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lock on You!

「あ、佐々木さん、髪切った?」 今日も絶好調に軽薄な声音が聞こえる。いわゆる《チャラチャラ》した声音が自分より3人左の差し向かいから聞こえると嫌でも聴覚が反応して隼人の鋭い目線だけがそちらを向く。上着を脱ぎ、リラックスした様子で本日の定食に箸を伸ばしながら通りすがりの女子社員に声を掛ける男。大きく作られた食堂の窓から入る日差しに、濃い茶色の適度に長い髪が明るい茶色に変わり、軽薄さを増して見せていた。普段タレ目がちの目が笑うと本当にタレ目になる。それでも男の顔は同じ課の中での人気を取る位には整っていた。 「やだ柏原さん。わかりますぅ?」 「わかるわかるー。いいね。ショート」 20代後半の柏原と呼ばれる男の前でそれより若い女子社員はくねくねとシナを作っている。隼人の視線は女子社員ではなく、それを見上げる柏原から外れない。女子社員は知るまい。 (そいつ彼氏いるから) 俺だけど。 (あとついでにドMだから) ネコは俺だけど。 「やだ柏原さん髪短い方が好きですかぁ?」 「好きだねぇ」 そりゃ性欲の対象が男だからだろうが。隼人は仏頂面のまま自分の短髪をかきあげる。いかん。飯の最中に髪を触ってしまった。 柏原炯はモテるのだ。女子に。あんな見た目も声も性格もチャラチャラした男がモテる理由は気配りという名の八方美人だからに違いない。隼人はそう思っている。八方美人故のあの指摘と褒めっぷり。まだモテたいのかあいつは。 「高坂さん、何か怒ってます...?」 差し向かいの部下に声を掛けられ我に返る。いやそんな事無いよ、とにこりと笑って定食の漬物を口に運ぶ隼人も密かにモテている事は本人は知らない。多少愛想や口数が少なくとも、仕事が出来て見た目の良い三十代半ばはモテると相場が決まっている。そっちの気が無い若い部下も、その向けられた笑みにほわりと見とれている。 「ていうか高坂さん、虫刺されですか?」 「...何?」 「ここ、首のところ。赤くなってます」 部下である青年は自分のシャツの襟元から覗く首筋を指差して見せる。隼人は反射的に自分の同じ箇所を指で触れた。 (あいつ...!) 今日は月曜日。 昨日は貴重な休日を半日以上ベッドの上で過ごした。 その最中、炯は何度自分の無骨な首筋に口付けたかわからない。 隼人のきつい視線が再び炯に向く。首筋に指を添えたまま自分を見た隼人に気付いた炯は、常日頃秘密裏に視線を交わす時と同じように、嬉しげに笑ってみせた。 ーーーーー (くっそ。どうすんだよ。まだ1時前だぞ) 昼飯を早々に切り上げてフロアの隅のトイレに駆け込んだ。ここは使用率が低い。オフィスから離れているので不便なのだ。昼休みはちょうど後30分。 鏡を睨み、軽く顎を上げる隼人の首筋にはくっきりと赤い キスマークが刻まれている。犯人は1人しかいない。複数いたら困る。絆創膏でも貼るか。そう思案した先だった。 「あ、やっぱりいましたか」 社内では部下と上司。そうきつく言ってあるから、室内にはいってきた炯は隼人の姿にのほほんと笑いながら敬語を使う。 「やっぱりじゃねぇよこのクソガキ」 隼人の沸点は意外と低い。それを知っているのは社内では炯くらいである。緩めたネクタイの根本に伸びた手を避ける事なく炯は隼人と向き合う形になる。見下ろすのは、僅かに炯。 「痕付けんなって言ってんだろうが」 「あ、その目。堪んない。