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後日談-ヒガンバナと式と隹-

曇り空の下、小高い丘の頂上まで咲き渡るヒガンバナ。 「赤い絨毯を敷いたみたいですね」 週末、知る人ぞ知る穴場スポットへ隹に連れてきてもらった式は、鮮やかな赤に染まる景色に目を見張らせた。 「血塗れの惨殺死体を放置してもすぐには気づかれなさそうだ」 「……また、そういう物騒なことを言う」 サングラスをしていない、ブルゾンを羽織る隹の言葉に式は肩を竦めてみせた。 辺鄙な郊外にある隠れた名所。 緩やかな斜面には赤い花々が群生しており、その上をアゲハチョウが風に乗ってふわふわと舞っている。 広々とした園に来園者は数えられる程度で、ヒガンバナの小道を散歩したり写真を撮ったり、喧騒から離れてゆったりと流れる時間を思い思いに楽しんでいるようだった。 「快晴よりもこれくらいの天気が丁度いい」 直射日光をやや苦手とする青水晶の虹彩を持つ隹は言う。 「桜の木の下には死体が埋まってるそうだが、ヒガンバナの下には何が埋まっていると思う?」 「虫の死骸とか」 「そうだな。球根には毒があるし、葉の部分を食っても食中毒を起こす危険がある。害獣避けで田んぼの畔なんかに植えていたから、掘り起こせば毒にやられたやつがザックザク出てくるかもな」 「この下は害獣の死骸だらけですね」 ジップアップのフードパーカーを腕捲りした式の返事に隹は短く笑った。 「せっかくだし一周しよう。ヒガンバナに見惚れ過ぎて迷子になるなよ」 群がるヒガンバナの間に連なる小道を隹と並んで歩く。 「蝶がよく飛んでますね」 「アゲハは色覚が優れていて、赤い花を好んで選ぶ」 「ふぅん……」 丁度、視界を過ぎったクロアゲハがヒガンバナにとまるところを目の当たりにし、式は首を傾げる。 「蝶はヒガンバナの蜜を吸っても大丈夫なんですか?」 「あんたも吸ってみたらどうだ」 「死んだら祟ってあげましょうか」 「式にならいくらでも祟られたい」 少し冷たい風が吹き抜けていった。 カットをさぼって伸びてきた髪を押さえ、式は、隣を歩く隹を遠慮がちに見上げる。 (毒々しいくらいの赤が似合うな、この人は) やはりおびただしい数のヒガンバナと隹の組み合わせは、なかなか中てられるものがあった。 「シビトバナなんて別名があるくらいだからな。死を連想させる不吉で謎めいた花。だからこそ一部の生者は魅入られる」 澄んだ空気を震わせる芯の通った声。 冴え冴えとした鋭い眼差しが薄暗い昼下がりを躊躇なく射貫いていた。 (何だか酔いそうだ) 毒気にも近い色気を漂わせる組み合わせにクラリときた式は隹から視線を逸らした。 否応なしに胸の奥が疼き出す。 いや、どちらかと言えば腹の底か。 (どうかしてる) ヒガンバナの咲き乱れる絶景スポットを時間をかけて探索し、専用駐車場に停めてある車へ戻った。 「もう三時ですか。着いたのは二時だったから、一時間は回って……――」 式は途中で言葉を切る。 いきなり隹にキスされて沈黙を無理強いされた。 助手席のシートベルトを早々と締めていた式の方へ身を乗り出し、その首根っこを掴んで、隹はキスを続けた。 車内とはいえ、いつ誰の目に触れるかもわからない白昼にしては過激な口づけだった。 「ッ……!」 視界の隅に人が映り込んだ瞬間、式は我に返る。 すぐそばに迫っていた隹の胸を全力で突っ返した。 「……なんだ、びっくりするだろ」 「それはこっちの……ッ……まさか、こんなところでするなんて……」 整備されていない駐車場へ人が来たのに隹も気づいたようだが、ケロリとした様子で彼は続けた。 「車でキスしたことあるだろ」 「こんな真昼間は初めてです……」 「本当はヒガンバナの中でしたかった」 「は?」 「あんたが物欲しそうな顔して俺を見てきたから」 「はい?」 正面に向き直った隹は頬を上気させている式を横目で見、声を立てずに笑う。 「人が来るまで拒まなかったな、式」 式は潤んでいた切れ長な目を見開かせた。 助手席で白昼のキスに甘んじていた自分自身に羞恥心と自己嫌悪を一気に募らせた。 (……最悪だ……) 滑らかなハンドル捌きで運転する隹からできる限り顔を背け、快速に流れゆく田園風景に視線を逃がす。 (年上の隹にいいように転がされているのは事実だ) それに甘えている自分もどうかと式は思う。 幼少期の頃から三歳違いの雛未の面倒を見、母親を喪った後、十代半ばまでは多忙な父の代わりに献身的に家族を支えてきた。 逃げ場がほしかった。 誰かに甘えたかった。 結果、優しかった「先生」との秘密の関係にのめり込んだ。 (これじゃあ何も変わらない) ペットボトルのミネラルウォーターを一口、込み上げてくる苦々しさと共に式は飲み込んだ。 「……次は断崖絶壁のカフェに連れていってくれるんでしたよね。バイト代も出たし、そこは俺が払います」 対等な関係として肩を並べるのはまだ到底無理そうだが、せめて少しは背伸びしたく、式は言い切ったのだが。 「いや。予定変更だ」 隹にサラリと断言されて、自分に選択肢はないのかと頬を膨らませた。

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