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第1話 プリセプター

「えっ……俺が新人の教育係、ですか?」  三澄光(みすみひかる)は、はじめ自分の聞き間違いかと思い、いまいちど師長に確認した。 何故なら今は九月もなかばで、新人が配属されるのはいつだって四月だ。   「ええ、五階病棟に大谷君っているでしょう?今年入ったばかりの、あの背が高い子。色々あって来週からうちの病棟に来ることになったから、是非あなたに彼のプリセプターになってもらいたいの」  光は四月の頭に行われた職員朝礼で、前に並ばされた新人看護師のうちひとりだけやたらと背が高くてハキハキと自己紹介をしていた男性のことを思い出した。  食堂などでたまに見かけることはあったが、直接会話をしたことはない。 「色々って……何かやらかしたんですか?」 「そういうわけじゃないんだけど……ちょっとね」  師長は、これ以上話さないとばかりにニッコリと笑った。 「でも俺に指導役が務まるかどうか……他に適任者がいるんじゃないですか?」 「三澄君が年齢も近いし、男同士の方が向こうも打ち解けやすいでしょ? それに貴方、去年ウチに来たからまだプリセプターシップの経験がないわよね」 「っ……、はい」  プリセプターシップとは、プリセプター(指導者)がプリセプティー(新人)を一定期間マンツーマンで指導する制度だ。  光の勤めるT病院ではだいたい三年目の看護師がプリセプターとなり、つきっきりで新人指導を行う。  しかし光は三年目で今の病棟を移動してきたため、同期の中ではひとりだけプリセプティーを持ったことがなかった。  別にそのことに関して引け目を感じているわけでもなく、無いなら無いでラッキーだとすら思っていたのだが、まさかこんな時期に頼まれるとは思っていなかった。 「新人っていっても、入ってもう半年は経ってるんだし、もちろん私達も手助けするから。どうしても三澄君にやって欲しいのよ、ね、お願い!」 「……分かりました……」  年こそ五十代後半だが、若々しく声も仕草もいちいち可愛い師長にここまで熱心に頼みこまれては、どうにも断ることのできない光だった。 (プリセプターか……、俺なんかに務まるんだろうか)  光は夜勤業務ができない。  嫌だからとか、知識や技術が及ばず禁止されているとか、そういった理由ではなく『やりたくてもできない』のだ。それには、ある夜の出来事が起因している。 *  今から一年と半年前、光が三階病棟で夜勤をしていたとき、あるひとりの患者が突然急変し亡くなった。日勤の病態からその患者が急変する可能性は低かったため、心電図モニター等は付けられていなかった。  間が悪かったというか、その患者が急変したのは光がラウンドを行った直後で、一緒に夜勤をしていた別のスタッフがその患者が亡くなっていることに気付いたのは、その次の二時間後のラウンド中だった。  ハリーコール(※)で医者を呼び、必死でCPR(※)を施しても、その患者が蘇生することはなかった。  患者が既に高齢なこともあって、患者の家族は『もう寿命だったんです、父が大変お世話になりました』と病院側をまったく責めなかった。  それでもその出来事は二年目の看護師だった光にとって深い傷となり――どうしてあのとき気付けなかったんだ、という――次の夜勤中に過呼吸を起こしてしまった。  それからしばらくは日勤のみで働いていたが、夜勤ができないことで光は自分を責め、心身を病んだ。それで、今の二階病棟に移動になったのだ。  二階病棟の夜勤体制は看護師が一人と介護士が二人で、光はまだ夜勤に入ったことがない。  また過呼吸を起こすかどうかは分からないが、師長は光の傷が癒えるまで無理強いはせず、待ってくれている。  でも、そろそろ。  もう、そろそろ大丈夫かもしれない――。  そう思っていた矢先に舞い込んできた話だった。 (プリセプティーか……同期の話では、手がかかるけど可愛いって言ってたな)  指導役を頼まれたときは、夜勤もろくにできない自分が誰かに教えるなんて……と思ったけれど。  とりあえず、今の自分に出来ることを教えていけばいいのだろう。夜勤ができなくたって、一年目の看護師よりも四年目の自分の方が仕事はできるに決まっている。 それに、病棟に男性看護師が増えるのは単純に嬉しかった。男性の介護士は何人かいるが、男性の看護師は自分ひとりだけなのだ。 わりと心優しいスタッフが多いので、人間関係で悩むのは今のところないけども。 (……うん、なんか楽しみになってきた) ナースステーションで新人指導マニュアルに目を通しながら、光はひっそりと微笑んだ。 ※ハリーコール…緊急院内呼び出し放送 ※CPR…心肺蘇生法(心臓マッサージ等)

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