隼人さん」 「てめぇ怒られに来たんだろこのドMが」 正解。 さっき食堂での視線の正体に気付いた隼人は怒られに、というよりこの殺気立った目に見詰められる為にここに来たのだ。何故ならドMだから。 「...だってほら、隼人さんモテますから」 「......誤魔化すな」 「誤魔化してないですって。さっきさ、あの子に笑いかけてたでしょ」 ごく近い距離で炯に言われても、隼人には心当たりがわからない。無自覚なその状況を思い出すべく思考を巡らせ停止した隼人の唇に、炯のそれが触れた。 「お前、」 「変な虫付いたら嫌なんですよね。ほら、そこ空いてますよ」 自分の掴まれたタイの上から隼人の手を握り、炯はそのままずるずると個室になだれ込む。逃げられる前に後ろ手に鍵を掛け、なにか言われる前に唇を塞いだ。 「っ...、」 唇を深く食み、ここでも逃げ場を無くす。食い縛ろうとする歯列に舌を潜らせ、上顎を撫でるとネクタイを掴んだ手の力が少し緩んだ。 「ふ...、や...」 膝頭で長い両脚を割り、明確に中心を押し上げる。そうしながらも先に掴んだのはそっちだとばかりに握った手は離さずに咥内で舌先を絡め、舐る。水音だけが個室の中に満ち、鼓膜から腰に這う緩い快楽が隼人の身体を弛緩させていく。 それでも逃げようとする細腰を抱き寄せ、明確な意図を持って膝頭で隼人の欲を押し込むと、感触が変わる様が感じられて炯の目元が微かに緩んだ。 一度唇を離しては呼吸をする間も与えずにまた奪い、舌を絡め取り唾液を混ぜ合わせる。咥内に流れ込み嚥下するしか無い液体がどちらの物かかんがえる事も出来なくなる程思考が霞み始めた頃、ようやく隼人の唇は解放された。 「お前...、ふざけんな」 睨み上げながらの悪態には効果が無い。声も瞳も炯が充分に濡らしたのだ。睨めつける視線にぞくぞくと愉悦に浸り、それを隠しもしない表情で隼人の手を握り締めて囁く。 「...ちゅーだけで勃っちゃいました?」 「ちゅーだけじゃねぇだろ。どうすんだこれ」 ジャケットの下、スラックスの中、隼人の熱は目で見てわかる程に勃起している。本当はキスだけで勃起させたかったが、そこまでの時間と環境の余裕は無い。戯れに触れたままの膝頭をぐり、と押し付けると逃れようとした隼人はそのままふらりと蓋が閉じたままの便座に座り込んでしまった。 「どうします?...ねぇ、隼人さん」 よく見ると炯の中心も隼人程ではないが勃ち上がっている。こいつこそどうするつもりだと思うが隼人にはそこを突っ込む余裕は無い。浅い呼吸を逃しながら早くしろとばかりに炯を睨む。 「言ってくださいよ。いつもの。今、ここで」 ーーーこいつの性癖は。 「馬鹿じゃねぇの」 「知ってる」 「社内では敬語だ馬鹿」 こいつの今の性癖は。 たっぷりと、恋人好みの、彼にしか見せた事の無い下卑た笑みを浮かべた。 「...しゃぶれよ。俺の」 俺に虐げられる事を至高としているのだ。 こいつが望む事を最も知っているのは、自分だ。 堪らない。そんな目を自分に向けてからトイレットペーパーを引き摺り出してからしゃがみ込む。隼人のスラックスの前を丁寧な手付きで開け、今にも先走りが滲み出しそうな性器を取り出すなり鈴口に唇を寄せた。 「っ...!」 条件反射で口元を掌で覆う隼人を上目で見上げながら炯は空いた手で自分の下肢をまさぐる。何をしているのかと思えば、半分勃起した性器を取り出しゆるゆると扱き出した。その為のトイレットペーパーだったか。お前はそれで良いのか。 「は...、」 鬼頭から裏筋をねっとりと舐め濡らし、先端を口に含んで舌を絡める。