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第1話
あなたの夜空のような黒く深い瞳が僕だけを映してくれたら、2人のための終わらない物語が始まるかもしれない。そう夢想しては甘い気持ちになり、それが現実にはありえないということを思い出しては、ひどく胸が痛むのです。これが叶わぬ夢だというのなら、どうか一思いに諦めさせてはくれないでしょうか。そんな慈悲さえも与えられないのならばいっそ、この身を砕き夜の星の輝きとなって、天高くからあなたを永遠に見下ろしていたいと切に願います――
クロウは、理解の追い付かない寝起きの頭に先んじて、目だけでその手紙の文面を追っていた。しかし、頭が目に追いつこうとするよりも前に、隣から伸びてきた手にその手紙を奪われてしまう。
「まーた、王子かよ。懲りないねあいつも」
朝日照らすベンチの空きスペースに遠慮なく腰掛け手紙を奪ったのは、クロウの友人のぺリルだった。緩慢な動作で隣のぺリルに目を向けたクロウは、日光を浴びてキラキラと輝く黄金色の長髪にトーストのくずが付いているのを見つけ、指摘した。クロウが寮の部屋を出る頃にはまだ夢の中だったぺリルが、登校時間ギリギリに起きて、それでも大慌てで朝食を食べてきただろう様子は、想像に難くない。
パンくずを払いのけてから改めて手紙に目を通したぺリルは、2枚の便箋をまとめ直してから、投げやりにクロウに返してきた。
「諦めさせてくれって、どうしたって諦めないのはあっちの方だろ」
やれやれ、と当事者でもないのに呆れたように肩をすくめるぺリルを他所に、クロウは表情を変えずに、朝から読むには濃厚すぎるラブレターの文面を見直した。この、歯の浮くようなロマンチックな告白も、はじめの内は困惑していたが、今となっては表情を変えずに読むことができた。そもそもクロウは、感情を表情にはっきりと出す方ではないが。
こんな手紙を、隣に座っている派手な顔立ちでプレイボーイな友人がもらうならまだしも、決して目立つ方ではなく顔も平凡な部類に入る自分がもらっていることは、未だに腑に落ちてはいなかった。さらに、この手紙の送り主は数か月前に同じ学校に入学してきたばかりの新入生で、自分と同じ男なのだから、なおのこと不思議だ。
オーラ半端ないやつが入ってきた。どこの貴族の子供?てかめっちゃ可愛くない?!……などなど、入学してすぐに生徒たちの話題をさらった「王子」の求愛を受けるようになってから、クロウは学園内で少しばかり有名人になっていた。今も、すれちがう女子生徒の盗み見るような視線を感じ、すれ違った後の背後からは、ひそひそと声をひそめて何かを囁きあっているのが聞こえてきた。こんなことでクロウが傷ついたり動揺することはないが、やはり居心地は悪い。
そんな居心地の悪さを察したのかそうでないのか、隣を歩くぺリルが大きな声でクロウに話しかけてきた。
「朝の授業、ジルの魔法歴史学だよ。俺先週の課題まだ出してないんだけど。絶対やばいよな」
「やばいって分かってるなら、出したらいいだろ」
正論を返しても、ぺリルはウハハ、と笑って誤魔化すだけだったが、その笑い声につられて、クロウも微笑んだ。たとえ怒られても、ぺリルの自業自得だ。この時は、まさかそのせいで自分までも巻き添えをくうとは思っていなかったから、微笑んでいられたのだった。
「おいぺリル。お前だけ、先週の課題提出してないぞ。ちょっとこっちこい。クロウも一緒に」
授業終わり、チャイムがなり終わると同時に声を掛けられた二人は、今から褒められるとは到底思えない渋い顔をしている教師の前に、恐る恐る並び立った。
「なんで俺も一緒に呼ばれたんですか」
クロウが、自分はちゃんと課題を提出しているはず、という抗議の意味を込めて尋ねると、魔法歴史学の担当であるジルは、眼鏡越しにぺリルをにらんでいた目をそのままギロリとクロウに向けた。
「お前は何も問題ない。ただ、ミスを補い合うのが友だちってもんだろ。ぺリルが課題をきちんとやり遂げるのを、しっかり応援してやれ」
つまりは、信用のまったくない友人が真面目に課題をやるように見張っておけということか。
クロウは内心ため息をこぼしながらも、なるほど、と適当な相槌を打った。
長きに渡る伝統という看板の裏で、設備の老朽化は深刻だ。それでも、図書館だけは比較的改装が行われて整備が進んでいるのは、知の殿堂としての誇りだろうか。放課後、課題を終わらせるために図書館を訪れた二人は、声を出しても問題のない、区切られた自習スペースに腰を据えた。
「課題の内容は、前々回までの授業の内容をまとめたレポートだぞ」
クロウの言葉に、ぺリルはすかさず悲鳴を上げた。
「前々回って!思い出せるわけねえじゃん!ノートはあるけど、自分のノートを自分で理解できる自信ない!」
