1 / 1
メリー苦しみます
寒い――温度も財布も心も――そして、
「メリー苦しみます!」
妙なハイテンションで俺の部屋の玄関ドアを豪快に開けたこいつも寒い。
大体、クリスマスの夜に男が二人と言うのも寒い。一人で居た方がマシだ。
それに、今時、メリー苦しみますって、死語じゃね?
なんて言えば、更にハイテンションで返してきそうなので言わない。
そんな俺の華麗なスルーを気にすることもなく、奴はズカズカと室内に侵入してきた。招いていないので不法侵入だ。
「つーか、この部屋寒くね?」
今度は勝手にヒーターをガチャガチャとやり出す。間もなく、耳障りな警告音が室内に響いた。
一瞬、マジで通報してやろうか?と思ったけれど、こんな下らない事でポリスも出動したくないだろう。特に今夜は――イラッとされて、手荒な扱いを受けたら、さすがのこいつでも可哀想だ。
「あ、なんだよー。灯油ねえじゃん?」
奴がため息をつきながら、ヒーターの電源を落とす。
残念だったな。その通りだ。だから俺はこうして炬燵でやり過ごしているのだ。
「どうせ、お前の事だから、寒いとか言って灯油買いに行くのも面倒がってるんだろ?」
それも、その通りだ。図星なので余計に何も言いたくない。
ぷいっと顔を背けると、奴は不意になんでもお見通しですと言った感じの笑顔を浮かべ、すっと玄関の方へと消えて行った。
なんだよ。無言で帰るのかよ。さすが今夜は予定がありますってか?と心中でクダを巻きながら炬燵テーブルに顎を落として、鼻からため息を噴出した。
すると間もなく
「ほらな」
と、玄関先で声がする。帰ったのかと思ったら、わざわざ玄関に置いてあるポリタンクの中身まで確認していたとは、嫌味な奴め。
「ったく、仕方ねえな……」
声色で、奴がいつもの苦笑を浮かべているのがわかる。心底呆れているのに、少し嬉しそうなあの顔。そして、続くのは必ずこの台詞。
「俺がいないとなんにも出来ねえんだから……」
そんな訳あるか。お前が勝手に俺に付きまとって、勝手に世話を焼いているだけだ。
と言い返してやりたかったけど、振り返った時には、バタンと音を立てて奴は出ていってしまった。
きっと、灯油を買いに行ってくれたのだ。
わかっている。すぐ帰ってくる。わかっているのに、ドアの隙間から入り込んだ微かな冷気が尻を撫でた時、不意に泣きたくなった。
奴との出会いは、大学二回生の時。確か、たまたま席が隣だったのがきっかけだ。
初対面からガンガン話しかけてきて、正直苦手なタイプだと思った。それからはなるべく避ける様にしていたのに、見かければ駆け寄って来て、またガンガン一人で喋りまくる。うざい奴と思いながら、適当にあしらっていたはずなのに、いつからか俺の部屋にも上がり込む様になっていた。そして、掃除はするは、飯は作るわ……
おかんか!?と、突っ込むのも面倒で、そのままにしていたら、三年も経ってしまった。まあ、飽きもせず、よく続くもんだ。
ウザい!寒い!!余計なお世話!!!とは毎日思っている。
でも、最近は奴が部屋にいない時にふと、胸の辺りが寒くなる事がある。
今日みたいに、なにも言わずに出ていかれると――ああ、もう帰って来ないんじゃないか――と思って泣きたくもなる。
いや――ちょっと待て。泣きたくなるのおかしいだろ?俺。そこは、ホッとするところだろ?……け、決して、寂しいとか、そんなんじゃない。
ほら、あれだ。いつも買ってる漫画雑誌の中で、別に好きでもないのに読んでる漫画が急に打ち切りになっちゃった時の――って上手く言えない。クソっ!
