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番い

朝のHRが終わると、購買にノートを買いに席を立った。戻ってくるとクラスメイトは殆ど教室に居なかった。残っていた数名の男子生徒は体操着に着替えており、体育館シューズを片手にバタバタと教室を出てゆく。 1時限目は教室で科学の授業のはずだった。時間割に変更があったのだろう。小谷にはそれを知らせてくれる友達はいない。敢えて作ろうとしなかったのだから、仕方がない。授業まであと5分を切っていた。大急ぎで着替え、体育館シューズを片手に教室を飛び出した。 廊下を駆け抜け階段を降りようと手すりに手を掛けた時、小谷の身体に異変が起こった。大粒の汗がこめかみを伝って廊下に落ち、それを合図にぶわっと身体中から汗が噴き出した。 「はぁっ、はぁっ!」 内側からだんだん熱くなってきて、呼吸が苦しくなってくる。腸液が溢れてきて下着を濡らす。ヒートの症状だ。 ヒトの性別は男女の2種類とされているが、それがアルファ、ベータ、オメガの3つに細分化され、正確には6種類あることはあまり知られていない。そのうちの小谷は男オメガ性であり、個体差はあるものの、オメガは3ヶ月に1度発情期を迎える。発情期を迎えたオメガは体内からフェロモンを放ち、周囲の人間の性欲を刺激してしまう。この症状を、ヒートと呼ぶ。 ヒートの症状を無効化させる抑制薬を常に持ち歩いていたが、急ぐあまり教室に置き忘れてしまった。ヒートの予定日の1週間前だったから、油断した。薬を取りに引き返そうとするが、立っていることも難しくなり階段の踊り場にしゃがみ込んでしまった。 「小谷?どうした、具合悪いのか?」 意識が朦朧としていて人が近付く気配に気付けなかった。クラスメイトの新垣が下の階からこちらを見上げていた。 「来るな!こっちに来るな!!」 すぐさまこの場を離れようとするが、足に力が入らず立ち上がることができない。 「どうしたんだよ、何か様子が変…あれ?」 小谷の制止を無視して2段下まで迫った新垣が、ようやく足を止めた。 「何だ、この匂い…。あたま、おかしくなる」 目つきを変えた新垣は、まるで別人のようだった。上から見下ろされて、息が出来なくなった。 この階にあるのは自分が所属するクラスと、美術室、生徒会室、その他空き教室。幸い美術室は使われていなかった。その場で新垣に犯された。 小柄な小谷に新垣が覆い被さり、いとも簡単に体育ズボンを剥ぎ取る。抵抗しようとしても頭を冷たい廊下に押さえ付けられて身動きが取れない。獣のように荒く、熱い吐息が首筋に掛かり、身体を強張らせた。 「に、い、がき…!それだけはやめ、ア゛アッ………!!」 うなじに鋭い痛みが走り、低い唸り声を上げた。 「あ゛…はぁ、はぁ」 何度も何度も執拗に首筋を噛まれたが、声を殺して身体を震わせることしか出来なかった。声を出したら、誰か来てしまうかもしれない。助けてもらえる保証なんてない。複数人に犯されるくらいなら、こいつひとりに犯される方がマシだと思った。 番いになんか、ならない。きっと大丈夫だ。人類の大半をベータが占め、アルファやオメガは特殊な性とされている。たまたま居合わせた新垣がアルファなわけがない。 「こ、たに…」 「…え?いやあ゛あ!!」 熱っぽい声で何かを囁いたと思ったら、腰に鈍い衝撃が走る。肛門から溢れた腸液が潤滑剤となり、新垣の猛った男性器が抵抗なくするりと小谷の体内に侵入した。腹に圧迫感があって苦しいが、痛みはなかった。 「あ゛、あぐ、う゛、う゛…ン」 挿入されてすぐに律動が始まった。乱暴に揺さ振られるが、指を噛んで声を殺した。もはや抵抗する気はない。完全に諦めていた。 オメガには男女例外なく子宮が存在する。ヒート中のオメガの着床率はほぼ100パーセント。相手がアルファでもベータでも関係ない。確実に、妊娠する。 腹の中に熱いものが広がった感覚があった時、目の前が真っ暗になるようだった。 だが、この獣じみたセックスは一度では終わらなかった。ゆっくり律動が起こり、どんどん加速して激しいものになる。何度も突き上げられ、何度も中に出された。その度に、自分という存在が崩されていくようだった。 意識が飛びかけていたとき、仰向けにひっくり返されて雨漏りする天井を滲んだ視界で見た。