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幽霊の日
「今日は幽霊の日なのだって」
「噫、四谷怪談だろ?」
唐突に何を云い出すのかと思えば、太宰治は窓へと視線を向け横濱の夜景を見て居た。初めは不思議そうに其の背中へ視線を送る中原中也だったが、消え入りそうな背中に脱ぎ掛けの外套を放り、太宰が腰を下ろす寝台へ身を乗り上げた。
「突然如何した?」
柔らかく弾力の有る寝台の上を四つ脚を着いて慎重になり乍ら中也が近付いても太宰の顔は窓の外を向いて居た。
何か怒っているのかと気を揉む中也であったが、其の太宰の横顔に光る一筋を視認すると咄嗟に背後から片腕で抱き寄せる。
「……中也は、幽霊でも逢いたい人は居ない?」
抱き寄せた反対の手で太宰の目許を覆い隠し、先程よりも強く自分の方へと寄せた。視覚を奪う其の手に対し、特に抵抗する素振りを見せない儘太宰は細く息を吐く。
――我が儘な男で済まねェな。
「悪ィが俺には居ねェな」
覆う手で頭部を抑え背後から太宰の顔を覗き込むようにして唇を重ねる。太宰の唇は僅かに塩の味がした。
唇の間を舌先でなぞってから目許に置いた手を下ろすと視線が交差する。
「俺の逢いたい奴は今此の腕の中に居るモンでな」
「……御免」
中也の柔らかい視線に太宰の表情は歪み、腕の中で身を返すと中也の肩に額を乗せる。中也は宥める様に太宰の背中を撫でこめかみにそっと唇を当てる。
「善いぜ別に、怒って無ェし」
「中也ぁ……」
ぐりぐりと頭を押し付けると、冗談めかして中也は背中から寝台に倒れ込む。中也を押し潰さないよう太宰は寝台に腕を付くが、中也はそんな太宰の顔を見上げ両手を伸ばして太宰の顔を包み込む。
――漸く、俺の方を見た。
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