なんて一人で炬燵の中に突っ込んだ足をバタバタさせていると、玄関ドアが開く音がした。続いて
「ただいまー」
の声。
ただいまじゃねえよ。招いてないから不法侵入なんだよ。
でも、言わない。今夜は絶対、奴と口なんかきいてやらないんだ。
さっきのモヤモヤが尾を引いて、半ば八つ当たり気味にそんな事を決め込む。
俺は、猫よろしく、更に体を丸めて炬燵布団にくるまった。
「いやぁ、寒い寒い。こんな事までさせるなよな」
愚痴っぽく言いながらも、やっぱり奴は少し嬉しそうだ。
うるせえ。頼んでないし。お前が勝手にやっているだけだし。と言う気持ちを込めて睨んでみたが、やっぱり奴は気にしない。
テキパキとヒーターから灯油タンクを引き抜き、見るからに重そうなポリタンクと共にベランダへと向かっていった。こんなクソ寒いのに、わざわざベランダで作業するとか、馬鹿じゃないのか。別に部屋が多少灯油臭くなったって、俺は気にしないのに。
ガソリンスタンドも、それ程近いわけでもないのに……せめて、一度、炬燵にあたって、少しくらい体を温めてからやればいいじゃないか――って、何、心配してるんだ!?そんなの、奴が好きでやっていることなんだから、俺が気にすることなんてないじゃないか。
てか、寒いんだよ!窓なんか開けるな!!とでも言ってやろうかと思ったけど、そうだった。今日は奴と口はきかないって決めたんだった。
――クソっ、自分の部屋なのに肩身が狭い。
奴が勝手にやっていることだけど、頼んでもいないけど、やっぱり、ここまでさせといて、自分だけなにもしないのは……
いてもたってもいられなくなった俺は、台所とは名ばかりの狭い流しへと向かった。
年代物の電気コンロの上に水を張ったミルクパンを置いて考える。
コーヒーにしようか。ココアにしようか。
少し迷ってからココアの袋に手をかけた時、タイミング悪く、作業を終えた奴が俺の横に並んだ。
「おっ?ココアいれてくれんの?気が利くね」
うちには洗面台なんて洒落たもんはないから、手を洗うにはここしかない。迂闊だった。
念入りに手を洗いながら、ヘラっと笑う奴の横顔を見て、顔が熱くなった。外の寒気か冷水のせいか、赤くなったその指先を握りたい衝動が湧き上がる。
でも、しない。いや――出来ない。
俺は、いつも奴の前では素直になれない。
鼻の奥がツンとした。
「はっ?なに?えっ、あれ?えっ?何、泣いてんの?お前――」
オロオロとする奴の手が、俺の頬に触れる寸前で止まる。きっと自分の手が、相当冷たいのを知っているからだろう。どこまで気遣いの人なんだよ。
顔だって、特別カッコイイ訳じゃないけど、そこそこイケてるし。スタイルもセンスも悪くない。お前の隣には、俺なんかよりもっとずっといい人がいるべきだ。何度、そう言ってやろうと思ったか――でも言えないのは、俺がズルいからだ。
俺はスウェットの袖で乱暴に目元を拭い。黙々とココアをいれた。奴はただただオロオロするだけだった。
そんな奴を押し退けるようにして、両手にマグカップを持ち、炬燵のある部屋へと戻る。
奴はすぐには追ってこなかった。まだオロオロしているのかと思いきや、玄関先で何かゴソゴソとやっている。
ーーああ、とうとう俺に愛想が尽きたか。それならその方がいいよ。
と投げやりな考えが浮かんだ瞬間、突然部屋の電気が落ちた。その事にびっくりしている暇もなく、すりガラスの向こうに揺らめく数本の明かり。そして、間抜けな歌声が――
「ジンゴーベー♪ジンゴーベー♪すっずがー鳴るー♪ふふふーんふふふふーん♪」
有名なクリスマスソングだ。しかも、早い段階から誤魔化している。知らないなら歌うなよ。
滑稽に体を揺らしながら、奴が近付いてくる。ろうそくの灯に顔を下から照らされて、かなり不気味だった。
「ケーキ買ってきたぞー」
まるで子供に言うような大袈裟な口調で、奴はどかりと炬燵テーブルの中央にケーキを置いた。間近で見ると、結構デカい。こんなの二人で食べきれる訳ないだろ。
「さあ、ろうそく消して、願い事して」
それは誕生日だ。と言うか、そもそもクリスマスケーキにろうそくなんて立てるのか?