顎を掴まれ、舌を口の中に捩じ込まれた。下から激しく突き上げられて、今度こそ意識を失った。 スピーカーから鳴り響く電子音で目を覚ました。1時間目終了を知らせるチャイムだったのだろうか、初めて授業をさぼってしまった。 「小谷!?大丈夫か?」 声のした方を向くと、新垣が今にも泣きそうな顔で小谷の顔を見下ろしていた。意識を失っている間に保健室に運ばれ、ベッドに寝かされたようだ。大丈夫、と短く答えると新垣は安堵のため息を漏らし、肩の力を抜いた。 「小谷、さっきのこと覚えてるか?」 嫌でも覚えている。記憶が飛んでしまっていたならば、どんなに良かったことか。執拗に噛まれたうなじは熱を持ち、腰が酷くだるい。指先を動かすことでさえ億劫なくらい身体が重い。 「謝って許されるものじゃないって分かってる。だけど、ごめん…」 新垣の声は震えていて、険しい顔をしていた。新垣は、ずるい。加害者のくせに、まるで自分が被害者のような顔をする。 発情期があるせいでオメガは卑しい性だと長年虐げられてきた。外国では依然オメガに対する風当たりが強く、日本では個体数の少なさも手伝ってオメガという性はないものとして扱われている。 オメガが絡む性犯罪の場合、被害者は犯されたオメガではなく、誘惑されて犯した相手となる。新垣を許すことは、自分が新垣を誘った加害者であることを認めることと同等の意味を持つ。ひとりの人間として、そんな理不尽を許せるわけがなかった。 「新垣は、何であんなところにいたの」 「途中で体育館シューズを忘れたことに気付いて、教室に取りに戻ったんだ」 「へぇ…」 短く答えると、新垣は口を噤んで俯いた。ふたりの間に流れる沈黙は重く、一瞬のそれは永遠に続くかのように感じた。重苦しい空気から逃れるように寝返りを打って新垣に背を向けた。 「小谷、本当にごめん。あの時、何であんなことしてしまったのか、自分にも分からなくて…」 「…オメガって、知ってる?」 決して蒼褪めて今にも倒れそうな顔をしている新垣が可哀想になったわけではない。いつまでも何の意味も持たない謝罪を続けられるのが鬱陶しいと思っただけだ。 「俺がそれなんだよ。分かったらもう話掛けないで」 身体を起こそうとすると、身体が軋み、腰に激痛が走った。ドロッと何かが肛門から漏れて内股を濡らした。新垣が小さな悲鳴を上げる。 「小谷、血ッ!」 真っ白なシーツに、真っ赤な血の海が広がっていた。新垣は酷く取り乱したが、小谷にはやっぱり、としか思えなかった。恐らく排卵が始まったのだ。 「血、見るの駄目なの」 「そういうわけじゃないけど!だって、こんなに出て…!」 「痛くないから大丈夫だよ。それより、俺の荷物持ってきて。着替えたい」 「分かった!」 冷静さを欠いた新垣が保健室を飛び出した。内臓が、ぎゅーっと絞られてるように痛む。きっとここが子宮なのだろう。 保健の先生が不在でよかった。こんなところを先生に見られたら即退学だったに違いない。退学も時間の問題だろう。新垣に、オメガだとばれてしまった。遅いか早いか、ただそれだけのことだ。 痛む身体に鞭を打ってベッドを降り、血が付いたシーツを剥がした。自分がオメガである証拠を消すため、くしゃくしゃに丸めたシーツを抱いて、新垣が戻ってくるのを待たずに保健室を抜け出した。 先程のチャイムは2時限目開始を知らせるチャイムだったようだ。幸い、学校の外に出るまで誰にも会わなかった。 途中ゴミ捨て場で汚れたシーツを捨ててひとりで暮らしているアパートへ戻ってきた。施錠をして、ちゃんと鍵が掛かっているかドアノブを回して確認をする。ドアの前にしゃがみ込むと、身体が震えて動けなくなった。 退学になったらどうしよう。妊娠していたらどうしよう。新垣と番いになっていたら、どうしよう。 これから先、我が身に降りかかるであろう最悪の想定が次から次へと浮かんできて不安に押し潰されそうになる。 今出来ることは何だろう。ふらふらと立ち上がり、靴を脱いで部屋に上がる。食器棚の引き出しから一粒の錠剤を取り出し、呑み込んだ。これは「もしもの時」のための薬。それだけでは不安で、シャワーで長時間冷水を浴び続けた。以前ドラマの再放送で見た、子供を身篭った母親が真冬の川に飛び込み流産するシーンを思い出したのだ。薬の効果で子宮が締め付けられるように痛み始め、浴槽に膝を付いてシャワーに打たれた。 