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託された刀_貮

 この頃やたらに周りに鴉が多い。それもこの頃は見られているかのような居心地の悪さも感じるようになってきた。  部屋で書物を読んでいた平八郎だったがどうにも鴉が気になって刀を手にし庭に出る。  そして鴉を追い払うように振るえば、大きな鳴き声をあげて平八郎に向かって飛んできた。 「うわぁぁッ」  咄嗟にしゃがみ込んで頭を手で覆い丸くなる。  鴉は平八郎にあたる前に上へとそれ、再び木の幹へと止まる。  再び襲われかねないと部屋の中へ入ろうとするが、その時、ぞくりと鳥肌が立つ。 「えっ」  木の上の鴉からどろりと黒いモノが垂れていく。 「なに、あれ」  あまりに不気味なもの。恐くて逃げたいのに足がうまくうごかない。 『憎イ、貴様ラ人間ガ憎イ……』  どこからかしゃがれた声が聞こえる。  平八郎の近くには誰もおらず、まさかと鴉を見る。すると黒い霧に覆われた鴉が赤く目を光らせていた。 「ひぃぃ」  恐い。だが、平八郎の身体が金縛りにあったかのように動かない。  するとくちばしを突きだし、平八郎の顔をめがけて飛んできた。 「平八郎ッ!!」  あと少し遅かったら平八郎の目はつぶされていただろう。  道場から帰ったばかりの兄の晋(すすむ)が、寸前の所で鴉からの攻撃を木刀で撃退し、叩き落とされた鴉は大きな鳴き声をあげて飛び去り、他の鴉もそれに続き一斉に飛び立った。 「兄上、あにうえ……」  腰が抜けた。  そのままへたり込む平八郎に、晋が「大丈夫か?」と声をかけしゃがみ込む。  ざっと傷の具合を確かめ、特にひどい怪我もないようで良かったと安堵する。  ただ、引っ掻かれたり突っつかれた箇所から出血しており、治療しなければいけないと手拭いで血を拭う。 「兄上が来てくださったので無事にすみました。ありがとうございます」  そう笑顔を向ければ、晋は手で口元を覆い平八郎から視線をそらしてため息をつく。 「……鴉ごときにやられおって。それでもお主はおのこか!」  鴉に襲われ何もできない平八郎を情けないと嘆く。晋は「男子は学問よりも剣術を学ぶべき」だと思っている人だ。だから余計に平八郎のへっぴり腰が情けないと思うのだろう。 「すみませぬ」  確かに怖くて何も出来なかった。それ故にそう言われてしまうのはしかたがない。だが少しぐらい優しい言葉をかけてくれてもと思ってしまう。 「怪我が良くなったらお主には稽古をつけやろう。このままでは立派な男子になれぬからな」 「え、稽古は結構です」  稽古と言われ思わず口に出てしまう。晋の稽古はすごく厳しいので嫌だ。 「何を! へなちょこな癖して断るのかお主は! えぇい、せめて怪我が良くなるまで待ってやろうと思ったが、今すぐにその性根を叩きなおしてやる!!」  そこに直れと木刀を地面へと叩きつける晋に、 「正吉の所へ……、行ってきます」  と、そろりと門へと向かい後ずさる。 「平八郎!!」  晋の怒鳴り声が響き、平八郎はその場から逃げるように立ち去った。  普段ここまで急いで診療所まできたことがなく、胸の鼓動を落ち着かせようと胸に手を置き何度か深呼吸する。 「おう、平八郎。此処でなにやってんで?」  出入り口でしていた為、丁度、診療所の終了を告げる看板を下げにきた正吉と出会う。 「お、おう、正吉。いや、兄上から逃げるのに急ぎ足でここまできたもんだからな」 「はは、成程。晋さんに捕まったらてぇへんだ。て、おめぇ怪我してるじゃねぇか」  所々に出来た傷を見つけた正吉が平八郎の肩を掴む。 「実は鴉に襲われてな」 「鴉だぁ? なんでまた」  兎に角はいんなと中へと促される。 「追い払おうとしたらな、逆にな。でな、鴉の周りを黒い霧のようなのが覆っておってな、ものすごく嫌な感じがしたんだ」 「逆に襲われたって、なんてぇか平八郎らしいな。で、黒い霧のようなモンが覆ってたって?」  手際よく傷に薬を塗りつけて包帯を巻いていく。  正吉は医師だから怪我に意識がいくのは仕方がない。だが、それでも今は怪我の治療よりも話をきちんと聞いて欲しかった。 「そうなんだ。って……、お主、信じておらぬな?」 「信じてるさ。よし、おしめぇだ」  信じてるとその言葉ですら話し同様に軽く受け流されているように聞こえ、もういいよと平八郎は立ち上がる。 「俺の話を信じておらぬ癖に、軽々しく信じているというな!!」  邪魔したと襖に手を掛けた所で、 「おいおい、待てって」  と正吉の手が平八郎の腕を掴んで引き止める。 「離せッ!!」  暴れる平八郎に、落ち着けとばかりに正吉は後ろから強く抱きしめる。 「信じていないってわけじゃねぇ。ただ、怖くてそう見えたんじゃねぇのかと思ってな」 「……違う」  見間違いなどではない。怖いからそう見えたのではないとはっきり言える。 「それに声も聴いたんだ」  そう、しゃがれた声で人間が憎いと言われたのだ。 「怖かったよ、すごく。でもだから幻覚を見たとか幻聴を聞いたとか、そんなんじゃ……ッ」  確かに信じろというのは無理があるかもしれない。正吉は実際に見たわけではないのだから。  でも、それでも。  平八郎は正吉に慰めて欲しかった。「でぇ丈夫だ、俺が傍にいるから」と、そう言って欲しかったのだ。  涙が頬を伝い落ちる。 「おめぇが泣くほどのこった、本当なんだな。すぐに信じてやれなくてすまねぇ」  正吉がその涙に触れる。肩越しに見れば、申し訳なさそうな顔をして平八郎を見る。  もうそれだけで充分だ。 「もういいよ。解ってもらえたようだから」  と涙を拭い笑顔を作れば、正吉が安堵した表情を作る。 「ようし、平八郎を泣かしちまった詫びだ。団子奢ってやる」  団子は平八郎の大好物の一つで、その言葉につい反応してしまう。  思った通りの反応とばかりにニカっと愛嬌たっぷりに笑う正吉が平八郎の手を握り。ばれたことが恥ずかしくて唇を尖らせてぷいっと顔を背ける。 「……行っても良いぞ」  でもその手を振り払うことなくぎゅっと指を絡めて行くと言えば、そのまま正吉が強く腕を引いた。 「よし、行くぞ!!」 「うわぁ、ちょっと正吉」  足が縺れて転びそうになりながらもどうにかついていく。  お互いにまだ小さかった頃もこうやって正吉に手を引かれて遊びにいった。それがすごく楽しかったなと思いだして自然と笑顔が浮かんでくる。  正吉の口元も笑みが浮かんでいて、きっと彼も同じようなことを思いだしているにちがいない。

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