色々と気になるところはあるが、俺は黙ってろうそくを吹き消した。
一瞬で部屋が暗くなり、奴の短い拍手のあと、電灯が点けられた。奴の満面の笑みが眩しくて、視線を落とすと、俺の目の前にはケーキだけじゃなく赤いリボン付きの小さな箱が置かれていた。いつの間に――
「ハッピーメリークリスマス!」
突然大声を出されて、ビクリと肩を跳ねあげる俺を他所に、奴はいそいそと炬燵に潜りながら「開けてみ」と顎で箱を示した。
言われるがままリボンを解いて蓋を開ける。すると中には一本の鍵が入っていた。ごく普通の一般家庭用玄関の鍵に見える。
何これ?と訝しげな瞳で訴えると、奴はやや緊張を孕んだ笑顔を返してきた。
「もういっそ、一緒に住んじゃいませんか?ってか、そのつもりでちょっと広い部屋借りちゃったし」
その言葉を聞いた瞬間、俺の目から涙が溢れた。
「えっ!?うわっ、ちょっと……なんで泣いてるの?」
奴は再びオロオロとし始めた。なんで泣いているのかなんて、自分でも説明出来ない。ただ、体の奥から湧き出るみたいに涙は溢れてきた。
いつ泣き止んだのだろう。気付いた時には、俺はケーキを食っていた。
生クリームの甘ったるいケーキは胸に来る。ココアじゃなくてコーヒーにすれば良かったなんて、ぼんやりと考えた。
奴に返事はしていない。
しかし、俺の涙を嬉し涙と取ったのか、奴は一人で新しい部屋のことを捲し立てていた。
なんで、これだけ付き合っていて、俺の気持ちがわからないんだ。思い返せばさっきのは、嬉し涙なんかじゃない。むしろ恐怖だ。
俺のためにそこまでやってしまう、奴自身の行動ももちろん怖いし、その覚悟も怖い。そして、それを甘んじて受けてしまいそうな自分も怖い。
「お前の隣には、俺なんかより、もっとずっといい人がいるべきだ……」
本日、最初の俺の言葉がこれ。
今までずっと言えなくて、でもずっと言わなきゃいけないと思っていた言葉。
思い出した。出会って最初のクリスマス。奴は俺のことを好きだと言った。ずっとそばにいたいと言った。その日から、言わなきゃいけないと思っていたのに……その気持ちに甘えて、利用して、ずっと言えなかったんだ。
だが、今日はまるで零れるみたいにサラリと言えた。これで終わりにすることが、俺からの最高のクリスマスプレゼントなんだ。そう思えば、涙も堪えられた。
でもやっぱり、奴の顔は見られなかった。どんな顔をされても、きっと耐えられないから。
ふと、視線の片隅で奴が笑うのがわかった。
「そう言うと思ったよ……」
なんでもお見通しと言った感じのあの笑顔なんだろう。
「例えばさ、俺の隣にいるべき人がお前じゃないとしても、俺はお前にいて欲しい。いるべき人より、いて欲しい人が隣にいればいい」
「そんなクサいセリフ、サラっと言うとか、寒いよ――」
涙で掠れて最後まで言えなかった。
きっと、これから俺は何度も俺なんか――とか、俺よりも――なんて奴に言うのだろう。それに、いつまで奴が「お前がいい」と言ってくれるかはわからない。いつかその日が来るまで、存分に甘えればいいじゃないかと天使だか、悪夢だか、わからない声が囁く。いや、クリスマスなんだし、ここは天使の声としておこう。
いつの間にか、俺は奴に抱きしめられていた。
「ダメなヤツほど可愛いって言うじゃねえか。だから、いつまでも俺のダメ人間でいてくれ」
耳元でこんな事を言われて、なんか違くね?とも思ったけど、言わないでおく。
代わりに
「クッソ!すげえ好きだ。クソ!馬鹿!!」
と言ってやった。しゃくり上げながらだから、ちっとも格好はつかなかったけど……
そして奴は、相変わらず、なんでもお見通しですと言った感じのあの笑顔を浮かべている。
本当にムカつく奴だよ。
HAPPY END
ともだちにシェアしよう!