すっかり身体が冷え切った頃、だんだん自分が惨めに思えてきてシャワーを止めた。何も食べる気分になれず、日も高いうちから布団を敷いて横になった。身体は冷たいのに、噛まれた首筋はずっと熱を持ち続けていた。 目を閉じると、嫌でも先程の光景がフラッシュバッグする。そして、初めて発情期を迎えたときのことを思い出す。 初めて発情期を迎えたのは中学1年生の頃。放課後、教室で清掃をしている時だった。ドロッとした何かが肛門から溢れ出て内股を伝う感覚にギクッとした。冷や汗が出て、目の色を変えたクラスメイトがひとり残らず小谷を見ていた。本能的に、逃げなければならないと思った。だが身体が動かず囲まれそうになった時、たまたまクラスの前を通りかかった隣の担任の先生によって助けられた。先生に腕を引かれ車に乗り込むと、すぐに病院へ向かった。その途中に、先生によって犯された。 いつの間にか眠っていたようだ。部屋が真っ暗で、カーテンの隙間から外の明かりが漏れている。身体を起こす気力もなく再び目を閉じたが、眠れなかった。 元々免疫が下がっていたところに長時間冷水を浴びていたことが祟ったようだ。翌日、風邪を引いて学校を休んだ。 眠れないで過ごした夜、熱に魘されている寝床でずっと新垣のことを考えていた。 新垣新。名前自体は珍しくもないが、姓と同じ文字が名に使われているせいで、変な名前だと思った。某有名女優と同じ名字なのに読み方が違って紛らわしい。地元から遠く離れた地で、知り合いなどひとりも居ない。一番初めに覚えたのは彼の名前だった。同じクラスと言えども新垣との接点はほとんどなかった。いつも休み時間に読書をしてひとりで過ごす小谷とは対照的に、新垣の周りには仲の良い友人がいた。小谷にとって読書する時間は有意義なものであったが、無意識のうちに新垣のことを羨望の眼差しで見ていた。レイプした男を思うにしては、憎悪の感情が全く伴っていなかった。 ざわざわと雑談が飛び交う昇降口。朝のHRまでの時間を思い思い自由に過ごすクラスメイトたち。一日ぶりに登校すると、環境が以前と何の変化もないことに一先ず安堵する。 制服は学校に置いて帰ってしまったのでジャージで登校した。朝練を行っている運動部も多く、ジャージ姿で居ても目立たないのが救いだった。自分の席に着き、荷物を確認する。新垣が片付けてくれたのだろうか、体育の授業の前席の上に置きっぱなしにしていた制服が鞄の中に収められていた。 突然、ゾクゾクゾク、と悪寒のようなものが身体を駆け抜けた。勢いよく顔を上げると、新垣が目の前に立っていた。突然顔を上げた小谷に、新垣も驚いた様子だった。 「おはよ、小谷。昨日学校来なかったから心配してた」 「…風邪引いたから休んだ。何か用?」 「ちょっと話があるんだけど、いいかな?」 話すことなどない。もう話し掛けるなと言った。そう言って突っ撥ねることも出来たはずなのに、小谷はおとなしく新垣に付いて隣の美術室に入った。 「話って何。俺には話すことなんてないけど」 ドアを閉められると、落ち着かなくなかった。壁に掛かっている時計の秒針の音がやたら大きく聞こえる。美術室は、粘土やら絵の具やらが混じった独特なにおいが立ち込めていた。 「先ずは、この間のこと。本当に、すみませんでした!」 目の前で深々と頭を下げられ、彼から目を逸らした。 「そのことはもう…忘れて欲しい……」 「自分なりに調べたんだ。オメガのこと」 「オメガ」という単語に、ビクッと身体が強張った。 「アルファと番いになったオメガは首筋に噛み痕が残るんだよな?ちょっと見せて」 「え!ちょっと…!」 後頭部に手を回され、下を向かされる。バランスを崩して一歩前へ足を踏み出すと、新垣に頭を預ける形となった。新垣の手が首筋に触れ、襟足を掻き分ける。ゾクっと背筋が痺れ、身体の力が抜けた。倒れそうになったところを、新垣に抱きとめられる。 「大丈夫か?もしかしてまだ、体調悪い?」 「いや、大丈夫…。ごめん」 新垣の胸を押して距離を取る。何だろう、これ。心臓がバクバク大きく脈を打っている。 「噛み痕があった…ってことは俺はアルファで、俺と小谷が番いになったってことだよね?」 咄嗟に、首筋を覆い隠した。ゆっくり指先で皮膚をなぞると、噛まれたところがかさぶたになっているのだろう、ザラザラしたものが指に当たった。