「妙なとこだけ自信あるな……」
早々に自主的にやらせることを諦めたクロウは、午前中に使っていたノートを鞄から取り出し、該当するページを探した。
クロウたちが通うのは、この国唯一の全寮制魔法学校だ。とはいえ、実践的に魔法を教えていたのは過去の話で、今では他の一般的な高等教育機関と同様の扱いであり、授業内容も国語、数学といった通常科目が主となっている。特殊な授業内容として、魔法歴史学や魔法理論学などはあるが、すべて座学によるもので、本当の「魔法の使い方」を学ぶ機会はほぼないといっていい。
「前々回は、:ジュエリア(:この国)で魔法が使われなくなり出した頃の話だ」
クロウは、自分のノートをパラパラとめくりながら、レポートの対象となる部分の授業内容について説明を始めた。
「はじめて魔法が発見された時から、魔法は国の発展に欠かせないものになった。そしてその結果として、次第に魔法使いが国の政治で力を持つようになった。そのことをよく思わなかった元国王一派は、魔法使いを政治はもちろん社会からも締め出そうとしたんだ」
「あー、ちょっと思い出してきた。それでできたのが、あの嫌な法律だよな」
ぺリルの相槌に、クロウは黙って頷いた。
魔法許可法。許可された地区以外での魔法の使用、許可されていない人間が他人に魔法を指導することの両方を禁じる法律だ。
「この別名が『魔法禁止法』。現実的に許可された地区とか許可された人っていうのがほとんどいないからな。結果として、かつては人口の10%程度はいたとされる魔法使いの数は減る一方」
「んで、この学校も衰退する一方ってことか」
あーもーやんなっちゃうぜ、と、明るくはない歴史の内容が嫌なのか、今やっている課題が嫌なのか、どちらか定かではないうめき声をあげながら机に突っ伏すぺリルを、クロウがノートを丸めたものでつつく。
「もういいから、さっさと紙に書け……」
「こんにちは、ご機嫌いかがですか」
二人の会話を遮り、朗らかな挨拶と共に自習スペースを覗き込んできたのは、栗色の髪の小柄な男子生徒だった。中性的な印象の端正な顔に、穏やかな微笑みを浮かべている。その顔を見て、ぺリルは、げ、と苦いものを口にしてしまったような顔をした。
「おいルビー、なんでおれらがここにいるって分かったんだよ?ストーカーか!?」
「お言葉ですが、ぺリル先輩の大変に賑やかな声は、図書館に入った瞬間から聞こえてましたよ」
まあ、ストーカーしていないとは言えませんけど。と付け足された言葉に、ぺリルは無言で体を震わせていた。
ぺリルとの会話は早々に切り上げ、ルビーは呆けた顔で自分を見ているクロウの方に視線を向けた。
「クロウさん、お願いですから、狭い空間に男と2人きりになるのやめてください。僕嫉妬でおかしくなっちゃいそうです」
「いや、それを言うなら俺ら毎日寮の同じ部屋で寝泊まりしてるからな!」
ぺリルの真っ当なツッコミも、ルビーの耳には届いていない、というよりも聞こえた上で無視されていた。
「てかさ、クロは断ってんだからいい加減お前も諦めろよな」
「あれ?僕、別に断られてませんよ?」
ルビーの返事に、ぺリルは勢いよくクロウを振り返った。その視線に、クロウは言葉に詰まって、思わず首の後ろをかきながら口元にわずかに苦笑いを浮かべた。
「まあ、はっきりとは……」
「なんでだよ!?ストーカーだぞ!?」
はっきりと断ってはいないが、受け入れるそぶりも特にしてはいない。手紙に返事を返したことはないし、好意の言葉を口にしたこともない。それはある意味で拒否ととれるのではないかと思ったが、この一月半ほどの間、ルビーが求愛表現を止めることはなかった。
「……一目惚れとか、されたことないから」
そもそも、人に恋愛感情を直接的にぶつけられること自体がクロウにとっては初めてだった。どうしたら良いものか分からず困っていると、そこへ畳みかけるようにルビーからの求愛がやってくる。正直、もう放っておいても同じかと感じてしまう。それとは別に、クロウには思うところがあったのだが、それを口に出すよりも早く、ぺリルが大きい声で質問を畳みかけてきた。
「まずもって、相手が男であることに問題はないのかよ!」
「僕、その辺の女よりかわいいと思いますよ」
「お前は黙ってろ!」
朝読んでいた手紙と同じで、さして目新しさのない既視感のある内容の会話だったが、ぺリルがレポートから逃避するきっかけとしては十分だったようだ。温度差はかなりあれど、口悪く応酬する二人に何も言えなくなったクロウは、背中を椅子の背もたれに預けて、居眠りをするために両目を閉じた。
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