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プロローグ【激情】
――駄目だ。
誰のものか分からない声が、彼の頭に響く。
――駄目って、何が?
――分かっているくせに。
――分からないよ。
彼の頬からは、勝手に涙が溢れてくる。
零れ、頬を伝い、滴る……それらを止めることなんて、彼にはできなかった。
綺麗なあの人が、汚れていく。
どうして、あの人が涙で汚れていくのだろう。彼にはそれが、分からなかった。
どうして、あの人が赤く汚れていくのだろう。彼にはそれが、分からなかった。
――駄目だ。
もう一度、誰かがそう叫ぶ。
彼の手に添えられていたあの人の手が、弱々しく離れていく。
その感覚で、ようやく彼は気が付いた。
――駄目だって、言ったでしょ?
何度も彼の頭に響いていたのは、彼自身の声だ。
彼はそれに気付くと同時に……あの人から、手を離した。
「ち、ちが……っ、これは……ッ」
赤い赤い指の痕が、あの人に残る。
彼は何度も首を横に振って尻餅をつきながら、あの人と距離を取った。
――彼はその日、初めて……人の首を絞めたのだ。
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