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事故にはできない

 こういう状況でシャワーは……浴びない方がいいのかもしれない。  熱い湯を頭から浴びてどんどん酔いが醒めていくと、ちょっとずつ昨夜の事が思い出されたのだ。  戸口でキスをして、それが案外気持ちよかったとか。課長の濡れた瞳が綺麗で、思わず見とれてしまったとか。 『沖野、すまない』  泣きそうな顔で言った課長を見て、胸がズキリと痛んだ気がして、俺もあの人を抱きしめてしまったんだとか。  完全に、俺が襲っていた……  具体的な事はやっぱり記憶にない。けれど涙目で乱れている課長の顔だけはやけに思い出せる。凄く、エロかった。  そして思い出した俺の愚息は忠実に反応した。朝だってのもあって、かなり硬い。 「まじかよ……畜生!」  誰もいないし、何よりここラブホだし! 俺は開き直って愚息を握り混み、少しせっかちに扱き上げる。その中で思い浮かぶのは思い出したばかりの課長の乱れた姿だ。  色っぽい。白い肌がうっすら桜色に染まって、しっとりと汗をかいた肌は綺麗で。そこに跡を残すと綺麗だったから、沢山つけてしまった。 『沖野ぉ』  掠れた甘え声が名前を呼んで、手を伸ばしてくる。抱きしめたその下でエロい声で喘ぐのに煽られた。 「くっ……そ! あぁ、もう!」  一週間前に見たおかずの|娘《こ》なんて一切思い出さない。お気に入りだったはずなのに。今は直近の衝撃が大きすぎて生々しい。  待てよ? 俺、記憶ない間に童貞捨てた事になるのか!!  衝撃的な事を思った瞬間、俺は課長だけでイッてしまった。その後はひたすら、罪悪感に脱力した。  適当に体を洗ってバスローブを着て出て行くと、課長はさっきと同じようにベッドに腰掛けている。その姿はもう、会社の顔だ。髪も洗いざらしでセットされていないし、格好はバスローブのままなのに、銀縁の眼鏡をかけた顔は見慣れたものだった。 「随分時間がかかったな」 「あぁ、えっと……。ちょっと、頭の整理を」  歯切れ悪く言ったら、珍しく「そうか」としか課長は言わなかった。普段なら「はっきり言え」と言われるのに。  なんとなく居場所がなくてソファーを見たが、そうすると視線も合わない。覚悟を決めて少し距離を取った隣に座ると、課長の方が驚いた顔をした。 「あの、昨日の事なんですけれど」 「あぁ」 「……すいません! 俺、課長になんかとんでもない事をしてしまって!」 「え?」  隠したり言い訳したりするよりも正直に謝ってしまったほうがいい。俺はガバリと土下座の勢いで頭を下げた。  けれど返ってきたのは、気の抜けた声。チラリと見上げると、厳しい課長の表情が崩れて目を丸くしている。 「沖野、お前……覚えてないのか?」 「え? いえ、多少は覚えてますよ。俺が課長を襲ったんですよね?」 「え?」  双方共に、僅かな沈黙。どうやらお互いの見解は違うようだった。  ただ、互いに酒が入っていての事だから、どんなきっかけでそうなったかなんてもう覚えていないのだ。 「あの、でも辛い思いをしたのは課長なんで、俺が悪いですよね?」 「辛いと言えば、そうだが……。そもそも、お前に声を掛けたのは俺じゃなかったか?」 「でも俺も拒まなかったし。だからその、俺が悪いんだと」  酔ってお持ち帰りした子に、「昨日はお互い酒が入ってたから」を言い訳にするのは男としてクズだと思っている。いや、実際はそんな美味しい経験一度もないけれど。  課長は腕を組んで何かを考えている。それにしても、足長いな。モデルかと最初思ったもんな。 「分かった。このまま話してもおそらく平行線のままだ。だからこれは互いに酔っていての事故ということにしないか?」 「え……」  俺は、もやっとした。いや、多分これが一番いい解決方法なんだろうけれど、俺はどこか納得できなかった。「事故」の二文字でうやむやにしてしまっていいのだろうかと。 「沖野?」 「事故……かもしれないけれど。でも、それで何もなかった事にするのはなんか……」 「ホテル代は俺が出すから」 「いや、そういうことじゃなくて!」  金で示談とか、そういうことじゃない。そもそも示談にされるような事はないんだ。 「俺、ちゃんと責任」 「男の俺にどう責任を取るんだ?」 「それ、は……」  確かにそうだ。付き合おうとか、そういう方向か? 俺が、課長と?  頭の先から足の先まで見回して、「いやいやいや!」と首を振る。どうしたって俺がむなしい。この人インテリ系のイケメンだろ。その隣にうだつの上がらない明らかな平社員な俺って似合わなすぎる。  課長は溜息をついて、困った顔をしてしまった。 「男同士だ、事故でいい。後腐れもないだろ。この事に今後触れない。それだけでいいんだ」 「でも……」 「沖野はどうしたいんだ?」 「俺は……」  なんとなく、昨日の弱いこの人を放っておけない気がしているんだ。 「たまに、メシ行って」 「ん?」 「また、飲みにも行きたいなって思って」 「俺と?」 「意外と普通なんだなって思ったら親近感も湧いたし。だからもう少し……そうだ、友達! 一人メシが寂しい時に一緒に食べに行ったりできるような相手になれたらなって思って!」  そうだ、そういう感覚だ!  俺は名案だと思って顔を上げた。その前で課長は、凄く恥ずかしそうに耳まで赤くなって、口元を手で隠していた。  まずい、ちょっとドキッとした。 「それは……俺としては嬉しい誘いだが」  あっ、嬉しいんだ。 「お前はいいのか? 俺みたいなのと、食事をしたり飲みに行ったり」 「え? なんでっすか? むしろ、親しい人とは普通ですよ。岡野とかともメシ食いに行きますし」  首を傾げた俺に、課長はグッと言葉に詰まって、次に溜息をついた。 「そう、だな……。そういうのも、いいかもしれないな」 「そうっすよ! 失恋なんて飲んで食べて楽しんで忘れちゃいましょうよ」 「その話、職場でするなよ」  ジロリと睨まれた目は締め日直前の鬼課長そのままで、俺は姿勢を正して何度も頷いた。  こうして俺は課長と連絡先を交換して、暇な時や気の向いた時には食事や飲みに行こうと約束をして、お互いバラバラの時間にホテルを後にしたのだった。

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