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 別れが近いという予感はしていた。  証拠があるわけではないが、付き合いたての頃のように熱い視線を向けてきたり、求められることもほとんどなくなっていて、会話も格段に減った。  別れようか  仕事帰りの彼がネクタイを緩めながら、あいさつでもするように軽い調子で言ってきた。  その時も、そうだねとだけ返し、大して多くもない荷物をまとめる。  軽いはずの荷物が重く感じられて、マンションから少し離れた公園に荷をおろすと、指先が震えていることに気がついた。  手のひらに食い込んだ爪痕を眺め、未練があったことに気づく。  それに純粋に驚き、虚しさが募る。  今からでも引き返せば間に合うはずだと、願いを込めてマンションを見上げると、彼の部屋辺りの明かりが消えた。  視線を荷物へ向け、再び持ち上げると、重さは変わらないが持てないほどではない。  もうマンションを振り返ることはなかった。        宛もなく街を歩いていると、無意識に彼と知り合ったところと似かよっている場所へ出た。  飲み屋や怪しげな建物が並ぶこの中で、不釣り合いなくらい爽やかな雰囲気の彼に声をかけられたのだ。  好みの顔だったから、つい。  あとになってそう打ち明けた彼は、もうここにはいない。  酔っ払いの集団に絡まれないように足早に過ぎ去ろうとしていると、背の高い男にぶつかった。  相手の顔も見ずに詫び、そのまま大通りに足を向けると、腕を掴まれ、引かれる。  振り向くと、ぶつかった男だった。  何か難癖をつけられるのかと身構えるが、怒った風ではない。  暗がりでやや見えにくいが、ほどよく整った顔立ちをしていて、にこやかな笑いかたがうまく緊張を解してくる。  よかったら、飲みにでも  そのあと連れ込まれることも想像がつく誘いかたをされ、うまくほだされた気がしつつも、断る気力も奪われていて了承した。  こういう関係しか築けないのだと、自嘲を浮かべながら男に抱かれる。  翌日には消え去ることを決めて意識が飛ぶのに身を任せた。  朝陽が昇る頃、ふらりと外に出て薄暗い街中を歩いた。  人気のない通りを歩いていると、自分が一人きりになってしまったことを痛感する。  今夜はどこに泊まろうかと、ろくに働かない頭でぼんやり思った。  同棲のような生活をしていたため、元々住んでいた部屋はとっくに引き払っている。  かといって、部屋探しをする気力もない。  今はこうでも、そのうち気力を取り戻して日常に戻るしかないことも知っていた。  代わり映えのしない毎日が過ぎていき、今は過去になる。  フィクションのように劇的な展開など、望めないのだ。  いつまでも引きずっていても意味はないと、同棲していたもと恋人の残像を振り払おうともがく。  大切なものは失って初めて気づく、などとありきたりな台詞が脳裏を過り、まさか淡白な自分がこうなるとは、と苦笑が漏れた。  少しずつ高くなる陽の光に、目が眩み、視界がぼやけ、力なく崩れ落ちる。  アスファルトに染みができ、泣いていることに気がついた。  どうしてあのとき、別れたくないと追いすがらなかったのか、  どうしてあのとき、もっと素直に愛情を伝えなかったのか、  後悔ばかりが募り、息苦しさに喘ぎながら携帯を取り出す。  電話帳をスクロールして見つけた名前を、意味もなくなぞり、かける勇気も持てずに仕舞う。  クラクションが鳴り、道路の真ん中にいたことに気づくが、動く気力もない。  なりやまない騒音の中で、彼が走りよってくる幻を見た気がした。

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