの飛んでいけー”という呪いが本当に効くものならば、俺はこっそり自分の頭部の痛みを神田さんの頭部に飛ばして仕返ししてやるというのに。
「(……ん?)」
………というか。
「…か、可愛いって何なんですか?」
「………」
痛みと怒りで動転して忘れてしまっていた。
そういえば神田さんは俺に拳骨を食らわす前に、可愛い云々言っていた気がする。
…可愛いって何が?
痛いの痛いの飛んでいけという言葉がか?
それならば神田さんは本格的に頭がおかしな人だろう。
女の子がしてくれたならまだしもだ。野郎の、しかも俺のようなデブがした行動で可愛いと思ってしまうなんて。
………何というか。あれだ。
冗談だとしてもそんなことを言った神田さんを哀れむことしか俺は出来ない。なんならその頭に痛いの痛いの飛んでいけーとしてやろうかと思うくらいだ。
………。
いや。嘘。じょーだん。
もう二度とあんな羞恥極まりない行動を取るつもりはない。
神田さんはあれだろうか。
物凄く視力が低い人なのだろうか。
それとも、可愛い女の子を見過ぎて目がおかしくなったどころか、頭すらおかしくなった人なのだろうか。
どちらにせよ。残念な人に違いない。
「あの…、大丈夫、ですか?」
いや。本当に。色々と。
先程から様子がおかしい神田さんを下から覗き込むように見上げれば、チッとあからさまな舌打ちをされて顔を逸らされた。
…その行動、地味に傷付きます。
「大体、てめえが…、」
「え?」
あ、やっぱり矛先は俺に向かう方向なのですか。…そうですか。
いやまあ。俺が気持ちの悪い行動を取ったことがいけないんだろうけれども。
でもよく振り返ってみてくださいよ。
根本的に悪いのは全て神田さんだ。俺があんな気持ち悪い台詞を言わなければいけない原因を作ったのは神田さんなのだから。
「な、何ですか?」
「チッ」
「え?」
二回目の舌打ち?
そんなに苛々されるとすげー怖いんだけど。また八つ当たりでもされるんじゃなかろうか。拳骨されるのだけはまじで勘弁。これ以上されたら頭割れちゃうよ。どうせならビンタとかにしてください。あと腹蹴りとか。それならある程度は慣れているし。
どんな理不尽な攻撃が来るのか恐怖しつつも、ある程度少し身構えていたのだが、力の入った蹴りや拳は訪れなかった。
「お前…っ、」
……だが。
それ以上に。
「自分が思っている以上に、可愛過ぎんだよ…っ」
屈辱的で、(男にとっては)言葉の暴力でしかない衝撃的な事を面と向かって言われてしまった。
「……え?、っ、え?」
もう何というかね。
まさか神田さんにこんなことを言われると思っていなかっただけに、思わず漫画のようにぽかーんと大口を開けてしまった。
だけど放心して立ち尽くす俺を他所に、俺の胸を抉っていく神田さんの言葉の暴力は続く。
「無駄に従順だし、たまに歯向かってきたと思ったら、すぐに泣くし。その馬鹿みてえに柔らかい身体も、苛めたくなる性格も、俺に弄られるためだけに存在しているとしか思えねえよ」
「………」
……これだけは言える。
それは絶対に違います。
「取り敢えず、その肉を揉ませろ」
「い、嫌です」
何がとりあえずだ。俺のどこの肉を揉むつもりだ。
第一段階で俺の肉を揉むことを要求してくるのならば、第二段階では一体何を求めてくる気なのだろう。気になるのだが、怖くてそれは聞けない。聞いたら絶対後悔すると思うから。
「あ?てめえの意見は聞いてねぇよ」
そしてこの理不尽さ。そんな目で睨まないでくださいよ。
怖いです、割と本気で。
「あ、あの、…神田さんに一つ質問があるのですが…いいですか?」
「抵抗しねえなら答えてやる」
「……っ、わ、分かりました」
俺の身体のどの部分の肉を揉みたくて必死なのだろうか。
いいさ。分かったよ。そんなに俺の醜い脂肪の塊を揉みたいのならば好きなだけ揉ませてやろう。
それで痛い目に遭わなくて済むならば安いものだ。
別に俺は女じゃないし、大したことではないはず。
だけどそれは俺の一つの質問に答えてもらってからだ。
「あの、神田さんは…、」
「何だ?」
「げ、ゲイじゃないですよね…?」
神田さんの様子を伺うように下から覗き込んで訊ねれば、心底不愉快そうに眉間に皺を寄せた神田さんと目が合った。
……その反応は。
否定という形で捉えて宜しいんですよ…ね?
「お前は馬鹿か。当たり前だろうが」
ビンゴ。
良かった。ちゃんと否定してくれた。
俺は安心してホッと胸を撫で下ろす。
まあ、例え神田さんがゲイだったとしても、俺なんかは論外だろうけども。
そうかそうか。ゲイじゃなくノーマルなら何も心配はいらないな。
「そ、そうですよね。ごめんなさい、変なこと訊いちゃって。気にしないでください。…あはははは」
「俺はゲイじゃなくてバイだ」
「あははは、…、……はっ!?」
ゴホッ、ゲホッ。神田さんのとんでもない発言に咽ちまった。
ゲイじゃなくてバイ?
バイってあれだよな。バイセクシャルの略だよな。
つ、…つまり?女の人だけではなく、男の人にも性的魅力を感じる人ということ…。
「ちゃんと答えただろ。おら、揉ませろ」
「ちょ、っ、…ちょっと、む、無理ですよっ」
「あ゛?」
あ゛?じゃねぇよ。馬鹿っ。
その事実を知って、易々と揉ませる奴がどこに居る。俺はそんな物好きでも尻軽でもない。
ゲイの人やバイの人に嫌悪感は持っていないが、それとこれとは話が別。
神田さんには選ぶ権利もあるだろうし、俺なんかに性的魅力は感じないだろうが、正直揉ませるのだけは絶対に嫌だ。
「わっ、…こ、こっち来るな!」
「この俺に生意気な口叩きやがって」
「だ、大体、どこを揉むつもりなんですか?!」
……ああ。訊くつもりなんかなかったのに訊いてしまった。
「あ?そんなのケツと胸と脇腹と太腿に決まってるだろうが」
「ほぼ全身じゃないですかッ!」
…やっぱり訊くべきではなかった。
俺の脂肪を揉もうとする神田さんと、それから逃げる俺。
そんな俺達の攻防戦は夕飯が届くまで続いたのだった。
………脇腹以外死守してやったぜ。
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