そこは、ジンジンと熱を持っていた。 新垣と、番い? 「だとしても、お前には関係ない。俺は番いなんか要らない」 番いなんて、要らない。連れて行かれた病院で精密検査という名の人体実験をされ、退院できたのは1ヵ月後だった。家に戻ると、小谷の生活はガラリと変わっていた。 両親は共に職を失い、小谷自身は遠く離れた中学校へ転校することが決まっていた。小谷が教師を誑かしたと学校側が判断を下したのだ。オメガは卑しい性だと、存在自体が害悪なのだと、入院した病院で教えられていた。そんなことはないと否定し続けていたが、誰も小谷の言うことに耳を貸さなかった。転校を理由に親元を離れ、祖父母の元へ預けられることになったが実質親に捨てられたようなものだった。 祖父母の元へ身を寄せるようになってからは、一度も学校へ行っていない。祖父母から離れるために勉強だけは続けて、独学で高校受験に合格した。高校進学を機に今のアパートを借りてひとり暮らしを始めた。 誰の力も借りず、ひとりで生きてやる。自分を人間扱いしない病院へは行きたくなかったが、抑制薬を貰うためだから仕方がない。薬さえあれば、自分ひとりで生きて行ける。 「関係なくはないだろ!…男同士でも、その…セックスすると妊娠するってネットで書いてあった。それって本当?」 「本当だったらどうする?」 息が苦しい。胸元の服をぎゅっと掴んで言うと、新垣は目を丸くする。 「冗談だよ。男が妊娠するなんてあり得ないだろ」 「責任取るよ」 新垣は小谷の目を真っ直ぐと見つめて、きっぱり言い放つ。どうしてこいつは、自分を放っておいてくれないのだろうか。新垣の真剣な眼差しは小谷の心を苛立たせた。 「責任ってどうするつもりだよ!お前に何ができるんだよ!!」 「両親にお前のことを話すよ」 苛立ちに任せて声を張り上げると、新垣は真剣な表情のまま淡々と答えた。一瞬、言葉を失った。 「何馬鹿なこと言ってるんだよ…。誰が信じるんだよ、そんなこと」 「誰も信じなくてもいいと思ってる」 頭が痛くなってくる。こいつがこんなに馬鹿だとは思っていなかった。 「好きだよ、小谷」 「…番いになったからだ。あんなことがあったから、俺に対して負い目を感じてるだけだ。お前はそれを恋と履き違えてるんだよ」 「そんなことない!あの後、ずっと小谷のこと考えてた。寝る時も、昨日来なかったから、どうしたんだろうって一日中」 素直に嬉しいと思った。だが、それ以上に苦しい。いつの間にか、新垣を好きになっていたようだ。新垣の顔を見ていられなくなって目を逸らした。 「抱きしめてみてもいい?」 返事をする前に新垣の腕の中にいた。新垣の心臓の音を聞いて、振り解くことができなくなった。 「…小谷、責任取るなんて偉そうなこと言った。まだガキの俺に出来る事なんて何もないかもしれない。でも、絶対にお前ひとりだけに背負わせないから。番いになったオメガとアルファはずっと一緒に生きていくものなんだろ?」 番いになったアルファとオメガの間には、血縁よりも深く強い魂の結びつきが生まれるのだという。それが具体的に何なのかはよく分からない。そんなものは、アルファに縛られる枷でしかないと思っていた。 耳元で紡がれる言葉は、薄ら寒い。こいつはただ、自分に酔ってるだけだ。それなのに、どうして涙が出てくるのだろう。 「…お前は深く考えすぎだ。俺は妊娠していない。お前が責任を取る必要なんてない」 「…そっか」 新垣が悲しそうな目で笑うのを見て、なんてことをしてしまったのだろうと思った。 新垣となら、この先何があっても大丈夫だと思った。新垣と番いになれて、生まれて初めてオメガでよかったと思った。 「お前、泣きすぎ。意外と泣き虫だったんだ」 違うと否定する間も与えられず、強く抱きしめられた。 新垣の体温を感じながら、祖父母の家を出て、アパートに移る時のことを思い出した。玄関で祖母に見送られ、軽トラックで祖父に駅まで送ってもらった。小谷がオメガと知っても以前と変わらず接してくれた祖父母だ。車を降りる際、祖父がいつでも帰って来いよ、と言ってくれた。 今度の週末、久々に祖父母の家に帰ってみようか。新垣と共に。

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