徐々に高くなる粘着質な水音と、隼人の吐息が充満する室内で、ともすれば互いにここが会社のトイレである事を忘れそうである。 股の間に埋まる頭部に隼人の指が乗り、力がかかる。抑え込まれて興奮する質の炯の下肢から立つ音にも水気が混ざり始めた。 竿を握る掌に脈動が伝わる。固く張り詰め絶え間なく零す先走りを嚥下しながら炯は隼人の顔から視線を外さない。強く音を立てて鬼頭を吸い上げた瞬間ーーートイレの扉が開く音が重なった。 「...!」 掌で隠した下、歯を食い縛ると同時に、口淫も止まった。トイレに入ってきた足音は1人分。このトイレを使う社員なんているのか。他が混んでいたのか。もうすぐ、昼休みが終わるのかもしれない。 入室者が1人だろうが、当然炯を見下ろす隼人の視線は「何かしたら殺す」と雄弁に語る。 その目をじっと見上げた後、炯は再び鈴口に唇を寄せ、触れるだけの口付けを落とした。 「っ、」 息を詰めて見下ろす目が半泣きになっている。炯が音を立てぬように幾度も落とす口付けは隼人にはいつまた動きが変えられるか気が気でない。その上、腹立たしい事に焦らされているようでもどかしくて仕方ない。便座の上で腰を身じろぎ、ぐしゃ、と炯の濃い茶色の髪を掻き混ぜた。気配すら必死に殺す様にたたずむ自分と同化させるように。 小用を足し、洗面台で手を洗い、正体のわからない社員は再びドアの音を鳴らす。足音が遠ざかるのを待たず、先端を咥え込んだ唇がそのまま強く吸い上げた。ひゅ、と隼人の呼吸が落ちる。 「ぁ、ッ...!!」 咥内に満ちる飛沫を感じると共に、その声と見上げる表情、そして自分の髪を一層強く引く力を享受しながら炯は自分の雄を乱暴な程に扱き上げ、手の中にある紙で吐き出す白濁を受け止める。 狭くて仕方ない室内には隼人の荒い息と炯が喉を上下させて体液を飲み下す音が満ちる。ひく、と何度か腰を痙攣させて白濁を出し切った隼人は余韻を伝える様にゆっくりと掴んだ髪から手を離し、そのまま強かに両脚の間に陣取る後頭部を平手で叩いた。 「痛っ...!」 「っ...、顔洗ってこい馬鹿」 叩かれて嬉しそうにすんな馬鹿。 悪態吐きながら下肢の始末をすると隼人はとつとと個室の鍵を開け、しゃがんだままの炯を邪魔くさそうに避けて個室から出ていく。先に洗面台に向かい、青いラインの入った蛇口を捻ると自分の相貌が上気している事の確認もせずにざばざばと顔を洗った。 「...大体お前が先に」 「え?なんです?」 ぐっしょり濡らした顔、顎先から水滴を滴らせながらポケットからハンカチを取り出しながら隣に並んだ炯も見ずに呟く。炯も隼人程ではないが幾分か熱を持った顔を洗い、きょとりと隣の男を見遣る。 「...髪がどうのと、......チャラチャラしやがって」 顔を拭きながらなんの話をしているのだろうと数回目を瞬かせた後、出てきた単語にヒントを得る様に隼人の短い黒髪を眺めた後、つい数十分前の食堂での会話を思い出した炯は、思い切り破顔した。 「妬いた?妬いた?隼人さん。さっきの妬いた?」 「...敬語だって言ってんだろクソガキ。早くどっかから絆創膏持って来い」 じゃれ付く犬を躾けるように頭部を押しやりながら指令を寄越す。嬉しげに隼人を追い越した炯は、先にトイレから出ると小走りに廊下を駆け出した。 隼人がドアを潜ると同時に、始業開始5分前を告げるチャイムが響いた。 (了)

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